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100分de名著「ヘーゲル 精神現象学」!

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5月の100分de名著は「ヘーゲル 精神現象学」です。

(昨日からです)

 

プロデューサーAのおもわく

19世紀初頭に活躍した哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770 - 1831)は近代哲学の完成者ともいわれます。彼が確立した哲学は「ドイツ観念論」と呼ばれ、現代思想にも大きな影響を与え続けてきました。そんなヘーゲルが、人間の実践のアンサンブルとして歴史、社会、文化をとらえ直し、解明しようとしたのが主著の一つ「精神現象学」です。哲学史上、最も難解な名著の一つといわれるこの著作をわかりやすく読み解き、現代に通じるメッセージを掘り起こします。

「精神現象学」が書かれた19世紀初頭のヨーロッパは、未だフランス革命の余波の中にあり、まだ領邦国家に分裂し統一国家の体をなしていなかったドイツはナポレオンに蹂躙されつつありました。時代が激動する中、どうしたら理想的な共同体を実現することができるのか、その共同体の中で人間はいかにして真の自由を獲得できるのかを考え抜いたヘーゲルは、哲学の立場から、人類の営みの総体をとらえうる理論を生み出そうとして主著「精神現象学」を執筆します。それは、これまでの哲学とは異なり、文化全体、社会全体を視座に入れ、それらをダイナミックに生成・発展していく運動として記述する革新的な試みでした。

哲学研究者、斎藤幸平さんは、価値観や世界観が厳しく分断し、対立を深めつつある現代社会でこそ「精神現象学」を読み直す価値があるといいます。ヘーゲル哲学には、互いの差異を認め合い、自身も変容しながら、新しい次元での対話の可能性を拓くために何が必要なのかを考えるための大きなヒントがあるというのです。

番組では、斎藤幸平さんを指南役として招き、哲学史上屈指の名著といわれる「精神現象学」を分り易く解説。ヘーゲル哲学を現代につなげて解釈し、「自由とは何か」「互いに認め合うとはどういうことか」「多様で自由な共同体を築くには何が必要か」を学んでいきます。

 

 

 

 

 

 

第1回 奴隷の絶望の先に

     「弁証法」と「承認」

フランス革命の余波がさめやらぬ19世紀初頭のヨーロッパ。既存の価値観が大きくゆらぐ中で、どんな共同体を築いていくのが理想的なのか、その中でどのように自由を実現したらよいのかといった問題に人々は直面した。ヘーゲルはこうした問いを深める中で「精神現象学」を執筆。「精神」というユニークな概念を提示し、歴史全体、社会全体を射程に入れた理論を展開する。それらが矛盾・対立を乗り越えつつダイナミックに生成・発展していくプロセスを「弁証法」というロジックで描き出そうとするのだ。それは「主-客図式」に固定した近代哲学にはなしえなかった壮挙だった。第一回は、「精神現象学」の執筆背景やヘーゲルの人物像も紹介しながら、ヘーゲルが「弁証法」といった概念で何を伝えようとしていたのかを読み解いていく。

 

第2階 論破がもたらすもの

     「疎外」と「教養」

与えられた秩序をただ受け容れ人々の役割も固定されていた前近代社会。それに対して、近代社会は、伝統や既存のルールから距離を置き、物事を自立的に考えはじめた社会だ。人々は今までにない自由を得るが、絶対的基準は存在しなくなり、社会が分断と対立に陥っていく危険性も出てくる。ヘーゲルは「疎外」「教養」といった独自の概念を使って、そうした状況を克明に分析していく。それは「なんでも論破したがる人」が蔓延する現代にも通じる事態だ。第二回は、小説「ラモーの甥」や「国権と財富の対立」の分析を通して、社会が分断と対立に陥るメカニズムを明らかにし、私たちがそれを避けることはできるのかを考察する。

 

第3回 理性は薔薇で踊りだす

     「啓蒙」と「信仰」

社会の分断や対立に対して私たちはどう向きあえばよいのか。ヘーゲルは、「啓蒙」と「信仰」という概念を使って、分断していく社会の問題点を明らかにしていく。理性によって迷妄を一刀両断し「信仰」を批判する「啓蒙」。だが、「啓蒙」は「信仰」にも人々を豊かにする側面があることを見落としている。ヘーゲルは、いきすぎた科学主義や啓蒙がないがしろにしがちな芸術・宗教といった「人生を豊かにするもの」を、「薔薇」というメタファーで表現しそれをも取り込んだ新たな理性のあり方を模索する。第三回は、「啓蒙」「信仰」という概念を通して、人々が互いの差異を認め合い、豊かに共存していくためには何が必要かを考えていく。

 

第4回 それでも共に生きていく

     「告白」と「赦し」

ヘーゲルが到達するべきゴールとして提示した「絶対知」は長らく誤読されてきた。「絶対知」は全てを知りうる神の視点などではない。相互承認によって対立がなくなるのではなく、緊張関係から生じる対立を相互承認で調停して問い直していくというプロセスは永遠に続いていく。この「新たな知へと開かれた始まり」こそ「絶対知」なのだ。第四回は、ヘーゲルが到達点として求めた「絶対知」の現代的な意味を明らかにし、オープンで多様な知や社会のありようがどんなものなのかを考えるとともに、それが実現するためには何が必要かを考察する。

 


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