読売新聞オンライン(2023年2月1日)によると、
世界で最も権威のある文学賞の一つである「全米批評家協会賞」の小説部門で作家、川上未映子さん(46)の「すべて真夜中の恋人たち」の英訳版が、最終候補作品に選ばれたと講談社が1日、発表した。受賞作は3月23日(現地時間)に決定する。
というニュースが…。
これは読まなきゃ、と大慌てでアマゾンに注文し、やっと届きました。
ところが読んでいたんですね、「群像2011年9月号」で。しかも、ブログに書いていました。
本のカバー裏には以下のようにあります。
「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う」。わたしは、人と言葉を交わしたりすることにさえ自信がもてない。誰もいない部屋で校正の仕事をする、そんな日々のなかで三束さんにであった…。芥川賞作家が描く究極の恋愛は、心迷うすべての人にかけがえのない光を教えてくれる。渾身の長篇小説。
そんなわけで、大筋は変えないで、過去の書いたものを下に載せておきます。
以下、再掲・・・。
「群像2011年9月号」に掲載されている川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」を読みました。「長篇450枚一挙掲載」とあるのが効いています。川上の長篇を読むのは、2009年9月発売の400枚「ヘヴン」以来、その後2年をかけて書き上げた作品です。長篇4作目にあたる「すべて真夜中の恋人たち」は、「ヘヴン」より50枚も多い長篇だということです。とはいえ、中学生のいじめを書いた「ヘヴン」と比べると、恋愛小説なのでだいぶ読み易くなっていて、一気に読めました。「ただ当たり前のように孤独を生きてきたわたしが、始めて人を好きになった。34歳の夏だった。いま、ここにしか存在しない恋愛の究極を問う衝撃作」と、いかにもありそうな設定なので、読まないわけにはいきません。
著者がどこを紹介していいのか分からないという「すべて真夜中の恋人たち」、主人公は、フリーランスの校閲の仕事をしている入江冬子、34歳。12月、この冬が来たら35歳になる。独り暮らしで、ずっと同じアパートに住んでいる。生まれは長野、谷の方。1年に一度だけ、誕生日の真夜中に、散歩に出ることが楽しみ。そんな楽しみなんて誰にも理解されないだろうし、誰かに話したこともありません。ふだん話しをするような友だちもいない。大学を卒業して始めて働いたのは小さな出版社で、1冊の本になる前の様々な文章を何度もくりかえし読んで、つまり朝から夜までただひたすら間違いを探す校閲という仕事があって、その小さな会社の校閲者でした。
石川聖を紹介してくれたのは恭子さん、勤めていた会社で働いていた編集者で、いまは独立して編集プロダクションを経営しています。会ってみると、恭子さんは誰かわからないくらいに太っていて驚いたけど、今はもう40歳を過ぎたあたりでした。彼女と仕事をしている大手の出版社がフリーランスの校閲者を探していることで、冬子を思い出して、アルバイト感覚で少しだけ助けてやって欲しいと、声をかけてくれたというわけです。冬子はその頃、小さな会社にある独特の雰囲気に慣れることができなく、人間関係に疲れてしまっていました。毎晩やってくる、眠るまでの数時間を、私はいったい何をして過ごしているのだろう? そして仕事を始めるまでのあの膨大な時間を、私は何で埋めてきたのだろう? 冬子には思い出せるものは何もありません。
聖は大手出版社の社員で、その巨大な会社の校閲局に所属、校閲の仕事もしているが、フリーランスの校閲者や外部のプロダクションの窓口もしています。冬子と同じ年で同じ長野県の出身。それ以外は共通点と呼べそうなものはひとつもなかったのに、なぜか聖は冬子に対して、とても親切にしてくれていました。聖は頭の回転が速く、誰に対してもはっきりとものを言う性格です。最初はアルバイトで、家に帰ってから仕事をしていたのですが、1年が過ぎた頃、居心地が悪くなっていた会社の事情を話したら、だったらフリーランスでやるのもありかもねと聖に言われます。
いまから9年前の冬、冬子25歳の誕生日の夜が午後11時を過ぎたあたりで、ふと、真夜中を歩いてみようと思い立ちます。12月の空気は均質にぴんとはりつめ、見上げると上空は猛スピードで雲が流れています。真っ白に輝く月が顔を出します。それから毎年、誕生日の夜に、冬子は散歩に出るようになります。回ってくる原稿の数も収入も安定していたし、誰もいない家で、ゲラと向き合い、言葉と文章を洗い直すことは、会社でするのとはまったく違う充実感で満ちていました。「あなたの仕事への姿勢を信頼しているの。つまり、あなたを信頼しているの」と聖に背中を押され、会社を辞めて、冬子はフリーランスの校閲者になりました。
ある日、夜の10時半を過ぎる頃、携帯の電話が鳴りました。着信通知を見なくてもそれが聖であることが分かりました。聖は会社の飲み会が終わったところで、「今からちょっとだけ出てこない?」と、そして「べつにこれという話しはないけど、なんか、話そうよ」と、聖は言う。呼び出された店は瀟洒なバー、彼女は赤いワンピースの上に、ビーズの刺繍があるグレーのカーディガンを羽織っています。「スピリチュアルでもエコでも何でもいいけど、ああいう考え方って、ひたすらにさもしいと思わない?」とか、「わたし、この手の話すると、けっこう止まらないのよね」と、その夜は聖の独壇場です。「あなたは飲まないの? 飲めないの?」と聞かれ、「飲めないのよ」と答えます。
毎日15時間以上机に向かい、それが2週間続きます。やっと完成して、聖に会社に直接届けに行きます。帰りに新宿の街をぼんやり歩いていると、声をかけられて献血に協力させられたりもします。ふとガラス窓を見ると、色あせたジーパンをはいて34歳の自分の姿が目に入ります。天気のいい日に街へ出てきても、どうやって楽しめばいいのかも分からない、哀れな女の人でした。仕事が終わってから眠るまで、時間があるときには、お酒を飲むようになりました。無料でもらったカルチャーセンターの講座案内を見ていて、どんな雰囲気なのか見に行ってみました。日本酒をあおり、眠気がやってきたので缶コーヒーを一気に飲んで、申し込みをするために窓口へ行くと、整理番号の券を渡されます。なかなか呼ばれないうちに、気分が悪くなり、トイレに駆け込みます。間に合わなくてトイレの入口で吐いてしまうと、男性用トイレから出てきた人とぶつかってしまいます。
年齢は白髪で50代半ば、色褪せたポロシャツを着て、胸のポケットにはペンが何本かささっています。吐いたときに使った汚れた雑巾を新しいのと取り替えるために、次の週、カルチャーセンターへ行くと、またその男性と出会います。飲んで行ったのでソファーで寝ている間にトートバックを盗まれたりします。帰りの交通費を男性から1000円を借りて、お互いの名前と電話番号を交換します。男性は「三束さん」、女子高校の物理の先生。お金を返すために待ち合わせた喫茶店で、それから毎週会うようになり、光の話とか、他愛のない話をします。帰りは2人で駅まで歩き、左右に分かれた階段で変える方向に歩きます。思い切って振り返り、あの、と大きな声を出すと、三束さんはこちらを見ます。切ない恋の始まり、です。
お盆があけた月曜日に、聖から電話がありました。聖は5泊6日でサムイ島に行き、一緒に行った人が象に乗りたいというから象に乗ったのだという。その人とは長く付き合ってるのと聞くと、付き合ってないよ、そういう人じゃない人、という。10代の頃と違い、言葉よりもさきに関係があってしまう、というか、それしかないというか、と聖は言います。あなた、こんな話題にのってくるの、初めてだよね、なんかあったの?と逆に返されます。女34年、生きることにコツがあるとすれば、全面的に深刻にならないことよね、と聖は言います。うれしいとか、悲しいとか、なんでも、そんなのっていつか仕事で読んだりふれたりした文章の引用じゃないかって思えるの。「しょせん何かからの引用じゃないか、自前のものなんて、何もないんじゃないのか」という気持ち。聖の話を聞きながら、冬子は三束さんの後ろ姿を思い出します。
冬子が始めてセックスをしたのは、高校三年の時、相手はクラスメートの水野くん。終わった後に、「君をみてると、ほんとうにいらいらするんだよ」と言われて、それっきり。あれから一度もセックスをしたことがない。紹介しておいて何だけどと、恭子さんは「石川さんって、けっこうもめごとが多いのよね」とか、「彼女、男癖も悪いのよね」とか、聖のことを言いにきたりします。冬子は、仕事を終えてお酒を飲んで、ぼんやりした時間をどう過ごしていいのか分かりません。言いようのない寂しさが込み上げてきます。三束さんからもらったCDで、ショパンの子守唄を一日中聴いています。毎週木曜日になると、三束さんのいる喫茶店に出かけます。三束さんの年齢が58歳なのを知り、勤めている学校の名前と三束さんの最寄り駅を知り、身長が173センチであること、血液型がA型であることを知ります。
聖が電話で、私が着ていたグレーのカーディガン、覚えてる?と言い、あれいらない?と聞きます。ほかにも色々あるから適当にまとめて送ると一方的に言います。気に入ったら着て、いらなければ捨てて、と聖が言って電話が切れます。高校時代の友人が突然訪ねてきて、「15年とか、嘘みたい」と言いながら、自分たち夫婦がセックスレスだとか、お互いが浮気しているだとか、言いたいことだけ言って帰って行きます。友人と別れてから、雨の中をぼんやりと渋谷を歩いていると、「何みてんだよババア、ブスが」と言われたりもします。三束さんとあう喫茶店へ行ってみると、雨の中に三束さんが立っていました。「三束さん、わたしと話すのは楽しいですか」と聞いてしまいます。「いつものわたしは、お酒を飲んでいるんです。飲んでないとまともに話もできないような人間なんです」と言うと、三束さんは「知っています」と答えます。「人には、いろんな事情があると思うので」と続けます。
1日に2時間仕事をして、あとはずっと寝て暮らしています。なぜわたしは、こんなに苦しい気持ちでいるのだろう。わたしは三束さんのことが好きだった会わなくなって3週間が過ぎようとしていました。部屋の隅にあって、聖から届いた段ボール箱をあけると、高価な部類に入る衣類がたくさん詰まっていました。使ってない上下の下着も、ハイヒールもありました。キャメルのコートを羽織ってみました。ポケットにはレストランの名刺で、「ヌレセバ」と書かれていました。冬子はとても長く眠るようになり、夜にはたくさんの夢をみるようになります。三束さんと布団の中で体をあわせたりもします。けれどもいつの間にか、わたしではなく、それが聖であることに気がつきます。わたしは自分の意志で何かを選んで、それを実現させたことがあっただろうか。三束さんに会わなければ、わたしの大事なことを忘れてしまうと、突然思います。
三束さんの誕生日に、ハイヒールを履き、上下お揃いの下着を身に着け、カシミヤのグリーンの薄いセーターを着て、紺色のウールのスカートをはき、キャメルのコートを羽織って、三束さんと予約していた高級レストランに向かいます。行く前には美容院へ行って髪を3センチ切り、化粧もしてもらいます。全体的に意志の強さを感じさせる顔になったような気がしています。このお店はよく来るんですか?と三束さん、私も初めてなんですけど友だちがいいって言っていたので予約したんですと冬子。変わった名前ですね。「ヌレセパ」です。フランス語で、ほおって置かないで、という意味です、とお店の女性が教えてくれます。「今日は、くっきりした顔をされていますね」と、三束さんは早口で言います。
三束さんと始めて飲んだお酒は体全体に心地良くゆきわたり、手も足も時間がたつごとにどんどん軽くなるようでした。2人は、駅までの道をゆっくりと歩きます。三束さん、と冬子は三束さんの名前を呼びます。三束さんは見つめているだけで、返事をしません。どちらからともなく、手が触れます。三束さんに触れているのだと思うと、冬子の胸が締め付けられます。「わたしの誕生日を、一緒に過ごしてくれませんか?」と、冬子は泣きながら三束さんにお願いします。三束さんは、冬子の顔をみて何度も肯いているのがみえます。それをみて、冬子は両手で顔を覆って声を上げて泣きます。
今夜起きたことのすべてを事細かに思い出しながら、アパートの前までやって来たとき、階段のわきの電柱のあたりで人影のようなものが動くのが見えました。その人影は街灯の下にゆっくりと歩み出てきました。聖でした。
ここからが実は圧巻、一気に高みに駆け上り、川上未映子の本領発揮、しかし、いわゆるネタバレとなるので、書くのは差し控えます。
川上未映子:略歴
1976年8月29日、大阪府生まれ。2007年、デビュー小説「わたくし率イン 歯ー、または世界」が第137回芥川賞候補に。同年第一回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞受賞。2008年、「乳と卵」(文藝春秋)で第138回芥川龍之介賞を受賞。2009年、詩集「先端で、さすわさされるわそらええわ」(青土社)で第14回中原中也賞受賞。2010年、長篇小説「ヘヴン」(講談社)が紫式部文学賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。 2013年、詩集「水瓶」で高見順賞を受賞。他の著書に「すべて真夜中の恋人たち」など。
初出「群像」2011年9月号
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