イタリア文化会館で「ガエ・アウレンティ 日本そして世界へ向けた、そのまなざし」を観てきました。
展覧会「ガエ・アウレンティ 日本そして世界へ向けた、そのまなざし」
イタリア文化会館のグランドデザインを手がけた建築家・デザイナーのガエ・アウレンティ(1927-2012)が亡くなって今年で10年になります。
アウレンティはポンピドゥー・センター(パリ)国立近代美術館プロジェクトや、オルセー美術館(パリ)やパラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア)の改修、アジア美術館(サンフランシスコ)など美術館建築の分野で世界的に活躍した建築家です。しかしその業績は建築だけではなく、インテリアや舞台美術、都市計画まで多岐にわたります。日本での作品はイタリア文化会館とイタリア大使館事務棟で、1991年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。
本展ではアウレンティの作品の一部のオリジナルドローイング、写真、模型、建築素材、パネルなど100点以上を展示し、その足跡を辿ります。
「オリヴェッティ・ショールーム」1967、パリ
「オルセー美術館」1986、パリ
「オルセー美術館」1986、パリ
「カドルナ広場」2000、ミラノ
「ダンテ広場(アート地下駅)」2003、ナポリ
「イタリア文化会館」2005、東京
「イタリア文化会館」2005、東京
「イタリア文化会館」撮影:2002年12月14日、tonton3
ガエ・アウレンティ
Gae Aulenti
1927 イタリア パラッツォーロ・デッロ・ステッラ(ウーディネ県)に生まれる
1953 ミラノ工科大学建築学部卒業
1959-65 建築雑誌『カーサベッラ―コンティヌイタ』の編集に携わる
1965-67 スタンドライト「ピピストレッロ」「キング・サン」をデザイン
1967 オリヴェッティ社のショールーム(パリ)をてがける
1970 フィアット社のショールーム(チューリッヒ)をてがける
1975 演出家ルカ・ロンコーニと初めて協働
1985 ポンピドゥー・センター(パリ)国立近代美術館プロジェクト
1986 オルセー美術館(パリ)
パラッツォ・グラッシ(ヴェネツィア)改修
1989 リムスキー=コルサコフ作曲オペラ「サルタン皇帝」の舞台芸術
1990 サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(フィレンツェ)改修
1991 高松宮殿下記念世界文化賞・建築部門受賞
1992 セビリア万国博覧会イタリア館
1994 ミラノ・トリエンナーレ臨時展示館設計
1999 G. ロッシーニ作曲オペラ「ランスへの旅」の舞台芸術
2003 アジア美術館(サンフランシスコ)
地下鉄ムゼオ駅とダンテ駅、カヴール広場とダンテ広場の再構成(ナポリ)
2004 カタルーニャ美術館(バルセロナ)
ビエッラ研究都市(トリノ工科大学キャンパス)
イタリア大使館事務棟(東京)
2005 イタリア文化会館(東京)
2006 パラヴェラ競技場(トリノ)
サン・ジョヴァンニ広場(グッビオ)
2009 パデルノ・ドゥニャーノ図書館、文化センター(ミラノ県)
バイオマス発電所(フォルリ)
2012 ペルージャ空港(イタリア統一150周年プロジェクト)
ミラノ・トリエンナーレにてイタリア建築栄誉金賞を受賞。
10月31日にミラノで逝去
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「グロテスクだ。色を変えてもらいたい」。2日、日本記者クラブで開かれたイタリアのダレーマ副首相兼外相の記者会見で、「イタリア文化会館」(東京都千代田区)の外観について、読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長がこう「直訴」する場面があった。ダレーマ氏は「圧力をかけるわけにはいかない」とかわした。渡辺氏は真っ赤な外壁の同館を「極めてグロテスクな建物」と表現。靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑の近くにあることから「日本人にとって非常に神聖な場所」「墓苑などと調和する色に変えてもらいたい」と訴えた。ダレーマ氏は、個人的見解として「非常に美しいという感想を持った」「違法建築というわけではない」と反論。住民の抗議に共感を示しつつも、「政府として文化・芸術にかかわる原理・原則を圧力で曲げるわけにはいかない」と述べた。同館は、駐日伊大使館が05年秋に立て替えた。外壁をめぐっては、東京都などを巻き込んだ景観論争に発展している。
asahicom:2007年02月03日
「展覧会図録」
編集:イタリア文化会館
制作:株式会社三元社
発行:©イタリア文化会館2022年12月