15年位前から、毎年お正月には仲間たちと「七福神めぐり」をすることが恒例となっていました。
最初に突然のメールで参加したのは「亀戸七福神巡り」でした。何度か参加したのは、「深川七福神」や「日本橋七福神」でした。
しかし、2年前の「板橋七福神めぐり」で途中リタイヤしました。仲間と同じ歩調で歩くことができなくなりました。その一週間後に、1か月半の入院。それ以降、「七福神めぐり」には参加していません。
そろそろ「七福神めぐり」の案内が来る頃だと思ったりしていました。
ネットをぶらぶら見ていたら、「隅田川七福神巡り」関連の記事がいくつか出ていました。
新春の幸せは隅田川七福神から
「隅田川七福神めぐり」へ行ってきました。江戸文化年間に開闢された「隅田川七福神」は、七福神の始まりとして長い間お正月の楽しみとなってきました。一般に元旦から七草までをご開帳としていますが、七草は過ぎていますが、今回は土曜日である8日に行ってきました。今年はお天気もよく、参加者は途中参加も含めて20数名、毎年だいたい同じメンバーです。
10時30分に頭部伊勢佐木線堀切駅西口改札あたり、レトロでカワイイ駅でした。堀切を出発し、一路南下して、スカイツリーの足下、業平橋駅あたりでそれぞれ食事の出来るお店を探しながら、自然解散しました。実は七福神めぐり終了後、仲間のお宅で新年会がありましたが、残念ながら僕は用事があり不参加でした。
隅田川七福神は以下の6カ所を巡りました。多聞寺(毘沙門天)→白髭神社(寿老人)→向島百花園(福禄寿)→長命寺(弁財天)→弘福寺(布袋尊)→三囲神社(恵比寿・大黒神)。以下、いただいた「隅田川七福神めぐり」の資料より、引用しておきます。
多聞寺(毘沙門天)
本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられる。昔、村人たちは、本堂の前に住む狸のいたずらに悩んでいた。その村人を毘沙門天門下の禅尼童子が狸を懲らしめ救ったという伝説が伝わる。
白髭神社(寿老人)
祭神の猿田彦命は道案内の守り神ということから、お客を案内する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれる。隅田川七福神の中でなかなか見つからなかった寿老人を、白い髭の長寿の神様として白髭大明神に当てたことから「神」としている。
向島百花園(福禄寿)
文化元年(1804)に開かれた百花園に集まる江戸の町民文化を代表する文化人たちの発案で、隅田川七福神めぐりが始まった。福禄寿尊像は、開祖佐原鞠塢が百花園の草花にちなみ、本草の神として愛蔵し信仰していたもの。
長命寺(弁財天)
三代将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛を、寺内の井戸水で薬を服用し、快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も長命寺とした。弁財天は河(水)の神ということから蛇がお使いとして選ばれ、巳の日に参拝する風習が生まれた。
弘福寺(布袋尊)
黄檗宗で中国風の特色を持つ禅宗建物。布袋尊は七福神の中で唯一実在した中国の禅僧で、弥勒の化身といわれる。咳の爺婆尊像は、風外和尚が修行中、両親を偲び刻んだもので、風外の石像だから風邪にも強かろうと、風邪除けの信仰を集めた。
三囲神社(恵比寿・大黒神)
三井寺の僧源慶が弘法大師壮健の由来を持つ荒れた祠を再建したとき、出土した神像の周りを、白狐が現れ3回巡り、消え去ったことから「みめぐり」の名が起こったとされる。大國・恵比寿は越後屋(現三越)に祀られていたもの。
以下、画像とコメントを交えて報告しておきます。
東武伊勢崎線堀切駅
多聞寺(毘沙門天)
隅田川神社
白髭神社(寿老人)
向島百花園(福禄寿)
子育て地蔵
じまん草餅
長命寺(弁財天)
弘福寺(布袋尊)
三囲神社(恵比寿・大黒神)
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