毎日、家の中で籠りっきりでいるので、散歩がてら、羽根木公園の梅を観に行ってきました。残念ながらコロナ禍のなか、「せたがや梅まつり」は中止となり、例年の賑やかさには欠けましたが、それはそれでいいものです。
羽根木公園の由来
羽根木公園は、その昔六郎次という鍬や鎌をつくる鍛冶屋がすんでいたことから六郎次山と呼ばれていました。また、大正時代末期敷地の一部が、根津財閥の所有であったことから根津山とも呼ばれるようになり、土地の人たちには、今なお「根津山の公園」、あるいは「六郎次山」と呼ばれています。名称は、この地が東京都荏原郡世田谷村大字世田谷字羽根木の飛び地であったことから名づけられました。東京都は、昭和31年(1956年)羽根木公園として開設しました。その後、昭和40年(1965年)世田谷区に移管され、総面積は約8ヘクタール(24,000坪)となっています。昭和54年(1976年)国際児童年を記念して、全国で初めての冒険遊び場であるプレーパークが開設されました。
羽根木の梅林
羽根木公園は、全体が小高い丘になっており、南斜面地は笹が生い茂っていましたが、昭和42年(1967年)世田谷区議会議員に当選した55名の方々により55本の梅の記念植樹が行われました。その後、昭和46年(1971年)東京都100周年記念や昭和47年(1972年)世田谷区制40周年などの記念植樹を経て、現在は紅梅170本、白梅530本の700本を数える都内でも屈指の観梅の名所となりました。毎年2月の梅の見頃には、地元の実行委員会による「梅まつり」が開催され、多くの方々に楽しまれています。
「飛梅」
飛梅とは、菅原道真にまつわる梅の伝説に登場する梅の木のことです。平安時代、時の右大臣であった道真が太宰府に左遷となり、京を発つとき日頃大切に育てていた梅に向かって、「東風(こち)吹かば匂い起こせよ梅の花、あるじなしとて春な忘れそ」と詠むと、梅は主人を慕って太宰府まで飛び、根付いたということです。飛梅は平成7年2月に太宰府天満宮より寄贈され、その隣に平成14年2月、梅まつり第25回を記念して、実行委員会より石碑が寄贈されました。
さ~て、ここからが羽根木公園の「梅」ですよ、なんの脈絡もありませんが!
羽根木公園の「梅」
いかがでしたか、世田谷の「梅」は?
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