辺見庸の「入り江の幻影 新たな「戦時下」にて」(毎日新聞出版:2023年8月1日発行)を読みました。
諸君、戦争である。入り江に地獄の叫びが響く。
猛る軍事、煽られる有事、人の破壊・・・・・
社会の全域を浸蝕する「戦争」に、
魂の言葉だけが抗いうるだろう。
足の指がくすぐったい。犬が舐めているのだ。ますます台頭する強者の思想が鬱陶しい。名もなき者、力なき者、貧しき者たちのために、わたしは必至で戦ったことがあるのだろうか。9条を理想の盾として死ぬ気で闘争してきたか。「戦争状態は、人間の行為にあらかじめ影を落とす」としたら、いまがそうではないか。9条は実のところ、未だ実践されたことのない境地なのではないか。
「日々に朧なる『9条』」の幻視―気疎い戦争の時代に」より
目次
Ⅰ 入り江の幻影
Ⅱ 「新たな戦前」に際して
―『1★9★3★7』国際読書会の意義
日々に朧なる「9条」の幻視
―とても気疎い戦争の時代に
Ⅲ 1969
犬
無知の力と自由の制限
雨中のまどろみ
あの眼
「恥」と「誇り」と
空と血
「悩みのない存在」
カラマーゾフと現在
意識または痛覚について
Ⅳ これからどうなるのか?
核戦争の可能性と国家の論理
戦争の顔
砕かれた世界
事もなげな崩壊
はんぺん
「国葬」と戦争までの距離
大震災再来の予感
「国葬」の大いなる嘘
Ⅴ 宵闇
Ⅵ 肉の森
墓と接吻
―「神の皮肉な笑い」を聞きながら
「絶対の異界」を覘くこと
―『武田泰淳全集第五巻』に寄せて
「悔韓」のなかの中島敦生誕110年
過去・現在・近未来の闇
―「青い花」の咲くところ
壊(え)
「絶対感情」と「豹変」
―暗がりの心性
紊乱(びんらん)は、なぜひつようなのか
―寺山修司のいない空無のファシズム
辺見庸:
作家。1944年、宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て96年、退社。この間、 78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年、『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞受賞、2011年詩文集『生首』で中原中也賞、12年詩集『眼の海』で高見順賞、16年『増補版1★9★3★7』で城山三郎賞を受賞。他の著作に『赤い橋の下のぬるい水』『ゆで卵』『永遠の不服従のために』『抵抗論』『自分自身への審問』『死と滅亡のパンセ』『青い花』『霧の犬』『月』『純粋な幸福』『コロナ時代のパンセ』など多数。
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