高橋源一郎の「ぼくらの戦争なんだぜ」(朝日新書:2022年8月30日第1刷発行)を読んでいるんですが、その中で高橋は、「戦争小説」といえば「野火」だ、として、大岡昇平の「野火」を取り上げています。「この原稿を書くために、また、ぼくは『野火』を読んだ。何回目だろう。七回?八回?9回?もっと?・・・こんなものを読んでしまったら、もう、他の『戦争小説』なんか読めない、と思う」とまで書いています。ということで、大岡昇平の「野火」を原作とした塚本晋也監督の「野火」を観たことを思い出しました。
以下、再掲
大岡昇平原作、塚本晋也監督の「野火」を観てきました。塚本晋也は1960年生まれの映画監督です。「野火」ではなんと、製作・監督・脚本・撮影・編集と、そして自ら主演を務めています。チラシには「戦後70年、戦争文学の金字塔と称される大岡昇平の小説「野火」を、塚本晋也が極彩色の原野をさまよう兵士の目を通して、戦争の愚かしさと人間の悲しみ、そして力強さを描く」とあります。
大岡昇平×塚本晋也
第二次世界大戦末期の
フィリピン・レイテ島。
島を彷徨う敗兵は、
その地で
何を観たのか―。
英題:FIRES ON THE PLAIN
製作年:2014年
製作国:日本
日本公開:2015年7月25日
(渋谷ユーロスペースほか)
上映時間:1時間27分
配給:海獣シアター
カラー
僕が持っている文学全集のうち、下のどちらにも大岡昇平の「野火」が取り上げられています。残念ながら、読んだ形跡がありません。もちろん大岡昇平の「野火」は、戦争文学の傑作として必ず取り上げられ、いつかは読もうと思っていたものです。なんて、今頃そんなことを言ってるようじゃ、お話にならないことはよく分かってはいますが。「われらの文学」は、大江健三郎と江藤淳の編集によるものです。また、「現代日本文学館」では大江健三郎が解説しています。(その後、ざっとですが、読みました。)
左:「われらの文学4 大岡昇平」
解説 大岡信
講談社 昭和41年12月15日発行
右:「現代日本文学館41 大岡昇平」
文芸春秋 昭和42年3月1日第1刷
解説 大江健三郎
大岡昇平の「野火」は、以下のように始まります。
私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来る奴があるか。帰るところがありませんって、がんばるんだよ。がんばるんだよ。そうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にゃお前みたいな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出勤している。味方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼っとく余裕はねえ。病院へ帰れ。まさかほっときもしねえだろう。どうしても入れてくんなかったら―死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ」
昨日の朝日新聞の朝刊「論壇時評」(2015年7月30日)で、われらが源ちゃん、高橋源一郎が「狂気とみなされる怖さ」と題して、大岡昇平の小説「野火」を、そして塚本晋也の映画「野火」取り上げていました。もうほとんど完璧に解説されているので、そのまま下に載せておきます。
以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。
(画像、大きくしました)
チェック:
「俘虜記」「花影」などで知られる大岡昇平の小説を実写化した戦争ドラマ。第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台に、野戦病院を追い出されてあてもなくさまよう日本軍兵士の姿を追う。『KOTOKO』などの塚本晋也が、監督と主演のほかに、製作、撮影、編集なども担当。共演には『そして父になる』などのリリー・フランキー、『るろうに剣心 京都大火編』などの中村達也、オーディションで選ばれた新星・森優作と、バラエティー豊かな顔ぶれがそろう。戦争という極限状況下に置かれた者たちの凄惨(せいさん)な心象風景に胸をえぐられる。
ストーリー:
日本軍の敗戦が濃厚になってきた、第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。1等兵の田村(塚本晋也)は、結核を発症したために部隊を追われて野戦病院へと送られてしまう。だが、病院は無数の負傷兵を抱えている上に食料も足りない状況で、そこからも追い出されてしまう羽目に。今さら部隊に戻ることもできなくなった田村は、行くあてもなく島をさまよう。照りつける太陽、そして空腹と孤独によって精神と肉体を衰弱させていく田村だったが……。
「野火」公式サイト
以下、朝日新聞2015年7月30日朝刊「論壇時評」