2022年7月16日(土)ー10月16日(日)
以下、東京都現代美術館ホームページより
「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」は、20世紀の建築や工業デザインに大きな影響を与えたジャン・プルーヴェ(1901–1984)を紹介する大規模な展覧会です。本展では、プルーヴェが手がけたオリジナルの家具や建築物およそ120点を、図面やスケッチなどの資料とともに展示します。
プルーヴェはアール・ヌーヴォー全盛期のフランスで、ナンシー派の画家の父と音楽家の母に育てられ、金属工芸家としてキャリアをスタートさせました。1930年代にはスチール等の新たな素材を用いた実験的かつ先進的な仕事へと転換し、家具から建築へと創造の領域を拡げていきます。また、第二次世界大戦中はレジスタンス運動に積極的に参加し、ナンシー市長も務めたプルーヴェは、フランスの戦後復興計画の一環としてプレファブ住宅を複数考案するなど、革新的な仕事を次々に生み出していきます。
左:広報物イメージ
右:マクセヴィルのアトリエ・ジャン・プルーヴェにて(1955年ころ)
本展は、《「サントラル」テーブル》(1956年)、《ファサード・パネル》(1950年頃)、《ライン照明》(1954年)等のプルーヴェを象徴する作品とともに、生涯の軌跡をたどる展示から始まります。続いて、《「プレジダンス」デスク No. 201》(1955年)、《移動式脚立(特注)》(1951年)のほか、工業生産化への移行における標石のひとつとなった《引き出し付き折りたたみテーブル》(1943年)を含む代表作を紹介します。
1930年代、プルーヴェは市場の拡大にともなう大量生産の要請に応え、公共機関や大学に向けた家具を数多く手掛けました。家具のなかでも椅子はプルーヴェにとって重要であり、美しく整ったかたちを保ちつつ、剛性と人間工学に基づく合理性が交わるデザインを探求し続けました。「家具の構造を設計することは大きな建築物と同じくらい難しく、高い技術を必要とする」という彼自身の言葉が示すように、椅子はプルーヴェのものづくりの原則を反映しているといえるでしょう。本展では《「シテ」チェア》(1932年)から《「コンフェレンス」チェアNo. 355》(1954年)まで数々のモデルがまとめて展示されることにより、その変遷を体感できます。
左:ジャン・プルーヴェ「組立式ウッドチェアCB22」
右:ジャン・プルーヴェ「『カフェテリアチェアNo300』」1950年頃
1950年代、プルーヴェは国外に販路を求めて、アフリカで使われるための家具やアルミニウム製のファサードを手掛けました。こうした仕事のなかから《「S.A.M.」テーブル No. 506 アフリカ型》(1952年)や《「トロピク」アームチェア No. 351》(1950年)に加えて、ギニアのUAT航空やカメルーンの学校のためにつくられたブリーズ・ソレイユ(日除ルーバー)が展示されます。
ジャン・プルーヴェ「『メトロポール』住宅」1949年
さらに、本展の後半部分では、みずからを「構築家」(constructeur)と位置づけたプルーヴェの建築物へのアプローチにも焦点をあてます。多数の資料によって主な建築プロジェクトを取り上げるだけでなく、現存する3つの建築作品が展示されます。《「メトロポール」住宅(プロトタイプ)》(1949年)、《F 8x8 BCC組立式住宅》(1942年頃)と《6x6組立式住宅》(1944年)は、いずれも解体・移築可能な建築物として、フランスの建築史において重要な位置を占めるとともに、プルーヴェの類まれな創造性を体現しているでしょう。《「メトロポール」住宅(プロトタイプ)》は「ポルティーク」と呼ばれる構造体とファサードを別々に展開することで、構造の特徴を浮かび上がらせます。地下2階のアトリウムに建てられる《F 8x8 BCC組立式住宅》は、プルーヴェとピエール・ジャンヌレが第二次世界大戦中の極限状態で協働し設計・建設したもので、彼らの並外れた適応能力と近代化へのあくなき探求を表す作例だといえます。また、アトリウムの壁面に展示される《6x6組立式住宅》は、東フランスの難民のための一時的な住居として1944年に設計されました。
最後の展示室では貴重なプルーヴェのインタビューを含む映像を上映します。《折りたたみ天板付き講義室用ベンチ》(1953年頃)が置かれ、来場者は実際に作品に座りながら、映像を見ることができます。本展を通じて、20世紀という時代に、デザインと生産をトータルに捉え、新たな技術や素材を追い求めたプルーヴェの構築的な想像力に触れることができるでしょう。
ジャン・プルーヴェとピエール・ジャンヌレの
共同設計「F 8x8 BCC組立式住宅」1942年
ジャン・プルーヴェ:組立と解体のデザイン」(2016年
フランス大使公邸、東京)での展示風景
展覧会の構成は、以下の通りです。
イントロダクション
工芸から工業へ
椅子
出版物
ナンシーの自邸
ジャン・プールヴぇの工場
アフリカに向けて
組立・解体可能な建築と建築部材
工芸から工業へ
「カフェテリア」テーブルNo512 1953年
「フラヴィニ―」テーブルNo504 1951年
ヴィシャード医師のためのテーブル 1944年
「プレジダンス」デスクNo201 1955年
「ディレクシオン」回転式オフィスチェアNo353 1951年
「ブリッジ」オフィスチェアFB11 1946年
引き出し付き折りたたみテーブル 1943年
「自転車」1941~1942年
「ゲリドン・カフェテリア」組立式テーブル
「SAM」テーブルN0506 1951年
「メトロポール」チェアNo305(4脚) ca1950
「ダクティロ」タイピストチェアCD11 ca1944
スタンダードデスク ca1942
壁面取付什器 ca1942年
移動式脚立(特注) 1951年
椅子
一部金属製の組立式チェアのためのジャン・プルーヴェによる下絵1952年頃
子供用のデスクとつながった椅子、素晴らしい。(名称不詳)
ナンシーの自邸
「SAM」テーブルNo506アフリカ型
1969-1970 ガソリンスタンド?
4×4組立式住宅
8×8組立式住宅
SCAL組立式パヴィリオン
クロマワールの職業訓練校
ヴィルジュイフの仮設校舎
6×9組立式住宅
6×6組立式住宅 1944年
フェレンバル社事務棟
ゴーティエ邸(サン=ディエ=ヴォージュ)1961年~1962年
(H・バウモン・E・レモンディーノ・アーキテクツとの共働)
F 8×8 BCC組立式住宅
プールヴェとピエール・ジャンヌレ 1942年
美術館地下2階に原寸大で建てられたもの
以下、BCC組立式住宅の中に展示されていたもの
F8×8BCC組立式住宅
4170 F8×8
8×8
6×6組立式住宅
ジャン・プルーヴェ :
1901-1984。アール・ヌーヴォーを代表する工芸家エミール・ガレの後継者であるヴィクトル・プルーヴェを父に、パリに生まれる。1916年から鋳鉄工芸家エミール・ロベールとアダルベール・サボの工房で修業。
兵役の後、1924年、ナンシーのジェネラル・キュスティヌ通りに最初の工房を開設、建築家マレー=ステヴァンス、ル・コルビュジエのほか、多くの建築家と知り合い、協働するようになる。1940年からレジスタンス運動に積極的に関わり、ナンシー市長として戦後の混乱期を支えた。1947年、ナンシー郊外のマクセヴィルに新工場を開設し、家具、建設分野に革新的な成果を生んだが、工場の株主となった数社の大企業と衝突し、1953年、組織が再編されると工場を去る。1957年、輸送機工業製作所CIMTの建築部部長に就任、カーテンウォールの設計施工に貢献した。同年、国立工芸院CNAM教授に就任、以後13年間、教鞭を執る。1966年、パリにアトリエ・ジャン・プルーヴェを開設。1971年、ポンピドゥー文化センターの国際競技設計において審査委員長を務めた。1981年、ベルギーのエラスムス賞を、1982年、レジオン・ドヌール勲章コマンドゥールを受章。ナンシーにて死去。享年82。
「東京都現代美術館」ホームページ
東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO (mot-art-museum.jp)
過去の関連記事:
「構築の人 ジャン・プルーヴェ」
2020年2月17日第1刷発行
発行所:株式会社みすず書房
フランスの建築家、一級建築士。1933年東京に生まれる。1958年、横浜国立大学工学部建築学科卒業、1959年から前川國男建築設計事務所勤務。
1966年、フランス政府招聘日仏工業技術交換留学生として渡仏、在仏日本大使公邸新築工事に関して、Ch. ペリアンと協働する一方、G. カンジリス建築事務所に勤務。1969-75年、アトリエ・ジャン・プルーヴェに勤務。1974年、パリ私立建築大学卒業、同年フランスにおける日本人初の建築家営業権を取得し、1976年、パリに早間玲子建築設計事務所を開設。2004年、フランス共和国の文化勲章とレジオン・ドヌール勲章を受章。2011年、旭日小綬章受章。2013年、フランス共和国建築家会名誉会員。建築作品に、パリ国際大学都市日本館改修(1976、1978)、M. デュプイ邸(1978)、パリ日本人学校(1990)、ベレバ・シャトーホテル(1992)、キヤノン(1984、1994)、ミノルタ(1992)、日立製作所のフランス新工場(1992)、日本の山形トヨペット(2012)などがある。2019年、元日立製作所のフランス新工場(日立・コンピューター・プロダクト[ヨーロッパ]S. A. S.)の総合計画がフランス共和国の文化財「特筆すべき現代建築」に指定された。