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第166回芥川賞「選評」を読む!

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第166回令和3年下半期芥川賞「選評」を読みました。

 

第166回芥川賞決定発表

「ブラックボックス」  群像8月号   砂川文次

 

今回の候補作は、珍しく全作品を読みました。

砂川文次の「ブラックボックス」を読んだ!(受賞決定後)

石田夏穂の、芥川賞候補作「我が友、スミス」を読んだ!

九段理江の、芥川賞候補作「Schoolgirl」を読んだ!

島口大樹の、芥川賞候補作「オン・ザ・プラネット」を読んだ!

乗代雄介の、芥川賞候補作「皆のあらばしり」を読んだ!

 

選考委員

小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、平野啓一郎、堀江敏行

松浦寿輝、山田詠美、吉田修一

 

芥川賞選評

受賞作、砂川文次の「ブラックボックス」を中心に、選評の要旨を拾い出す。

 

小川洋子:

いくら自転車を漕いでも、ただ風景が流れてゆくだけで、本人はサドルの一点に留まったまま、どこにも抜け出せないでいる。脱出するための行動を起こせない自分の弱さから逃れるため、更に自転車を漕ぎ続ける。「ブラックボックス」の主人公サクマが陥っている現実は、どうしようもない息苦しさに満ちている。車輪の回転がようやく止まるのは、刑務所へ送られる事態になった時だ。彼は真の意味で閉じ込められることになる。砂川さんは、ものを運ぶだけの日常も、恋人との関係も、刑務所での毎日も、隔てなく客観的に描写している。安っぽい感傷が入り込む余地はない。だからこそ、サクマを取り囲む壁の冷ややかさが、生々しく伝わってくる。ラスト、”分からない”という未来に宙吊りにされ、放置される彼のうつろな視線から、目が離せなくなる。

 

島田雅彦:

砂川文次の「ブラックボックスだが、雇用環境が劣悪化し、格差が拡大し続けるブラック社会の真っ只中で、不愉快な日常を反復する主人公の肉体感覚がベタなリアリズムで畳みかけられる。日々の労苦が報われることがないというプロレタリアの絶望はやがて突発的な暴力となって噴出する。この作品はメッセンジャーとしての日常を描く前半と刑務所で懲役刑に服する後半から構成される。両者の間には因果や必然性が欠落しているのだが、現在巷で流行る理不尽極まる突発的犯罪の背後に見え隠れするものを確実に捉えている。

 

吉田修一:

ふざけんなよ! 冒頭、ベンツにまくられ、大型トラックの泥水をかけられた主人公がこう声を荒げたところから、読者はいつこの若者の暴力が爆発するのかというサスペンスに飲み込まれることになる。くどい言い回しは決してサスペンス向きではない。ディティールの羅列も独りよがりだし、説明的な文章が文学の興を削ぐ。だが、ここには圧倒的な実感がある。もしもこの実感を古臭さと呼ぶのなら、私は胸を張ってこの古臭さを買いたいと思う。

 

山田詠美:

「ブラックボックス」。新しい古いと論じられる類の小説ではないと思う。「青春の殺人者」的要素を持った小説は、いつの時代でも生まれ続ける。なかなか来ない刑期満了の人生の息苦しさを描いたこの作品に最終的に○を付けた。

 

奥泉光:

砂川文次「ブラックボックス」は、方法の冒険はなく、小説的企みも薄く、退屈さは否めなかった。しかしそれでもなお、ここには何かしら「切実なもの」があると感じさせるだけの迫力があった。伝統に依ったリアリズムへの徹底が力作に結実したといえるだろう。
 

川上弘美:

「ブラックボックス」を、私はとても胸苦しく読みました。自転車便メッセンジャーの仕事をしている「サクマ」が、交差点に左折した車に倒されるところから小説は始まり、そこから自転車便メッセンジャーとしての「サクマ」の日々が、執拗なほど細密に描かれます。ゆきどころのないサクマの心情も、仕事の過酷さも、その過酷さあを楽しんでいるようにみえるサクマという男の不穏さも、すべてがありありと目に浮かぶように書かれているのですが、胸苦しいのは、その文章の表現する意味が胸苦しいからではなく、たとえば若冲の絵を見ている時に胸苦しさを感じるのにも似た理由に因るものだと思うのです。過剰に細密なものを見たとき、わたしたちは讃嘆すると同時に、苦しくもなるのではないでしょうか。
 

平野啓一郎:

受賞作「ブラックボックス」は、著者のマニアックなまでに平板な詳述法が、ギグワーカーとしての主人公の人生を効果的に表現しており、しかもその日常が、服役後も奇妙に連続している点に注目した、登場人物たちが、人生の中で、何故、どのようにして躓くのかという分析にも迫力がある。懲役が主人公の人生の好転に効果を発揮する結末には、複雑な余韻の希望があった。スタイル自体は、坒か手堅過ぎるが、本作の受賞に私も賛同した。

 

松浦寿輝:

砂川文次「ブラックボックス」は、自転車によるメッセンジャーの仕事を描く前半も、刑務所収監の日々を描く後半も、リアルな細部を着実に積み上げ、キレやすさで損をしながら生きている一人の若い男の内面へ読者を一挙に引き込む筆力が発揮されている。自転車事故も暴行事件も鮮やかな迫真感とともに描出され、意味する言葉と意味されるアクションが間然するところなく合致しつつ、滑らかな律動で回ってゆく。しかし、その滑らかさは自然主義リアリズムの古めかしさと裏おもてで、そこから現代のプロレタリア文学かという感想も浮かぶ。突発的に暴力をふるう男を描くのに、これほど端正に推敲された文体が適切かという疑問もまた。

 

堀江敏行:

砂川文次さんの「ブラックボックス」は、ある意味で、候補作中、最もよく計算されたものだった。コロナ禍の現状も踏まえながら、メッセンジャー会社の人物相関を刑務所の大部屋に平行移動させることで、「世界」の書き換えがうまく行かないことを示す。焦り、怒り、説明不可能な心の暴発。それらを言葉で再生するのは、町の倉庫やオフィスのような中の見えない暗箱ではなく、刑務所内での閉居罰によって生まれた明るい空洞だ。それが従来作の混濁をなくす正の力になった。

 

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