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篠田正浩監督の「鑓の権三」を観た!

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テレビで放映されていた、篠田正浩監督の「鑓の権三」を観ました。長年観たいと思っていた作品です。やっと観ることができました。

 

過去の記事からの引用

 

朝日新聞の2020年3月5日に、「一人前の自信 表現の出発点」という篠田正浩に関する記事が載っていました。篠田さんの本はたった一冊、「日本語の語法で撮りたい」(NHKブックス:1995年7月30日第1刷発行)だけしか読んでいません。

 

その篠田さんの写真の下に、「芸能史を新たな視点で描いた著作「河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶」で泉鏡花賞を受賞」とありました。さっそくアマゾンに注文し、やっと読み終わったというわけです。

篠田正浩「一人前の自信 表現の出発点」!

 

幻戯書房のホームページには、以下のようにあります。

構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。

篠田正浩の「河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶」を読んだ!

 

泉鏡花文学賞を受賞した時の篠田正浩のコメント

https://www.waseda.jp/top/news/10222

文学の出発点は、芸能・演劇にあると思っています。世界の演劇史という観点からみて、日本の芸能は一種独特の歩み方をしているのではないか、と日ごろから考えていました。それを体系的に叙述したものが今回の受賞作です。・・・早稲田大学での経験が、映画「心中天網島」(ヴェネツィア映画祭招待作品、ロンドン映画祭招待作品)や「鑓の権三」(ベルリン映画祭銀熊賞)などに反映されているように思いますし、そして今回の受賞も、文学部の学恩、伝統のたまものだと思っています。

 

篠田の作品で僕が観たのは(記憶によると)以下の通り。

「乾いた湖」1960年

「心中天網島」1969年

「沈黙」1971年

「札幌オリンピック」1972年

「はなれ瞽女おりん」1978年

「瀬戸内少年野球団」1984年

「少年時代」1990年

「写楽」1995年

「スパイ・ゾルゲ」2003年

等々

フランキー堺企画総指揮、篠田正浩監督の「写楽」を観た!

篠田正浩監督の「心中天網島」を(再び)観た!

 

さて、ここからが「鑓の権三」です。

 

木曜は!特選時代劇 映画「鑓の権三」

2022年2月24日(木) 6:30PM(2H30M) BS日テレ

 

ウィキペディアには、以下のようにあります。

鑓の権三」(やりのごんざ)は、1986年に公開された篠田正浩監督の日本映画である。原作は近松門左衛門の浄瑠璃「鑓の権三重帷子」。第36回ベルリン国際映画祭コンペティ朱恩部門に参加し、優れた芸術的貢献により銀熊賞(芸術貢献賞)を獲得した。

 

allcinemaによる「あらすじ」は以下の通り。

不義密通の濡れ衣を着せられた男女の道行きを描いたドラマ。近松門左衛門の世話浄瑠璃『鑓の権三重帷子』を「心中天網島」の篠田正浩監督が映画化。出雲の国、松江藩の表小姓、笹野権三は器量はよく、槍さばきがみごとなうえ、茶の道にも通じていた。お雪という許婚もいたが、いますぐに祝言を挙げる気はなかった。そんな折、権三は出世のためと茶の湯の極意の伝授を茶道の師の妻・おさゐに懇願する。が、それがもとで不義密通の濡れ衣を着せられ、やむなく二人は逃走の旅に出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

篠田正浩監督作品『乾いた花』『鑓の権三』他セレクションDVDボックスPV - YouTube

 

篠田正浩:

映画監督。1931年、岐阜県生まれ。49年、早稲田大学第一文学部入学、中世・近世演劇を専攻。50年、箱根駅伝出場、2区を走る。53年、早大卒業、松竹撮影所入社。60年、「恋の片道切符」で監督となる。大島渚、吉田喜重らとともに「松竹ヌーベルバーグ」として前衛的名作を発表。66年、松竹退社、フリーとなる。67年、独立プロ・表現社を妻の岩下志麻とともに設立、自主制作をはじめる。2001年、早稲田大学特命教授に任命される。03年、「スパイ・ゾルゲ」を最後に監督業引退。04年、早稲田大学芸術功労者として表彰される。主な映画作品に、1969年、「心中天網島」(キネマ旬報ベストワン)、70年、「無頼漢」(アデレイド国際映画祭銀の南十字星賞)、71年、「沈黙」(芸術選奨文部大臣賞)、72年、「札幌オリンピック」(オリンピック委員会公式記録映画)、74年、「卑弥呼」、77年、「はなれ瞽女おりん」(アジア太平洋映画祭監督賞、日本アカデミー優秀作品賞)、84年、「瀬戸内少年野球団」(ブルーリボン賞、ヒューストン国際映画祭外国映画賞、日本アカデミー優秀作品賞)、86年、「鑓の権三」(ベルリン映画祭銀熊賞)、89年、「舞姫」(日独合作作品)、90年、「少年時代」(ブルーリボン賞、毎日映画コンクール日本映画大賞、日本アカデミー最優秀作品賞)、95年、「写楽」(日刊スポーツ映画大賞、毎日映画コンクール日本映画優秀賞、日本アカデミー優秀作品賞)、97年「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」(日本映画批評家大賞)、99年、「梟の城」(日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞、プチョン国際ファンタスティック映画祭・最優秀監督賞、日本アカデミー優秀作品賞)、2003年、「スパイ・ゾルゲ」(毎日映画コンクール日本映画優秀賞、日本アカデミー優秀作品賞)等。主な著書に、1979年、「闇の中の安息」(フィルムアート社)、80年、「駈けぬける風景」(創隆社)、83年、「エイゼンシュテイン」(岩波書店)、「日本語の語法で撮りたい」(日本放送出版協会)、「監督、撮らずに観る」(ステレオサウンド)、2003年、「私が生きたふたつの『日本』」(五月書房)等。

 

 


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