テレビで放映されていたので、井上靖原作、熊井啓監督の「本覺坊遺文」を観ました。勅使河原宏監督の「利休」は観ているので、熊井啓監督のこの映画、井上靖原作の小説『本覺坊遺文』の映画化を是非とも観たかったので、念願がかないました。利休の死因については、さまざまな人が語ってはいます。が、どれも五十歩百歩、井上靖が別の側面から光を当てたことには、さすがは文学者、敬服に値します。
この映画、オールスターキャストといえるほどの俳優陣、利休役などに異論はあるものの、主演の奥田瑛二は好演していました。たぶん彼の代表作といえるでしょう。
たくさん観ているわけではないが、監督としても優れているように思います。たとえば、
映画「千利休 本覺坊遺文」
2022年10月13日(木) 6:45(2H09M) BS日テレ
以下、KINENOTEによる。
解説:
千利休四百年遠忌特別作品。安土・桃山時代の茶人・千利休の謎に包まれた晩年を、愛弟子・本覚坊らが解き明かしていく様子を描く。井上靖原作の小説『本覺坊遺文』の映画化で、脚本は「天平の甍」の依田義賢が執筆。監督は「海と毒薬」の熊井啓、撮影は「女衒」の栃沢正夫がそれぞれ担当。
あらすじ:
千利休が太閤秀吉の命で自刃してから27年後、愛弟子だった本覺坊は心の師と語らうのみの生活を送っていた。ある日本覺坊は、利休がなぜ秀吉の怒りを買って死んだのか、理由を解明しようと情熱を傾ける織田有楽斎に会って感動を覚えた。そして一年後、本覺坊は有楽斎に、利休の晩年山崎の妙喜庵で催された真夜中の茶会について話した。客は秀吉と、後に小田原落城で秀吉に刃向かって切腹した山上宗二だったが、もう一人がわからなかった。さらに一年後、有楽斎は残る客の一人は利休の弟子の古田織部だと見抜いた。織部も大坂夏の陣で豊臣方に内通したかどで、利休や山上宗二と共に自刃したが、実は三人とも死を誓い合っていた。翌年有楽斎は体が弱り危篤となったが、なお利休の最期の心境を知りたがっていた。本覺坊は夢にみた利休と秀吉の最期の茶事の光景を語り始めた。秀吉は一時の感情で下した利休に対する切腹の命を取り消したが、利休は茶人として守らなければならない砦のために切腹すると言い切った。本覺坊の話が利休の切腹に及ぼうとするところで、有楽斎はもうろうとした意識の中で刃を取って切腹したのだった。
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