チョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房:2018年12月10日初版第1刷発行、2019年2月10日初版第5刷発行)を読みました。
読み終わって、調べてみたら、なんと過去に文庫本で読んでました。しかも、映画も観ていました。
チョ・ナムジュ
『82年生まれ、キム・ジヨン』(2016年)
(筑摩書房 斎藤真理子訳 2019年)
https://www.chikumashobo.co.jp/special/kimjiyoung/
『82年生まれ、キム・ジヨン』というこちらの本は2016年に韓国で発売されました。その後、一大センセーションを巻き起こした存在となっております。韓国で130万部以上の販売部数を記録。また、2018年には日本でも翻訳され、こちらも20万部のベストセラーとなりました。その後去年、韓国で映画化され、日本でも公開されることになったわけなんです。
この『82年生まれ、キム・ジヨン』という本、主人公キム・ジヨンさんです。結婚出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨンという女性のことです。常に誰かの母であり、妻である彼女は時に閉じ込められているような感覚に陥ることがありました。そんな彼女を、夫のデヒョンさんは心配するんですが、本人はちょっと疲れているだけと深刻には受け止めていません。しかし、夫のデヒョンの悩みは深刻でした。妻は最近、まるで他人が乗り移ったような言動をとる。その時の記憶がすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて、真実を告げられず、一人精神科医に相談に行く。
以下、過去に書いたブログです。
チョ・ナムジュの「82年生まれ、キム・ジョン」(ちくま文庫:2023年2月10日第1刷発行)を読みました。この本についての評判は2019年初め頃から知ってはいました。新たに文庫本が出るというので、遅ればせながら購入したのは2月の初めでした。
まさにタイムリーというか、あまりにもピッタシです。「82年生まれ、キム・ジョン」、読んだはいいけど、いつブログにアップしようか迷っていました。それがなんと、英文学者の河野真太郎が、「リベラル男性の半端さ突く」と題して、今日の読書欄に記事を書いています。
生まれた年と韓国ではよくある女性名だけで構成された題名、そして表紙の顔のない女性の絵は、女性差別的で家父長的な社会に自己を奪われた女性を表現すると同時に、そういった経験の普遍性も表現している。顔のないキム・ジョンは、あなたかもしれないのだ。
女性の苦境に表面上の理解を示すリベラル男性(ジョンの夫や精神科医)の中途半端さこそが、家父長制を保存しているという痛いところもこの小説は突く。
本のカバー裏には、以下のようにあります。
キム・ジョンの人生を克明に振り返る中で、女性が人生で出会う差別を描き、絶大な共感で世界を揺るがした(事件的)小説、待望の文庫化!BTSのRMらが言及、チョン・ユミ、コン・ユ共演で映画化。韓国で136万部、にほんで23万部を突破。フェミニズム、韓国文学隆盛の契機となる。文庫化にあたり新たな著者メッセージと訳者あとがき、評論を収録。解説:伊東順子 評論:ウンユ
実は去年の夏頃に刊行された、斎藤真理子の「韓国文学の中心にあるもの」という本を持っています。もちろん読もうとしてはいますが、今までは積読状態でした。「82年生まれ、キム・ジョン」を読んだことにより、「韓国文学の中心にあるもの」を読むのに拍車がかかる、と言うもの。斎藤真理子は「82年生まれ、キム・ジョン」の訳者です。
斎藤真理子は「キム・ジョンのもたらしたもの」として、以下のように述べます。
2018年に日本に降臨したキム・ジョンは、何よりも「社会構造が差別を作り出している」「自分は、その構造によって規制を受けている、当事者そのものだ」という覚醒を、多くの読者にもたらした。私はそこに、個人の中の社会と社会の中の個人を浮き彫りにする韓国文学の底力を感じる。
以下、「韓国文学の中心にあるもの」より・・・。
ちなみに2018年という年は、日本のフェミニズムのすそ野が広がるような、女性たちが起こってしますような事件がいろいろ起きた年だった。それまでにも伊藤詩織さんによるレイプ事件の告発や、ツイッターへの「保育園落ちた、日本死ね」という投稿などがきっかけとなって女性たちの怒りは可視化されてきたが、この年の動きは大きかった。4月には福田淳一財務事務次官のセクハラ発言、夏には東京医科大学をはじめとする医学部不正入試問題、男性受験者が「下駄をはかせてもらっている」という噂は従来からささやかれてきた、等々。
学校に入ると、先生が男女に不公平な扱いをする。高校でバス通学を始めると痴漢に合う。ジョンが大学に入る頃には女性の大学進学率も上がっていたが、就職は圧倒的に女性に不利だ。やっと入社した会社でも、女性には目に見えない壁が設定されている。広告代理店で仕事をし、結婚し、結婚後も当然働き続ける。しかし出産によって会社を辞めざるを得なくなる。そしてワンオペ育児が直接の引き金となって、ジョンは精神に変調をきたしていく。
赤ん坊を連れて散歩に出た公園で、近くにいた会社員風の若い人たちに「ママ虫」と陰口をたたかれたことでジョンは限界を迎えてしまう。「ママ虫」とは、子供を保育園に預けて遊びまわる母親に投げられるネットスラングのこと。「死ぬほど痛い思いをして赤ちゃん生んで、私の生活も、仕事も、夢も捨てて、自分の人生や私自身のことはほったらかしにして子供を育てているのに、虫だって。害虫なんだって。私、どうすればいい?」夫にそう訴えてジョンは泣き出します。
河野真太郎は言う。
原作は男性精神科医の語りの枠が、キム・ジョンを苦しめる家父長制の再生産について非常に皮肉でダークな結末をもたらしているが、同時に彼女の人生に関わる女性たちがいかに粘り強く家父長制と闘って来たかを小説ならではの方法で語ってもいる。キム・ジョンの「病」は個人的なものではなく、社会がもたらしたものである、それゆえにこそ、連帯と社会によって解決できる、と言う希望も、この小説は暗闇の中に見いだすのだ。
朝日新聞:2023年3月25日
「韓国文学の中心にあるもの」
2022年7月16日初版第1刷発行
2022年10月3日初版第2刷発行
著者:斎藤真理子
発行所:株式会社イースト・プレス
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