磯田道史の「磯田道史と日本史を語ろう」(文春新書:2024年1月20日第1刷発行)を読みました。
この本の中身は愉快すぎるほど、はっきりしている。私が日本国内の「その道の達人」の方々と出会って「日本史の論賛」を大いに自由にやった対話集である。「対話本は中身が薄い」は嘘である。対話本は見かけ上、会話調が冗長に感じるだけで、中身は深い。それはなぜか。はっきりしている。専門家が一人で自著を書くと、答えたくない問い、答えにくい裏話は避ける。ところが対話本では聞かれれば話してしまう。本書には、徳川宗家の当主ご自身が、家康の女性観について話し、子孫として論評した部分さえある。歴史の風景は、人によって見え方が違う。直系の子孫として歴史人物を見た場合、あるいは時代劇を演じた俳優が歴史について気づいた事柄などは、歴史家の私も、ハッとさせられることが多い。
女優の杏さんが目を輝かせて坂本龍馬や新選組について語り、誰も知らないようなマニアックな幕末女性の生きざまを論じている箇所もある。杏さんは幕末史を見ると「一日一日を大切に生きたい」と思い、「明日への元気をもらえ」るという。さらに、この本には、この国の本物の巨匠が登場する。巨匠たちはいつも歴史語りの達人だった。巨匠中の巨匠、作家・浅田次郎さんとの出会いは、私の貴重な宝物である。「結局、新選組というのは、コンプレックスの塊なんですよ」。そうズバリと言われたときの衝撃は今も忘れられない。中村彰彦さんは「勝者の薩長史観」に異論を唱え「会津や旧幕の視点」を重んじた先駆けの人であり、屈指の歴史知識を持つ。会えば泉の如く史論が湧いた。出口治明さんはビジネス界出身の方であり、私にとってその歴史観察は新鮮であった。
養老孟司さんは別格の人物である。歴史家の目から見て、この国には「人とは思えぬ天才を超越した超人天才」が数人だけはいると感じる。養老さんは間違いなく、そういう超人の一人である。発想がすごい。「私は関東大震災が次の太平洋戦争に関係していると思います」とおっしゃられた。首都東京で焼け野原と死体の山をみてしまったら、人間の脳は無意識に「もういいや」と死を軽くみるようになる。もう一度、空襲されて同じ風景が首都に現れた。人間の脳内の風景は現実世界に出現してしまう。それを指摘された対談が、この本には載っている。
思えば平成までは、超人天才はこの国にももっと多く棲息していた。ここには、堺屋太一さん、半藤一利さんといった、もうこの世にはいない超絶した記憶力と論評力のレジェンドの、今となっては聞けない貴重な語りが収録されている。読み返すうちに、私は泣けてきた。私一人では行けないあの「日本史の知の蘊奥」に連れて行ってもらった一瞬の幸福の時を思い出して、頬を涙が伝ってきた。読者諸氏と、この至福の時間の雰囲気を、この書物でともにしたい。
以上、磯田道史の「私一人ではわからない日本史のその奥へ」より。
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