井上荒野の「小説家の一日」(文藝春秋:2022年10月11日第1刷)を読みました。
「あちらにいる鬼」で栄が明かされ、いま話題の作家です。
シネスイッチ銀座で、廣木隆一監督の「あちらにいる鬼」を観た!
映画と言えば、「つやのよる」も話題になりました。
行定勲監督の「つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語」を観た!
小説、メモ、日記、レシピ、SNS・・・
短篇の名手が「書くこと」を
テーマに紡いだ豊穣の十作
さくらを避けてるなんてわけないだろう。仙台では合わないほうがいいと思ったんだ。状況的に、会えても短時間だったし、妻がいる町で会うのはやっぱり危険が多すぎるし。でも会いたかったよ。今も会いたい。俺さ、さくらをめちゃくちゃ愛している。はっきり言って、まだかたちにもなっていない子供より、さくらのほうが大事なんだ。さくらだけいればいいんだ。俺たちの愛を守りたいんだ。今だってかなりの困難があるのに、このうえ困難を増やしたくないんだ。
「緑の象のような山々」より
夫が言った通り、子供ではなく母親の視点で書いた。自分自身から離れるように書いていったが、離れようとすればするほど、近づいてくるものがあるようだった。どのみち完成しないのだからと妙に思い切りがよくなって、自分のことを書こうと思うと、逆に遠ざかるものがあった。原稿用紙の上に浮かび上がるのは私であって私ではなく、知っていることだけ書いているつもりが、いつの間にか思ってもいないことを書いている。そうしてひとたび書かれてしまうと、それは私が間違いなく思っていたことになる・・・
「好好軒の犬」より
「・・・私たちも粘ったのですが、どうしても営業を説得できなかったんです。・・・白川さんは世間一般的には無名ですし、そういう作家の単行本を出す場合は、収録作の中のひとつでも賞の候補になったとか、書評でたくさん取り上げられて話題になったとか・・・何かフックがないと、今は厳しい状況なんです。」。柚奈が話し終えると、沙穂は聞いた。「原稿の内容にかかわらず、私の本は、現状では出版するメリットがないからこちらでは出版できない、ということですか?」
「何ひとつ間違っていない」より
選考会は長引いた。私以外の三人の選考委員が推す小説を、私がどうしても評価できなかったからだ。でも最終的には折れて、その小説が新人賞に選ばれた。自分の考えにふいに自信がなくなったのだ。あるいはほかの選考委員のうんざりした表情の上に、彼らの心の声を聞き取ったせいかもしれない。あなたの感覚はう古いんじゃないですか。すくなくともこの新人は、あなたよりは売れますよ。そんな声が聞こえた気がした。
「つまらない湖」より
びっくりした。今日、明希から打ち明けられた。結婚したい男性がいるのだという。しかも明希は妊娠しているのだという。相手は木村さんという、職場の上司。・・・木村さんは中年だ。四十歳だと、今日、明希から教えられたが、25歳の娘より私たちの年齢のほうに近い。いや、年齢よりもっと重要な問題がある。木村さんには奥さんがいるのだ。
「名前」より
目次
緑の象のような山々
園田さんのメモ
好好軒(はおはおけん)の犬
何ひとつ間違っていない
窓
料理指南
つまらない湖
凶暴な気分
名前
小説家の一日
井上荒野:
1961年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。1989年、「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞を受賞し、デビュー。2004年、「潤一」で島清恋愛文学賞、2008年、「切羽へ」で直木賞、2011年、「そこへ行くな」で中央公論文芸賞、2016年、「赤へ」で柴田錬三郎賞、2018年、「その話は今日はやめにしておきましょう」で織田作之助賞を受賞。主な著作に「あちらにいる鬼」「あたしたち、海へ」「そこにはいない男たちについて」「百合中毒」「生皮―あるセクシャルハラスメントの光景」がある。
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