第169回芥川賞候補作、市川沙央の「ハンチバック」を読みました。
この作品は、第128回文學界新人賞受賞作です。選考委員は、青山七恵、阿部和重、金原ひとみ、中村文則、村田沙耶香の五名です。
僕の読後感よりも、村田沙耶香と金原ひとみの選評を、以下に載せます。付け加えることはありません。二人とも絶賛です。
文學界新人賞から芥川賞へと、直結することが往々にしてありますが、今回もそのことが言えそうです。
村田沙耶香の選評です。
「ハンチバック」を私は一番に推した。舞台となっているグループホーム、医療器具などの描写が緻密で、主人公の肉体感覚の描写が、肉体だけでなく彼女に繋がれている器具の一つ一つの感触や温度と接続しており、一文一文の描写力に圧倒された。主人公が、重度障碍者なだけではなく、金銭的には裕福であるという構造にも強く引かれた。
他の作品にもマスクや新型コロナなどが登場したが、この作品での扱いは切実で、必然であると感じさせられた。「あらゆる活字には書き手がいる」と主人公が書いているように、冒頭のハップニングバーの潜入記事、TL小説のあえぎ声、大学の課題に答える文章、全てが同等の「言葉」として扱われているように感じられ、それは当然のことであるのに鮮烈な印象を受けた。紙の本での読書を楽しむ特権性への言及など、忘れがたく自分に刻まれる言葉が詰まっていて、とにかくこの作品が出版され、この作品が本になって存在する側の世界になることを強く望ませる力を持っていた。
ラストの展開は賛否分かれるだろうと一読したときに思った。この部分がなければもっとよかったという気持ちと、この部分がないとこの小説に対して読み手が感じる「良さ」はあまりにも傲慢なのではないかという気持ち、両方に襲われ、何度も読み返しても意見はまとまらなかった。しかし、この作品が受賞したことを、読み手として心から嬉しく思う。選考会という場所でこれだけの力と印象を与える作品に出会えたことに心から感謝したいと思う。
金原ひとみの選評です。
「ハンチバック」、本作を一番に推した。両親から多額の遺産と終の住処として
わすれがたくグループホームを残されたミオチュブラー・ミオパチー患者の主人公が、ハップニングバーのエロ記事を書いているシーンから始まる本作は、その設定だけで期待大だったが、期待を上回る体験を与えてくれた。設定負けするのではという不安は裏切られ、むしろ緊張感が漂うまでに密度の濃い文章、主人公に渦巻く切実な憎悪と渇望に「小説にとって食われるのでは」と初めての恐怖を抱くほどだった。
気道に溜まった痰を定期的にカテーテルで吸い出す主人公の「本当の息苦しさも知らない癖に」という健常者への苛立ち、「健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモ」など、これまで自分が想像したこともなかった視点から繰り出される言葉は重厚で、知的かつユーモラスに描かれているものの己の安住を突きつけられた。ラストのみ詰めの甘さを感じ、選考会でもそこが争点になったが、それを差し引いても十分受賞に値する作品だと私は思う。
安易な共感を決して許さない小説だ。綺麗事でも倫理でも包括できない人間それ自体を、この短い枚数で余すことなく表現している。小説に込められた強大な熱量にねじ伏せられたかのようで、読後しばらく生きた心地がしなかった。