リチャード・ロジャース氏が死去、というニュースが流れました。88歳でした。
朝日新聞:2021年12月20日
2000年世界文化賞受賞(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
過去の記事から
リチャード・ロジャースの「ロイズ・オブ・ロンドン」!
1988年に建築士会「ヨーロッパ5カ国建築視察」のツアーに参加しました。当時の資料が残っていないので、撮影したスライドが残っているだけで、建築視察の詳細はわかりません。その前にアメリカへは行ってましたが、僕にとっては初めてのヨーロッパ旅行でした。ロンドンでは、開発しつつある「ドッグランド」を視察するということでしたが、規模が大きすぎて、バスでぐるぐる回るだけで、まったく焦点が定まりませんでした。が、目玉は、金融街・シティにある「ロイズオブロンドン」でした。石造の、クラシックな建物が立ち並ぶシティの中で、まさに「なんじゃ、これは!」の驚きでした。
リチャード・ロジャース:(1988年12月現在)
1933年、イタリア、フィレンツェに生まれる。4歳のときに英国へ移住。AAスクールでディプロマ取得、イェール大学でシェマイエフに学ぶ。1963年、ノーマン・フォスターとともにチーム4を結成。おもなプロジェクトのなかには、RIBAリージョナル賞と優秀工業ビルディングとしてタイムズ賞をクリーク・ヴィーン・ハウスとリライアンス・コントロールズ社工場などがある。ロジャースは、1977年にレンゾ・ピアノとパートナーシップを組み、1977年開館し、すでに7000万人の来場者を数えたポンピドゥ・センターのコンペを勝ち取った。リチャード・ロジャース・パートナーシップは、1977年ジョン・ヤング、マイク・デイヴィスとの間に設立された。1978年、彼らは1986年にオープンしたロイズ・オブ・ロンドンのコンペに勝った。
ロイズ・オブ・ロンドンを背景に、パートナーとともに
左から二番目がリチャード・ロジャース
ひげ面はレンゾ・ピアノ
リチャード・ロジャースの「ロイズ・オブ・ロンドン」!
(撮影tonton3:1988年10月)
旧ロイズの外壁を一部保存
ここがメインの入り口
メタリックの外観が美しい
街との対比が異様です
整然と並ぶ配管ユニット
まるで石油コンビナート
露出した階段と洗面所のユニット
配管の露出が美しい
壁にへばりつくエレベーターシャフト
エレベーターの動きが外からよく見えます。
当時はこういうエレベーターはなかった
エレベータボックスもシースルー
吹き抜け部分のエスカレーター
エスカレーターもシースルー
エスカレーターで普通に入れます
今はどうでしょう?
吹き抜け部分の外壁側
柱はコンクリート製のカバー
これが唯一ブルータルな感じを与えている
エントランス廻り、外階段とキャノピー
赤い服のオジサンがいるのがロンドンらしい?
透明感のあるエントランスのキャノピー
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リチャード・ロジャース 1978-1988