松浦寿輝の「不可能」(講談社:2011年6月21日第1刷発行)を読みました。 この本、発売と同時に購入してあったのですが、なぜか読まれることなく、約1年、本棚に眠っていました。たぶん、新聞の書評を見て購入したと思うのですが、どんな内容なのか、今回読むまでまったく分かりませんでした。松浦寿輝は、開成から東大へという“チョーエリート”のフランス文学者、映画評論家、詩人、小説家でもあります。つい先頃、東大教授を退任したことで、メディアを賑わしていました。詩人としての松浦の仕事は僕はまったく知りませんが、僕が松浦と出会った最初は、「エッフェル塔試論」(筑摩書房:1995年6月20日初版第1刷発行)でした。今から17年も前のことです。
「エッフェル塔試論」は、ほとんど松浦寿輝の処女作と言っていいと思います。僕は単に建築的な興味で読んだのですが、今から思うとちょっと無謀でした。つまり、難しかった、というわけです。本の帯には「1889年のパリ万国博に際して建造されて一世紀余――〈近代〉と〈表象〉とをめぐるさまざまな問題を集約的に体現した特権的な記号として虚空に屹立する〈塔〉を、透徹した論理と耀かしくも華麗なエクリチュールで徹底的に読み解く記念碑的力作」とあります。これだけでも、難解な著作だということが分かろうと思います。
受賞歴はそうそうたるものです。1996年、評論「折口信夫論」で第9回三島由紀夫賞、 2000年、小説「花腐し」で第123回芥川龍之介賞。2005年、小説集「あやめ 鰈 ひかがみ」で第9回木山捷平文学賞、小説「半島」で第56回読売文学賞、2009年、詩集「吃水都市」で荻原朔太郎称を受賞。僕は「エッフェル塔試論」の他に、芥川賞受賞作「花腐し」と、読売文学賞受賞作「半島」を読みました。
「不可能」は、全8作からなる短篇連作です。主人公は平岡という名の80歳を超えた老人、無期懲役の判決で入監して27年経って仮出獄してから、東京西郊の墓か廟のようなコンクリート造の二階家に一人ひっそりと住み、世間との交流は一切ない。かつては南馬込に建てたヴィクトリア朝ふうの頃にある様式の大袈裟な家だったが。書斎の鏡の前で一人、トランプ手品を行ったり、地下室には銀座あたりのバーのようなカウンター席があり、気が向けばウイスキーの水割りを嘗めることもあった。ある日思い立って、美大の彫刻科に在籍する大学院生S君に、ジョージ・シーガル風の、等身大の人体模型を依頼し、真っ白な石膏で作られた5人の彫像を地下室に設置します。
平岡はまた、バーやレストランの談笑や、また街路や公共空間のざわめきなど、地下室にさまざまな音を流すことを思いつき、S君に依頼します。またある時は、「堂でしょう、人間にしてみましょうか」というS君の意見で石膏人体彫像が、すべて本物の人間に入れ替わったりもします。住んでいる家を建ててくれた建築家G君の事務所に予告なく訪れて、「そこにいると月の光がこっちの軀に、骨に、ひたひたと泌みこんでくるような、そんな場所がこの世のどこかにあるのか、ないのか・・・」と平岡は言い、2週間ほどして若い建築家は「塔を建てますか」と答えます。平岡は「塔は入口は作らず、外界に対して完璧に、頑なに自分自身を閉ざして、ただ屹立していてほしいと思うんだ」と言います。
西伊豆に建てられた「塔の家」、こういうところを「隠れ処」とでも呼ぶのだろうか、と平岡は思います。自分を徹底的に裸に剥いて世界に開けっぴろげにさらすためにこそこんな手の込んだ極めつきの密閉空間が必要だったという、この奇怪なパラドックス。もしろそのパラドックスのまとう奇怪なまでの自然さ。残された時間のどれほどを俺はここで過ごすことにあるだろうかと平岡は訝しがります。
「言葉とは距離そのものだ。血が至高の密着であるように言葉は至高の距離だろう。しかしそれは俺が自分自身で好き勝手に調節できる距離、完璧に統御できる距離だった。言葉、この距離の装置、距離をもって距離をセイするための禍々しい戦い・・・」。70余年を飛び越して今は同化と言えば、もう言葉はないと平岡はしかしそれでもなお相変わらず言葉で考えます。雑木の向こうに隣家所有の孟宗竹が伸び放題の竹林があります。ふとした衝動に駆られ、パジャマ姿でサンダルをつっかけたままの平岡は、隣家に足を踏み入れます。
裏口から上がり込み、8帖ほどの広さの和室に入ると平岡に背を向けて一人の老人がいました。平岡はかつて「後ろ姿が貧相」と評されたことがあった。その貧しい背中を平岡に見せて男はうつむき加減に佇んでいました。男は「自分がしたいことと自分がしていることとの間に、いささかのずれもない。わたしたちにはそういう簡単なことがどうしてもできなかった」というと、平岡は「しかし、そのずれ、その距離が完全になくなった瞬間があった」。「あのとき、距離が完全に零になった。あの研ぎ澄まされた硬い冷たい刃は俺の首にたしかに喰い入った」という。男は振り向こうともせず、「幻想とは言わないが、あれはやはり、無理があったんじゃないか」と平静に言います。
さて、6話目からは、趣ががらりと変わり、ミステリーじみて、推理小説らしい体裁になります。首筋に二筋の醜い傷痕を残す平岡、その老人は自衛隊の市ヶ谷駐屯地で死んだはずの三島由紀夫、らしい。竹林の家で出合った老人も、平岡、らしい。ある日、ちょっと面白い集まりがあるという話をS君が持ち込んできます。「悔悛した老人たちの集い。The Repentant Old Men’s Society――頭文字をとって通称『ROMS』」。S君はいろんな雑用を頼まれてやっているだけだと言う。互いに名前も職業も知らない12人が食卓を囲んで、ただ物を喰う、二月に一度位なら悔悛老人たちと卓を囲むのも悪くないと、平岡はROMSに入会します。平岡は「ROMS会則」を取り寄せ、何度か定例会に出席します。東京大空襲の鍛冶や、鹿鳴館のような建物で裁判劇を興したりと、平岡を翻弄します。
西伊豆に平岡が建てた塔の家に、ROMS会員を始め30人ほどの客を招いています。塔の頭頂の部屋には78人も入ればいっぱいになってしまうので、夕暮れから夜に書けて何組かに分かれて代わる代わる昇って、日が沈んで海が紅に染まるのを見物してもらっています。「では、不可能はどうかな」、「つまりそういうことはない、と」、「ないからこそ不可能と言うんだろう」、「ないだろうね。不可能は不可能」、「大勢の人が奇蹟をshんじているよ」、「奇蹟というものはない。わたしは合理主義者だからね」と、議論百出。「とにかく、面白ければいい、面白いというのはすばらしいことだと、そういう話だったね」。
「ここは1階だが外の地上世界への出口はない。ということはつまり、外からも入れない。それが味噌でね」と平岡は降り立った一同に説明します。「わたしは本当は入口なんか要らないと言ったんだ。入口も出口もない塔・・・建築家はとうとう発狂したかというような過去でわたしを見ていたがね」というと、「入口がなければ、密閉された馬鹿でかいお棺みたいになってしまうよ」と言う人もいます。皆ひと通り食べ終わり、談笑もだれてきた頃合いに、S君が重そうなカーキ色のバッグを持ち込んできました。平岡は屈み込んでバッグから新聞紙で包んだ塊を取り出し、テーブルの上に置きます。それをひと目見るや一同は震え上がります。その石膏像の顔が、どう見ても平岡のそれを象ったものとしか思われなかったからです。
松浦寿輝は言う。「老いはもともと静かな空間だが、それだけではおもしろくない。それまで平岡は単独者だったが、彼の分身みたいな者をぞろぞろ出して派手な展開にした。幸福な諦念から離れ、大がかりな手品を見せる。いわば三嶋のキャラクターが叛乱を起こした。市ヶ谷の事件の再演みたいなことをやってみせるが、それも見せかけの嘘。最後は日本をすてて海外へ行くんです」と。折しも若松孝二監督の「11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」という映画がロードショー公開されるという。
「11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち」
企画・制作・監督:若松孝二
企画協力:鈴木邦男
プロデューサー:尾崎宗子
脚本:掛川正幸、若松孝二
配給:若松プロダクション/スコーレ株式会社
カラー/2011年/1時間59分
6月2日ロードショー
テアトル新宿
ヒューマントラストシネマ渋谷
ユーロスペース
「エッフェル塔試論」
著者:松浦寿輝
発行:筑摩書房
1995年6月20日第1版発行
1889年のパリ万国博に際して建造されて一世紀余―「近代」と「表象」とをめぐるさまざまな問題を集約的に体現した特権的な記号として虚空に屹立する「塔」を、透徹した論理と輝かしくも華麗なエクリチュールで徹底的に読み解く記念碑的力作。
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