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多和田葉子の「パウル・ツェランと中国の天使」を読んだ!

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多和田葉子の「パウル・ツェランと中国の天使」(文芸春秋:2023年1月10日第1刷)を読みました。カバーは、吉川あい子の「糸かけ曼荼羅『地球』」です。

 

多和田葉子がドイツ語で書き下ろしたこの小説、今までの多和田葉子の小説とはまったくく異なります。本文はたったの123ページ、ですが、いや~っ、難しい、僕にとってはとんでもなく難しい。まいりました。

例えば、「訳注」が134ページから183ページにわたって、なんと181もあります。それを読むだけでもくたびれます。今までそんな本、見たことありません。そして「訳者によるエピローグ」があり、「訳者解説」があります。

しかたがない、非力ながら恥を忍んでなんとか書いてみましょう。

 

以下、訳者解説による。

パウル・ツェランについて

ツェランは1920年、当時ルーマニア領で現在はウクライナに属するチェルニウツィのドイツを話すユダヤ人家庭に生まれた。・・・1942年の6月末、父と母がナチスに連行され、秋に父はチフスがもとで亡くなり、冬に母はナチスによる「うなじ打ち」で命を奪われた。ツェラン自身は知り合いのもとに隠れていたためそのとき難を逃れたが、44年2月まで労働収容所で肉体労働を強いられ、生死の間をさまよった。そしてソ連により共産化された古郷から1945年ルーマニアにのがれ、ブカレストで2年間を過ごし、ロシア書籍で翻訳者兼編集者として糊口をしのいだ。1947年末、危険な国境地帯を抜けてウィーンへと脱出する。翌6月には終の住処となるパリへと旅立った。

パリに到着してからの彼は、パリ大学で学士号を取得し、詩人としても着実にキャリアを積み、一作ご詩境を深め、評価を高めていった。

彼の詩は高く評価され、1958年にはブレーメン文学賞、そして1960年にはドイツ語圏で最高の文学賞と言われるゲオルク・ビューヒナー賞を受賞している。またドイツの諸都市で精力的に朗読会を行い、ドイツ内外の作家や知識人たちと交わり、60年代の後半には、すでにドイツ語圏でさあ以降の詩人であるという評価が確立していた。

60年代の後半、ツェランは精神の危機と闘いながらも、独自の詩境を深め、さまざまな人物と会い、また新しい試みに取り組んだ。1967年夏にはフライブルグでハイデガーと会い、長治いかんにわたって話し合った。1969年の秋には初めてイスラエルに旅行し、多くの旧友と再会し、また知識人とも語り合ったが、彼は同じユダヤ人でありながら異なる立場から疎外感を味わねばならなかった。晩年は妻子とも別れて一人で住み、1970年4月にセーヌ川に投身自殺した。

 

引用が長くなりましたが、

詩集「糸の太陽たち」について

本小説にはツェランの詩かが随所にちりばめられているが、その中心をなすのが、詩人が生存中に刊行された最後の詩集「糸の太陽たち」(1968)である。若き研究者であるパトリックは、この詩集についてパリのパウル・ツェラン学会で発表しようともくろんでおり、彼の行動や空想を詩集から引用された詩句によって綴られていく。ある意味でパトリックはツェランの詩を生きているとも言える。

ツェラン研究は没後50年を経た今日では、その全貌を把握するのが不可能なほど膨大な数に達しているが、「糸の太陽たち」に関する研究は驚くほど少ない。その理由は、どの詩も詩人の陥っている深刻な精神の危機を色濃く反映して、あまりにも難解なためである。つまり、研究者たちでさえ、「糸の太陽たち」の詩は迂闊に手を出すことができないのである。多和田葉子は作家の想像力を駆使して、これらの詩に絶妙な方法で接近することに成功している。パトリックの目を通して詩への接近が、これまでとは一味違ったツェランの世界を切り開いたことは間違いない。

 

まだ歌える歌がある、

人間たちの彼方に。

コロナ禍のベルリン。若き研究者のパトリックはカフェで、

ツェランを愛読する謎めいた中国系の男性に出会う。
〝死のフーガ〟〝糸の太陽たち〟〝子午線〟……

2人は想像力を駆使しながらツェランの詩の世界に接近していく。
世界文学の旗手と

ツェラン研究の第一人者による

「注釈付き翻訳小説」。

担当編集者より
「死のフーガ」で知られるユダヤ系のドイツ語詩人パウル・ツェラン(1920~1970)は、20世紀を代表するヨーロッパの詩人。両親はナチスによって命を落とし、ツェラン自身も労働収容所で生死の境をさまよいます。労働者として残るか、アウシュヴィッツへ送られるかの選別を受け続けたのです。
生誕100年に寄せて、多和田葉子さんがドイツ語で書き下ろしたこの小説には、詩集『糸の太陽たち』(1968)をはじめツェランの詩句がちりばめられています。ツェラン研究の第一人者・関口裕昭さんが詳細な訳注をほどこしました。
ツェランの詩集を愛する青年パトリックの心の旅がはじまります。
 
目次
1 歌うことのできる成長
2 天使の素材からなるテクスチュア
3 傷つきやすい指
4 生命の樹をともなう小脳の虫
5 衝突する時間たち
6 ミイラの跳躍
訳者によるエピローグ
訳注
訳者解説(パウル・ツェランについて/詩集『糸の太陽たち』について
/多和田葉子とツェラン)
 
訳者の関口裕昭は、さほど長くない作品であるが、翻訳は思いのほか難航した。ツェランの詩を縦横無尽に織り込んだ文章は難解であった、という。

著者

多和田葉子:
小説家、詩人。1960年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。1982年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。1991年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞、2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、2005年にゲーテ・メダル、2009年に早稲田大学坪内逍遙大賞、2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、2013年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2016年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞し、2018年『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門、2020年朝日賞など受賞多数。著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』などがある。

 

訳者

関口裕昭:

1964年大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。文学博士(京都大学)。現在、明治大学教授。専門は近現代ドイツ抒情詩、ドイツ・ユダヤ文学、比較文学。著書に「パウル・ツェランへの旅」(郁文堂、2006年、オーストリア文学会賞)、「評伝 パウル・ツェラン」(慶應義塾大学出版会、2007年、小野十三郎記念特別賞)、「パウル・ツェランとユダヤの傷<間テクスト性>研究」(慶應義塾大学出版会、2011年、連合駿台会学術賞)、「翼のある夜 ツェランとキーファー」(みすず書房、2015年)などおがある。

 

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