大江健三郎×古井由吉「文学の淵を渡る」(新潮文庫:平成30年1月1日)を読みました。
聖なるものと優れた小説がともにもつ、明快にして難解な言葉の有り様を語り、鴎外から中上健次まで百年間の名作小説を、実作者の眼で再検証する。また、外国詩を読み、翻訳する喜びを確認し合う傍らで、自らの表現を更新するたび「+1」を切望する、創作時の想いを明かす。日本文学の最前線を半世紀を超えて走り続けた小説家が、それぞれの晩年性(レイトネス)から文学の過去と未来を遠望する対談集。
圧巻は、「百年の短篇小説を読む」です。
創刊以来「新潮」に掲載された短篇の中から選んだ、森鴎外の「身上話」から始まって中上健次の「重力の都」まで三十五編を通して読んでいただいた感想を伺い、日本の近・現代文学において短篇小説が持っている意味合いを話し合うというもの。
二人とも、細かいところまでよく知っています。まず森鴎外の「身上話」。古井は、鴎外が短篇を書き出したのはずいぶん歳が行ってからですね。いろいろな試みの末、書き出す。から始まって、大江の、「重力の都」で締めくくることになりますが、僕、これに感心しないんですよ。中上健次という作家はもっといい短篇を書ける人だったのじゃないか。いつの頃からか中上健次伝説をなぞるような小説を、荒っぽく膈兪になった。まで。確かにこの「重力の都」という作品が一つあるということは、やはり、この百年の文学の中で、戦後世代が九回裏に一点加点するということですね。と締めくくります。
もちろん、海外の作品も俎上に…。
ボードレール、マラルメ、リルケ、ブレイク、ダンテ、イェイツ、R・S・トーマス、エリオット、オーデン…。など。そして漢語も…。
古井は、こんなことも・・・。
とこどき、「古井さん、なんでそんなに立て続けに仕事をなさるのですか」なんて聞かれるのだけれど、仕事を続けるにもエネルギーが要るけど、仕事をしないでいるにもエネルギーが要るんです(笑)。で、年老いてから仕事をしないでいるのに耐えるのはなかなか難しい。第一、過去の作品が次の作品を要求するでしょう? 著者は仕事をしようと思わなくても、作品が次を要求する。
それに対して、大江は・・・。
私は仕事をしないでいる勇気と根気がないんです。子供の時、青年の時以来、なにかする持続力がない。というのじゃなく、なにもしないでじっとしている持続力がないのが、私の根本的な欠陥なんです。と。
大江健三郎:
1935(昭和10)年、愛媛県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。在学中に「奇妙な仕事」で注目され、58年「飼育」で芥川賞を受賞。94(平成6)年ノーベル文学賞受賞。主な作品に「個人的な体験」「万延元年のフットボール」「洪水はわが魂に及び」「懐かしい年への手紙」「「燃えあがる緑の木」三部作」「「おかしな二人組」三部作」「水死」「晩年様式集」などがある。
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古井由吉:
1937(昭和12)年、東京生まれ。東京大学文学部独文科修士課程修了。71年「杳子(ようこ)」で芥川賞受賞。その後、80年「栖(すみか)」で日本文学大賞、83年「槿(あさがお)」で谷崎潤一郎賞、87年「中山坂」で川端康成文学賞、90(平成2)年「仮往生伝試文」で読売文学賞、97年「白髪の唄」で毎日芸術賞を受賞。その他の著作に「楽天記」「白暗淵」「鐘の渡り」「ゆらぐ玉の緒」など。2012年「古井由吉自撰作品」(全八巻)を刊行。
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