津島祐子の「黄金の夢の歌」(講談社:2010年12月10日第1刷発行)を読みました。発売とほぼ同時に購入した本ですが、1年数ヶ月も読まれることなく本棚に眠っていました。思い立って読み始めましたが、そもそも津島祐子という作家の本はまったく読んだことがなく、どうしてこの本を購入したのかもまったく思い出せなくて、なにかスッキリしない日が続きました。ほぼ半分ぐらい読んで、やっと思い出しました。
講談社のホームページには、この本の「内容紹介」として、以下のようにあります。「この世界の果てには、懐かしくやさしい詩がある。不思議な男の子の声に導かれ、中央アジアの草原をさまよう「あなた」。歴史の奥に秘められた、人間を励ます叙事詩の意味を探る長篇」と。そして「講談社創業100周年記念出版」の書き下ろしで、「第53回毎日芸術賞 文学I部門[小説・評論]」受賞とあります。
……赤いリンゴを食べる夢を見れば女の子が生まれ、白いリンゴを食べる夢を見れば男の子が生まれる、そんな話もあった。……50歳になっても子どもに恵まれなかったチュウィルディは、ある日、白いリンゴを食べる夢を見たんだっけ。……すぐそばに坐るチャリクさんが、ふと右手を高くあげ、空の1ヵ所を指さした。白い雲がところどころに浮かぶ空。まわりは、木が1本も生えていない真夏の草原。そこはジャイロと呼ばれる高度3000メートル以上の、U字形の氷河谷にひろがる放牧地で、山の風に身を震わせる草はそれぞれの花をここぞとばかりに咲かせている。――<本文より>
「夢のなかにしかあらわれないキルギスの英雄マナス。その歌を聞きたい。・・・キルギスの英雄叙事詩。マナスの誕生の予兆から物語ははじまり、この世に生まれ出たマナスはまわりの敵と戦いながら成長し、キルギスの英雄として称えられる。その歌を聞くには、キルギスという場所まで出かけなければならないらしい。それじゃ、出かけよう。わたしにとって、とても単純で、簡単な話だった」。
夢の歌を、わたしは今まで主に「読んできた」が、自分の耳でその歌を聞き届けたいと思います。それは単純に歌のようでいて、とても複雑な歌。無数の人間の感情や願いが、幾層もの時代を超えて埋め込まれた歌です。アイヌの「夢の歌」であるユカラと、キルギスのマナスの歌は、わたしの中で自然につながっていた。その内容は戦いばかりで成り立っている。「夢の歌」の男の子たちは休む暇なく戦い続ける。固有の文字を持たない、定住の農耕文化でもないアイヌやキルギスの人たち、ユーラシア大陸に生きてきた遊牧文化、狩猟文化の人たちのあいだに、「夢の歌」が豊富にうたいつがれてきたのは、そのような過酷な背景があったからだと、わたしは思います。
長い時間をかけて、そのときそのときに経験してきた外敵との戦いをうたいこみながら、「夢の歌」はひとびとに夢の時代をいつでも取り出せるよう働きかけてきた。敵に奪われてしまった、豊かで美しい場所。かつて実現されたことのある栄光の時代。みじめに泣いた負けいくさの記憶。死んだ人々。楽しかったとき。すべてをおぼえておこう。なにもかも消え失せたとしても、記憶は生きつづける。「夢の歌」は生きつづける。「夢の歌」さえ生きていれば、いつでも夢の時代から、この世界を再生することができる。それは世界を作り直す歌でもあるのだから・・・。
この文章を書いているのは2010年4月、書いているのはいつの間にか60歳という年齢を超えてしまったわたし、わたしがキルギスにいたのは2008年の6月から7月にかけての時期、そのあと、9月には中国の黒竜江省と内蒙古自治区のロシアとの国境付近をうろついていた。東京に戻ると、「夢の歌」の時間と「夢の歌」だけでは生きていけない時間の2種類の時間をたどりつづけていたと、わたしは思います。
「夢の歌」は、オーストラリアの先住民であるアボリジニの」伝えてきた物語であり、彼らの時間であり、地図でもあった。キルギスやアイヌの歌について、その概念を応用させてもらう。ここから大きなヒントをもらってわたしなりの「夢の歌」を追います。なつかしい場所へのガイドブックの役割も果たすはず。なつかしいひとびと。なつかしい場所。だれもが胸の奥に隠し持っている。ところが、その正体をつかむことができない。それはだれなんだろう。どこなんだろう。つかもうとすればするほど、遠のいていく。
そして、天山の向こうには、どんな世界がひろがっているのだろう。あなたはどれほど、その向こう側の世界を見たかったったことか。それが、ここキルギス。平均高度が2800mという山の国。と、一人のもう若くない女性の「夢の歌」を訪ね歩く旅が始まります。ときに「トット、トット、タン、ト」という音をおりまぜながら・・・。
そうです、2011年1月9日の朝日新聞の書評欄でした。柄谷行人がこの本の書評を担当していました。哲学や思想、政治に関しての本の書評はよく見かけましたが、柄谷が小説について書評をしていたのはたぶん初めてだったのではないかと思いました。その書評を読んで購入したのだったと思います。今、その書評を読んでみると、僕のような者が言うのもなんですが、さすがにその読み取り方には鋭いものがあります。以下、柄谷の書評より。
この作品は三つの層からなっている。第一の層は、一人称(わたし)および二人称(あなた)によって語られ、「わたし」は父親が青森出身であるため、ツングースの末裔であると感じ、またアイヌや遊牧民に親近感を抱いている。この層で語られるのは、近年のキルギスや内モンゴルの状況、かつての遊牧民が国家に従属させられ、独立してもなお政治的な混乱の中にある状況だ。第二の層は、事実上三人称で語られ、ユーラシアにおける古代からの遊牧民とその歴史が客観的に語られる。第三の層は、非人称で語られ、この作品の核心部分だ。
「夢の歌」は、オーストラリアの先住民が伝えてきた物語、そこには遊動的な狩猟採集民時代の記憶が保持されている。「わたし」は、キルギスや各地の遊牧民にもそれがあると考える。彼らは定住化を強いられ、国家に分断されてしまっているが、遊動民時代の記憶が消滅することはない。「夢の歌」は見知らぬ男の子の声を通して出現する。またそれは「トット、トット、タン、ト」という騎馬の蹄の音として唐突に頻繁に出現する。この音はかつて青森出身の作家が書いた「トカトントン」という音を想起させる。それは世界をネガティヴに変容させるのに対して、逆に世界をポジティヴに反転させようとする。津島祐子という小説家以外に、このようなことを書ける者はいない。
津島祐子:略歴
1947年東京生、太宰治の次女、本名:津島里子。白百合女子大学英文科卒。
76年「葎の母」にて第16回田村俊子賞、77年「草の臥所」にて第5回泉鏡花賞、78年「寵児」にて第17回女流文学賞、79年「光の領分」にて第1回野間文芸新人賞、83年「黙市」にて第10回川端康成賞、87年「夜の光に追われて」にて第38回読売文学賞、88年「真昼へ」にて第17回平林たい子賞、95年「風よ、空駆ける風よ」にて第6回伊藤整文学賞、98年「火の山-山猿記」にて第34回谷崎潤一郎賞および第51回野間文芸賞、2001年「笑いオオカミ」にて第28回大佛次郎賞、05年「ナラ・レポート」にて第15回紫式部文学賞および平成16年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
キルギスと僕の個人的な関係:
世田谷のまちづくりの関連でで知り合ったMさんという方が、キルギスタン共和国のキルギス国立人文社会大学の日本語学科の教授として赴任しました。1993年3月のことです。Mさんは、西経堂団地の建て替え問題のとりまとめ役として関わっていた方です。学生時代は人文地理学を専攻し、その後も社会科学を日本ユーラシア協会の一員として研究し続けていたそうです。ロシア語も堪能で、以前の教職の経験も手伝い、キルギス赴任が決まったようです。その後、キルギス滞在が延び延びになっていたようですが、その後、日本に帰られたのかどうかまでは分かりません。ご存じの方がいましたら、お知らせください。