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松本清張の「或る『小倉日記』伝」を読んだ!

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松本清張の「或る『小倉日記』伝」(角川文庫:昭和33年12月10日初版発行、令和4年5月15日改版10版発行)を読みました。

 

中島国彦の「森鴎外 学芸の散歩者」を読んだことによります。中島国彦の「森鴎外 学芸の散歩者」を読んだ!

 

松本清張は「或る『小倉日記』伝」によって昭和27年度後半期の芥川賞を受賞しています。芥川賞作家であることは知っていましたが、恥ずかしながら読んだことはなかった。大慌てでアマゾンで購入し、速攻、読んだというわけです。文庫本で6編の短編があるなか、「或る『小倉日記』伝」は50ページにも満たないもので、僕でも簡単に読めました。

 

松本清張は一般には推理小説の作家だとして知られているように思われます。「砂の器」や「点と線」、「けものみち」など、映画の原作者としてもよく知られています。なにしろ著作が多い作家です。なんだ、今頃と言われそうですが、いや、僕の理解ですが・・・。

 

小倉左遷

鷗外の官位は、1898(明治31)年10月には、近衛師団軍医部長兼陸軍軍医学校長となっていた。しかし、翌1899(明治32)年6月、陸軍医監となり、第12師団(小倉)軍医部長に任命された。・・・鴎外はこの移動の命令を「左遷」と考えたが受け入れ、6月19日に小倉(現、福岡県北九州市)に着任、鍛冶町87番地に住んだ。(中島国彦「森鴎外」より)

 

鷗外は自身の「小倉日記」に、こう書いています。

(明治33年1月26日)

終日風雪。そのさま北国と同じからず。風のいったいの暗雲を送り来るとき、雪花翻り落ちて、天の一隅には却りて日光の青空より洩れ出づるを見る、九州の雪は冬の夕立なりともいふべきにや。

 

松本清張の芥川賞受賞作「或る『小倉日記』伝」は、以下のように始まります。

昭和15年の秋のある日、詩人K・Mは未知の男から一通の封書をうけとった。差出人は、小倉市博労町28田上耕作とあった。

文意を要約すると、自分は小倉に居住している上から、目下小倉時代の森鴎外の事績を調べている。別紙の草稿は、その調査の一部だが、このようなものが価値あるものかどうか、先生にみていただきたい、というのであった。

 

この田上という男は丹念に小倉時代の鴎外の事績を探して歩くといっている。根気のいる仕事だ。40年の歳月の砂がその痕跡を埋め、もはや、 鴎外が小倉に住んでいたということさえこの町で知った者は稀だと、この筆者はいうのだ。

田上耕作は明治42年、熊本で生まれた。この子は四つになっても、何故か、舌が廻らなかった。五つになっても、六つになっても、言葉がはっきりしなかった。口をだらりと開けたまま涎をたらした。その上、片足の自由がきかず、引きずっていた。

 

「鴎外全集」第24巻後期は、鴎外の小倉時代の日記の散逸した次第を載せている。鴎外は明治32年6月、九州小倉に赴任した。以来35年3月東京に帰るまで満三か年をこの地で送った。この時代につけていた日記は人に頼んで清書し保存していたが、全集を出すときに捜してみても所在が知れなかった。日記があったことは、観潮楼の書庫の一隅にある本棚の中でみたと近親はいっている。誰かが持出したまま行方が分からなくなったという。この捜索は編輯者も書店も「百万手をつくした」が、ついに発見できなかった。

 

鷗外が小倉に来た時は、年齢も40前という男ざかりである。その独身生活は簡素を極め、自ずから後の作品「独身」「鶏」に出てくるような風姿であった。その後、母のすすめる美人の妻と再婚したのもここである。満三年間の小倉日記の喪失は世を挙げて惜しまれた。いよいよ失われて無いとなると、「小倉日記」はそのかくれている部分の容積と重量を人々に感じさせたのだった。

 

解説で田宮虎彦は言う。

推理小説といえば、「或る『小倉日記』伝」そのものが典型的な推理小説であるということができるのである。鴎外の生涯の中で、「小倉日記」が散失しているために空白になっていた部分をうずめようとして、耕作は、土に埋もれた糸をたぐりよせるようにして、小倉時代の鴎外を、そのノートにつくりあげていく。手がかりは、鴎外の残した作品である。「独身」「鶏」「二人の友」などから、当時、鴎外とかかわりのあった人をさがし出し、その人の記憶をよびさますことによって、かたちのない鴎外にかたちをあたえていこうとするのだ。しかし、すでに30数年をへだてて、そのほとんどが鬼籍に入っている。

 

この「或る『小倉日記』伝」が、氏の特性をもっともみごとに結晶させた作品であり。それゆえに、氏のすべての作品を通じての代表作、少なくとも代表作の一つであるということは、うたがいようがないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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