2008年10月、町田市立国際版画美術館で「ピラネージ版画展2008」を観ました。ピラネージについては、建築の授業で、とにかく折に触れその名前が出てきたことは確かです。いつ、どのように聞いたかは、まったく覚えていませんが、「ドローイング」と言えば「ピラネージ」でした。しかし、まとまってピラネージの作品を見たのは、町田市立国際版画美術館で「ピラネージ版画展2008」が初めてでした。その時の「図録」はハードな表紙で約200点もの作品がばっちり載っていて、それはそれは立派なものでした。
その後、もう少しピラネージについて勉強しようと思い、関連する本を調べたのですが見つからず、唯一、「ピラネージ建築論 対話」(発行:アセテート、発行日:2004年10月31日)が見つかり購入しました。やや専門的な本で、貴重なものです。が、しかしまったく手つかずの状態で過ぎてしまいました。一通り読んで、ブログにアップしようと、画像だけは取り込んであったのですが。いま上野の国立西洋美術館で開催されている「ユベール・ロベール―時間の庭―」で分かったことは、ピラネージがユベール・ロベールのイタリアでの師だったこと。
「ユベール・ロベール―時間の庭―」の項でも書きましたが、18世紀はポンペイやヘルクラネウム、あるいはパエストゥムの遺跡発掘に沸いた世紀です。ヨーロッパ中の知識人や芸術家たちがこぞってアルプスを越えてイタリア半島を目指しました。イタリアの人、自然、遺跡、芸術に彼らは魅了されました。名付けて「グランド・ツアー」がブームでした。ピラネージの描くローマの姿は、ローマに憧れる人々に競って求められ、ヨーロッパ中で名声を博しました。
「ピラネージ建築論 対話」の始めに、長尾重武は「ピラネージとは誰か」という序文を書いています。それによると、彼は1720年ヴェネツィア対岸の都市メストレ近郊のモリニャーノに生まれ、ヴェネツィアで初期修行を経て、1740年始めてローマを訪れます。早くも1743年にはローマで版画集を出版しています。以後、ローマの遺跡や景観を題材にした版画集を立て続けに出版し、1750年頃には「牢獄」の初版を出版しています。考古学的な活動が評価され、ロンドンの「好古家協会名誉会員」に推挙され、アカデミア・ディ・サン・ルーカに入会しています。
しかし長尾によれば、ピラネージは自分が版画家、考古学者であるとは思っていなかったという。彼は自らをヴェネツィアの建築家と署名するのが常であり、建築家として生きることを目指していました。たしかにピラネージは想像力豊かな版画家であり、彼の版画は奇想や幻想を含み、透視図法的にも大胆で演劇的な作品を数多く生み出しました。彼が得意としたローマの地誌的な景観版画は、グランド・ツアーの時代に、ローマの思い出の品、おみやげ(スーヴニール)としてよく売れ、ビジネスとして成り立っていたという。
香山壽夫の「建築家のドローイング」(東京大学出版会:1994年11月21日発行)という、建築家のスケッチや図面を集めたものです。このなかにも「ジョバンニ・バティスタ・ピラネージの牢獄の幻想」と題して掲載されています。そこで香山は、次のように書いています。「ピラネージの描いたエッチングは、ローマを訪れた旅行者の手に渡ってヨーロッパ中に広まり、古代ローマやギリシャについて人々がそれまでもっていた観方を、すっかり変えてしまった。ピラネージの描いた古代建築は、それまでの明るく澄み渡った均衡の取れた世界ではなく、暗く、逆巻く、崩壊していく世界であった。美は、ここにおいては、心安らぐ、きれいなものではなく、むしろ恐ろしいもの、曖昧なものとして提示されている」。
ピラネージの中では、こうした一連の活動はバラバラではなく、建築家として一貫していた。彼は本源的な意味で建築家であった。建築家とはただ建築を設計して建てるだけでなく、彼の時代と環境を良くすることを試み、現代の創造性について常に考える人のことである。設計の機会がピラネージにようやく訪れたのは1764年、アヴェンティーノの丘に位置するマルタ騎士団修道院本部のサンタ・マリア・デル・プリオラート聖堂の設計およびその前庭であるマルタ騎士団広場の仕事、ただ1件だけでした。
竺覚曉(金沢工業大学教授)によれば、ピラネージが18世紀の銅版画家としてよく知られているのは、主として「牢獄の気まぐれな空想」と題された作品に拠っているという。これはカプリッチョと当時呼ばれて人気があった「奇想的、幻想的絵画」というジャンルの建築画で、14枚の大判銅版画によって怪奇な牢獄のインテリアを描いたものです。奇妙な形の塔や跳ね橋、キャッツウォーク、階段、梯子、柱やアーチが複雑に配され、滑車から下がるロープや鎖、ウィンチやデリックのような機械装置や拷問用具が置かれ、炉から上がる煙が視界を暈かし、上下・左右・前後に広がっていく怪奇な牢獄空間を創り出しています。
初版は描画の筆触が鋭く手早いタッチで描かれています。後に出版した第2版においては、新たに2枚を加えて16枚構成とし、全体をさらに細かく緻密な筆致で複雑に明暗のグラデーションを与えた、濃密かつ重厚な表現に変え、牢獄空間の怪奇な原始性を強化している。(「ピラネージ版画展2008」図録より)
町田の「ピラネージ版画展」では、「牢獄」は第2版のもの、16点が出されていました。上野の「ピラネージ『牢獄』展」では、図録もリストがないので詳しくは分かりませんが、だいたい「第1版」と「第2版」が並べて展示されていたように思います。そのうちの何点かを、下に載せておきます。
「ピラネージ『牢獄』展」
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージは18世紀イタリアを代表する版画家です。版画連作『牢獄』はなかでも最も有名な作品と言えるでしょう。とりわけ19世紀に入ると、ロマン主義の潮流の中で、この作品は多くの小説家のイマジネーションを刺激しました。その後も現在に至るまで、美術はもとより、建築や小説、さらには映画にも、刺激を与え続けています。この連作には、その名の通り、牢獄の様々な情景が描かれています。もっとも、現実の牢獄を描いたものではなく、そこにあるのは空想の世界です。巨大な柱や梁、鎖、拷問の道具の数々や囚人たちが、思い切って引かれた力強い線や大胆な構図によって描かれます。当館は『牢獄』第一版と、第一版に大きく加筆し、さらに二枚を加えて出版した第二版を所蔵します。第二版はピラネージが独立した1761年に作られたもので、明暗の対比が強まり、より劇的な印象を与えます。ピラネージはこの版で、時に自分の指や掌まで使って、版画の表現を追求しています。今回の展示では第一版と第二版の両方、計30点を展示しますので、両者を見比べることで彼の構想の変化を追うことができます。圧倒的な迫力をもつ作品の数々をお楽しみください。
「国立西洋美術館」ホームページ
「ピラネージ版画展2008―未知なる都市の彼方へ―」
企画構成:
佐川美智子(町田市立国際版画美術館)
新田建史(静岡県立美術館)
編集:
町田市立国際版画美術館
発行:
2008年10月4日
発行日:2004年10月31日発行
著者:G・B・ピラネージ
訳者:横手義洋
校閲者:岡田哲史
編集:中谷礼仁、北浦千尋
発行者:中谷礼仁
発行所:編集出版組織体・アセテート
1994年11月21日初版
著者:香山壽夫
発行所:東京大学出版会
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