Quantcast
Channel: とんとん・にっき
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2506

100分de名著「金子みすゞ詩集」!

$
0
0

 

 

 

 

 

昨晩、第1回目の放送がありました。

 

100分de名著「金子みすゞ詩集」!

指南役】松本侑子…作家、翻訳家。みすゞと、

          脚本家の弟・上山雅輔の伝記小説『みすゞと雅輔』を発表。

【朗読】石橋静河(俳優)

【語り】加藤有生子

 

NHK Eテレ

放  送:月曜日午後10:25~10:50

再放送:水曜日午前05:30~05~55

           午後00:00~00:25

 

[はじめに]聖女から詩人へ

第1回 1月10日放送/1月12日再放送

 詩心の原風景

    ――童謡詩の誕生

第2回 1月17日放送/1月19日再放送

 視点の逆転、想像の飛躍

    ――投稿詩人の誕生

第3回 1月24日放送/1月26日再放送

 「孤独」と「死」を見つめて

    ――童謡詩の衰退

第4回 1月31日放送/2月2日再放送

 ことばで響き合う未来へ

    ――童謡とみすゞの復活

 

プロデューサーAのおもわく。

「こだまでしょうか」「私と小鳥と鈴と」「大漁」などの詩で知られ、今も読み継がれる詩人・金子みすゞ(1903-1930)。小さな命の愛しさ、人間の孤独、生きることへの希望をうたった詩を500余篇書きましたが、26年の短い生涯で一冊も詩集は出版されませんでした。しかし、その詩に込められた思いは、今も現代の作家や詩人、作曲家、画家を揺り動かしています。みすゞの詩に新しい角度から光を当て、彼女の瑞々しい「詩のことば」を読み解きながら、みすゞの生涯と詩の魅力、世界に誇る日本の文化「童謡」の豊かさも浮き彫りにします。

金子みすゞは、山口県大津郡仙崎(現・長門市仙崎)の漁師町に生まれ、海辺の自然の中で感受性を育てました。時は大正デモクラシーのころ、子どものための「童謡詩」が一世を風靡し、童謡詩を読んで育ったみすゞは、20歳から詩の投稿を始め、1923年(大正12年)には、4つの雑誌に一斉に作品が掲載。詩人の西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と激賞されます。みすゞは投稿家として、独特の豊かな想像力から鮮烈な詩を雑誌に発表しますが、童謡詩を載せた雑誌が続々と廃刊。切なる望みだった詩集刊行の夢も絶たれ、26歳という若さで命を絶ちました。

 今、みすゞの詩が多くの人々の心をとらえるのはなぜでしょうか? 新発見された弟・雅輔の70年分の日記を元に、金子みすゞの初の伝記小説を書いた作家の松本侑子さんは、みすゞは「言葉には人を動かす力があると信じた」詩人であり、その思いに誠実に詩を書いたからだといいます。みすゞは、生きる喜びと哀しみ、人間の癒やされない孤独、人と死別する哀しみ、それでも未来にたくす希望の光、また夢のような想像にひたる甘美な喜び、私たちを生かしている宇宙の偉大な神秘を、詩に書き続けました。その強い思いと誠実な言葉が、1世紀を超えて私たちの心を揺さぶるというのです。

 SNSでの短いフレーズの氾濫、ネット社会での暴力的な言葉……「ことばに対する感受性」が鈍化しつつある現代。みすゞの瑞々しい「詩のことば」とその思いを読み解き、「私たちにとって、ことばとは何か?」「何かを表現するとはどういうことか?」といった普遍的なテーマをもう一度見つめなおし、また「童謡」の魅力も再発見します。

 

各回の放送内容

第1回 詩心の原風景

山口県仙崎の漁師町で、死んでいく小さな魚を見て育ったみすゞ。彼女の中には、小さな命を慈しむ優しい心、また命なきものへの温かなまなざしが宿っていく。みすゞの少女時代は、大正デモクラシーであり、子どものための自由な教育と表現の気運から、児童の文芸誌「赤い鳥」「童話」「金の船」が創刊。そこに載った北原白秋、西條八十、野口雨情の「童謡詩」は、作曲されれて歌になり、大人にも人気を博す。本屋の娘だったみすゞは、こうした童謡詩を愛読して育ち、漁師町の風景のなかで、詩心をはぐくむ。第一回は、「大漁」「おさかな」「積もった雪」の初期の作品から、みすゞの10代をふり返り、私たちが失いがちな見えないものへのまなざし、見えない世界に想いをはせる心の豊かささを考える。

第2回 視点の逆転、想像の飛躍

みすゞは20歳になると、港町下関に出て、書店員となり、童謡詩を書き始める。雑誌の懸賞欄に投稿すると、多くが誌面を飾った。みすゞはライバルの投稿家と切磋琢磨し、優れた表現方法を獲得していく。特にみすゞに影響を与えたのは、みすゞが敬愛した詩人・西條八十。「視点を逆転して、想像を飛躍させる」八十の手法を、みすゞはさらに発展させ、傑作を生み出す。第二回は、視点の逆転から書かれた「蜂と神さま」「私と小鳥と鈴と」などの代表作から、みすゞの表現の巧みさ、みすゞ独特の想像力の飛躍と、その魅力を紹介する。

第3回 「孤独」と「死」をみつめて

時代の流れの中で、童謡詩を載せた雑誌は次々に廃刊。みすゞは発表の場を失う。そこで詩集刊行の望みをかけ、512作の詩を、西條八十と、東京で編集者として働く弟・雅輔に送るが、願いはかなえられなかった。みすゞにとって詩と表現は、自らを生かす希望の力だった。その希望が失われ、さらに結婚生活の不幸、健康の問題も重なり、みすゞは自ら死を選ぶ。またみすゞはスペイン風邪の世界的パンデミックと大量死、関東大震災の時代に生き、人の儚い死を見つめていた。第三回は、苦境の中でみすゞが真剣に向き合った人間の「孤独」と「死」、「希望の喪失」を描いた詩を読解する。

第4回 ことばで響き合う未来

みすゞの手書きの詩512作は、弟の雅輔が大切に保管していた。昭和59年、その全作が出版、死後50年以上たって、初めてみすゞ全集が刊行。国語教科書に掲載され、平成に金子みすゞは大ブームとなる。さらに東日本大震災の直後、テレビから流れた詩「こだまでしょうか」は、傷ついた人々の心を癒やした。今では全512作に曲がつき、全国で愛唱される。第4回は「明るい方へ」「このみち」等から、私たちに生きる励ましと勇気を与えるみすゞの詩の力を読み解く。

 

 

 

指南役:松本侑子

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2506

Trending Articles