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Channel: とんとん・にっき
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第169回芥川賞候補作、石田夏穂の「我が手の太陽」を読んだ!

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珍しく芥川賞候補作全作品が手に入りました。

 

 

まずは、第169回芥川賞候補作、石田夏穂の「我が手の太陽」を読みました。

 

「我が手の太陽」は、以下のように始まります。

初めて金属を溶かしたのは、小学校の頃だ。

渡された針金は、思っていたよりやわらかかった。何回か曲げればたちまち真っ二つに折れる気がするのに、一向に折れない。そのうち先端が爪に入り、ドキリとしたときには出血していた。血が爪の形に広がり、先生に見つかったら不味いと急ぎ拳を作った。

 

「これ、直近の欠陥率」、半年振りに事務所に寄ると、伊東は別室に呼び出された。カワダからあ一枚のコピーを渡され、そこにはカワダ工業が独自に管理する溶接工の欠陥率が記されていた。伊東の直近四半期の欄に「一・六」とある。

 

伊東は新幹線で浜松から東京に戻ったばかりだった。そのまま真っ直ぐ板橋の事務所に来て。言い渡されたのが高い欠陥率と、思ってもいない次の現場だ。ビルの解体現場など自分の本業ではない。自分は溶接工だ。ガスの仕事などその辺の誰かがすればいい。

 

この間まで、伊東はカワダ工業に在籍する三十二人の溶接工の中で、いちばん欠陥率の低い溶接工だった。過去十年にわたり「カワダのエース」で、欠陥率の紙なら皆に見せて回りたいくらいだった。

 

「仕方ないよ、やり直しだ」、伊東は四本目の主蒸気管に氣孔欠陥がみつかり、夜中にやり直しをしているときに、安全帯を付けてないことが見つかってしまう。「安全帯未使用」の罪は重い。カワダ工業も伊東にペナルティを科し、向こう一年は溶接作業禁止になった。

 

堺は快晴だった。牧野として現場に入構す、その日ハジメマシテの配管工と作業場所に向かった。はじめは緊張したが、作業員は作業していればまず誰何などされない。

新品のバルブは片手のやや重い程度だ。配管溶接はだいたい「突き合わせ溶接」だが、こういう小口径だと差し込み型の「隅肉溶接」になる。一般にT字の角に溶接する「隅肉」のほうが「突き合わせ」より難易度が低い。そう自分に言い聞かせた。

 

配管工がトイレに立つと、伊東は素手になった。先程からそうしたくて堪らなかったのだ。拳を作ると硬化した皮膚から粘っこい体液が滲む。不快なのはまだしもそれで指が滑るのがいけない。本当は手袋などしないほうが治りは早いのだろうが、そうもいかなかった。

 

カラーン、と、それはピョンピョン左右に跳ねた取り出した直後の長い溶接棒だった。異様にピョンピョン跳ねている。そのころになり、伊東は左手が痙攣したのだとわかった。脚を攣ったときのように、中の筋が引き攣ったのだった。

 

「さっき溶接棒おとした?」ぎょっと振り返ると配管工がいた。「大丈夫?手が滑った?それとも腱鞘炎か何か?」「うるさい」吠えると配管工は黙った。怒鳴るつもりはなかった。「いや、何か今朝から庇ってる風だったから。まあ定修だから仕方ないけど、あまり無理しないほうがいいよ」

 

その言葉を伊東は聞かなかった。代わりにこう思った。配管工の癖に生意気いうなと。お前と自分では仕事の格が違う。お前の仕事は誰にでもできるが自分の仕事は違う。背筋が震えた。「ごめん」口にした時にはすでに、配管工はいなかった。

 

再度、二周目に掛ろうとするが、手が、動かなかった。また引き攣ったら、どうする。

 

第169回芥川賞候補作、建設現場のことは、これでもかというほど詳細に描写しています。その描写力は、熟練の域に達していて見事です。が、芥川賞候補作としては、残念ながらテーマがやや違うような気がします。


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