多和田葉子の「白鶴亮翅(はっかくりょうし)」(朝日新聞出版:2023年5月30日第1刷発行)を読みました。
初出は「朝日新聞」2022年2月1日から8月14日まで連載されたもので、書籍化にあたって加筆修正されたものです。
僕は朝日新聞をとっているので、多和田葉子の小説が連載されるというので、初めは新聞小説を読み始めたのですが、どういうわけか読むのが辛くなって、連載を読むのをやめました。文章の意味を受け取るのが難しく、固く感じられたからです。ところが今回書籍化されたものを読んでみると、意外や意外読みやすく、どうして読むのをやめてしまったのか、まったく思い当たりません。「白鶴亮翅」という漢字が拒否反応を示したのかもしれません。
隣人Mさんは東プロイセンで生まれ、終戦前にドイツに引き揚げてきた。美砂はプルーセン人の来し方を聞きながら、第二次大戦前後のドイツと日本の歴史、土地からの追放、戦時の死者数、国や民族、境界について考える。太極拳学校では、ロシア人富豪のアリョーナ、お菓子づくりのベッカー、英語教師のロザリンデと共に、鶴が羽を広げるように右腕を力強く上げる技「白鶴亮翅」を習う。世界の名作、ハムレット、グリム童話、楢山節考を、女性の視点から読み直してみると…。
家に帰ると早速「白い鶴が羽を広げる」フォームを漢字でどう書くのか調べてみた。「白鶴亮翅」。四文字並んでいると豪華な邸宅のようだ。安定した「白」と「亮」の字は建築物のしっかりした骨組みを伝え、「鶴」と「翅」は建築物にきらびやかな装飾模様を加え、壁に生えた蔦の葉が風に揺れ、そこに集まる蝶の羽の動きや光の戯れまで伝わってきた。
日本語のサイトだったので、「白鶴亮翅」の後に続くマル括弧の中に「バイ・フー・リャン・チィ」とカタカナで読み方が書いてあった。カタカナがブリキのおもちゃにように見えた。それに加えて、ひらがなで「はっかくりょうし」と書いてある。音だけ聞いたら「八画漁師」という字が浮かんでしまうかもしれない。日本に行って「はっかくりょうし」と発音しても、漢字を見せなければ意味は通じない。わたしは「はっかくりょうし」という不思議な響きに包まれ、一人取り残されたような孤独を感じた。(本文より)
多和田葉子:
1960年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業、ハンブルク大学修士課程修了、チューリッヒ大学博士課程修了。82年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。93年「犬婿入り」で芥川賞、2000年「ヒナギクのお茶の場合」で泉鏡花文学賞、03年「容疑者の夜行列車」で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、05年ゲーテ・メダル、11年「雪の練習生」で野間文芸賞、13年「雲をつかむ話」で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。16年ドイツのクライスト賞、18年「献灯使」で全米図書賞(翻訳文学部門)、20年朝日賞などを受賞多数。
著書に「ゴットハルト鉄道」「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」「旅をする裸の眼」「ボルドーの義兄」「言葉と歩く旅」「地球jにちりばめられて」「穴あきエフの初恋祭り」「星に仄めかされて」「太陽諸島」ほか多数。
過去の関連記事: