井上章一×青木淳の「イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産」(中公新書ラクレ:2022年1月10日発行)を読みました。
井上さんは相変わらずの京都ネタで攻めています。最近は切れ味が鈍っているかも?青木さんはこのような本には初めての登場です。なかなか文章も読ませます。
僕が最も感銘を受けた論考は、「ルイジアナ近代美術館に見る『チューニングの一貫性』」でした。
できあがった全体を、振り返ってみれば、その場その場の、アドホックなその場限りの判断の積み重ねで、一貫していない。場所によってつくりが違う。考えてみれば、庭側にバルコニーを張り出したロマンチック・ネオクラシックな旧館が、そもそも異質な存在である。しかし、ここまでバラバラなにに、違和感がない。ないどころか、居心地がいい。異なる調性の音が軋んだ不協和音を奏でるのではなく、逆に自然に聞こえる。・・・この一貫性を「チューニングの一貫性」と、私は呼んでいる。
内容紹介:
「東京ばなれ」は進む?
首都高は美しい、醜い?
コロナ禍で東京一極集中の是正が叫ばれるが、事はそう単純ではないと井上氏。私たちの東京への思いは複雑で、歴史的に捉える必要がある。そう、京都から東京に天皇が移り住んだ時代まで遡って。『京都ぎらい』の井上氏に対するのは、二都を往復する気鋭の建築家・青木氏。二度の東京五輪と大阪万博など、古今東西の都市開発のレガシーについて論じ合う。話題はGHQ、ナチスから黒川紀章、ゴジラ、寅さんまで縦横無尽。
目次
1章 論考1
「東京ばなれ」を疑う―
企業人は「城」を捨てられない
ポスト・コロナのオフィス・ビル;天守閣と城下町 ほか)
2章 対談1
愛される建築、愛されない建築
五輪と万博のレガシーをめぐって
京都に「都落ち」;「都」は今でも京都? ほか)
3章 リレー・エッセイ
東西まちまち
建築史家と建築家がコロナ禍中で考えたこと
京都の河原 おおらかな「広場」(井上)
映画に思う「水の都」艀の時代(青木) ほか)
4章 論考2
さまざまな声が響き合う空間を
コロナ禍とダニッシュ・モダン
可能性の宝庫としての大戦間;陰翳と集い ほか)
5章 対談2
「建築文化を大事にしない国」ゆえの希望
ブロックバスター展の曲がり角;模型づくりという日本文化 ほか)
井上章一[イノウエショウイチ]
1955年京都府生まれ。国際日本文化研究センター所長。京都大学工学部建築学科卒、同大学大学院修士課程修了。同大学人文科学研究所助手、国際日本文化研究センター助教授、同教授を経て、2020年より現職。専門の建築史・意匠論のほか、日本文化や美人論、関西文化論など、研究範囲は多岐にわたる。『つくられた桂離宮神話』(サントリー学芸賞)、『南蛮幻想』(芸術選奨文部大臣賞)、『京都ぎらい』(新書大賞2016)など著書多数
青木淳[アオキジュン]
1956年横浜市生まれ。建築家。東京藝術大学教授。東京大学大学院修士課程修了。91年青木淳建築計画事務所(現在、AS)を設立。住宅、公共建築、商業施設など作品は多岐にわたる。“潟博物館”で日本建築学会賞作品賞を受賞。京都市美術館の改修に西澤徹夫とともに携わり、2回目の日本建築学会賞作品賞を受賞。2019年4月に同館の館長に就任。04年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞
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