澤田瞳子の直木賞受賞作「星落ちて、なお」(文芸春秋:2021年5月15日第1刷発行)を読みました。直木賞関連の作家や作品はほとんど読まないのですが、河鍋暁斎の娘・暁翠を描いた作品ということで、読んでみました。320ページほどの作品ですが、なかなか読み進まず、時間がかかりました。
作品紹介:
【第165回直木賞受賞作!】
鬼才・河鍋暁斎を父に持った娘・暁翠の数奇な人生とは――。
父の影に翻弄され、激動の時代を生き抜いた女絵師の一代記。
不世出の絵師、河鍋暁斎が死んだ。残された娘のとよ(暁翠)に対し、腹違いの兄・周三郎は事あるごとに難癖をつけてくる。早くから養子に出されたことを逆恨みしているのかもしれない。
暁斎の死によって、これまで河鍋家の中で辛うじて保たれていた均衡が崩れた。兄はもとより、弟の記六は根無し草のような生活にどっぷりつかり頼りなく、妹のきくは病弱で長くは生きられそうもない。
河鍋一門の行末はとよの双肩にかかっっているのだった――。
物語の終盤、ポイントとなる箇所を挙げてみました。
兄の周三郎は死んだ。あれほど大勢いた暁斎の弟子もすでに亡く、残る者たちは八十五郎を筆頭に暁斎を忘れ、この大正のただなかを生きている。暁斎が描き、生きた世はもはや過去となったのだ。実際のところとよは、自分に暁斎について語る資格があるとは思っていない。だが一方で、この世にはもはやとよ以上に、暁斎について知る人物はいないのだ。稀代の絵師にして、餓鬼。とよと周三郎の師であり、父親。そんな河鍋暁斎という男はたまたま猥雑戯狂の浮世絵師として語ることも、生真面目な写生を画技の根幹に据えた狩野派絵師として語ることも――場合によってはすべてに口を噤(つぐ)み、血ではなく墨によって結ばれた河鍋の家そのものを、このまま人々の記憶から忘れ去らせることすら、いまの自分にはできる。
暁斎の如く、血を分けた子どもたちですら絵の技量で推し量り、半鐘が鳴るや否や人の命すら顧みずに絵筆を持って駆けつけていくのが立派な絵師なのか。もしそうだとすれば、絵師とはまさに餓鬼そのものであり、生来、忌むべき生業となる。・・・暁斎の絵は、もはや古きものとなった。そしてとよは絵師としては暁斎に遠く及ばず、餓鬼の家を継ぐ者もいない。今北斎を気取り、自分を北斎の娘の如く育てようとした暁斎は、いまのとよを見ればさぞ歯噛みするだろう。だが、それでいい。墨だけで結び付けられた鬼の棲家を知る者は、もはやとよだけで十分だ。そしてやはり絵ゆえに死してもなおとよたちを苦しめた暁斎の真実などは、自分が墓場まで持っていかねばなるまい。
物語のなかで、とよは躊躇逡巡します。自分を出しません。傍観者としての立ち位置を保ちます。これでいいのか?その辺が、この物語が、多くの人に評価されない理由なのでしょう。どちらにしても、読者としてすっきりしません。
さて、直木賞受賞作ということなので、代表的な「選評」を読んでみることにしました。選考委員の中でも、積極的な賛成の人から積極的な反対の人まで、あからさまに多種多様です。
◎積極的な賛成、自発的に推薦、最も高い評価
伊集院静
「安定味のある文体、そつのない構成で、候補作品で唯一人、プロの力量を感じられる作品だった。」「他の選考委員から、鬼才である絵師の父、その跡を受け継いだ主人公である娘の、絵を描くシーンが欲しいという意見があった。だが、三人の委員(偶然、皆男性であったのだが)は、その必要無しとの意見で一致した。珍しいことなのだが、ベテラン男性委員が澤田作品を推したことは、彼女の力量と、今後の作品への期待なのであろうと私も嬉しかった。」そしてとよは
○中立的な賛成、最終的に賛成、2番目に高い評価
北方謙三
「言葉をさまざまに費して評する必要はなく、描かれた人物がそこここに立ちあがり、時が流れる。新しくはなく、しかし連綿と続いてきた物語の、強持って駆けつけていくのがさを持っている。だから、古くもならないだろう。この作者は、物語の端緒から、筆が躍る傾向があったが、今回は驚くほど抑制された筆だった。」
○中立的な賛成、最終的に賛成、2番目に高い評価
宮部みゆき
「一見オーソドックスな歴史人物小説であるように見えて、実は掟破りの挑戦をしている果敢な小説です。」「何が掟破りなのか。それは、史実を題材にした歴史小説では、普通は主人公に取り立てられることのない人物を中心に据えていること。」「澤田さんは、その人生を長編小説一冊分かけて掘り下げました。」「そのおかげで、作品のしめくくり、亡き父についてインタビューを受ける最晩年のとよの静かなたたずまいに、私は気持ちよく泣かせていただきました。」
■中立的な反対、賛成・態度不明から最終的に反対、長所も認めるが結果的に反対
桐野夏生
「偉大な父の存在という重荷(引用者中略)西洋絵画が入ってきて、父から継いだ絵はすでに時代に遅れになっている、(引用者中略)このふたつの苦しみがいまひとつ伝わってこないのは、とよの人物造型がやや平板だからかもしれない。」「また、江戸から明治に移った混乱や、明治という時代の新鮮さは、あまり感じられなかった。」
●積極的な反対
高村薫
「「画鬼」の父の具体的描写はなく、すべてが暁翠の独白で語られるだけなので、その葛藤は具体性を欠き、障子越しに他人の暮らしを垣間見るようなあいまいさである。有名な芸者ぽん太と清兵衛の愛も、まるで艶やかさが伝わらない。」
澤田瞳子:
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士課程前期課程修了。2010年に「孤鷹の天」でデビューし、同作で中山義秀文学賞を最年少受賞。12年「満つる月の如し 仏師・定朝」で本屋が選ぶ時代小説大賞、13年に新田次郎文学賞を受賞。16年には「若冲」で歴史時代作家クラブ賞と親鸞賞を受賞。20年「駆け入りの寺」で舟橋聖一文学賞受賞。他の著書に「火定」「落花」「稚児桜」などがある。
河鍋暁翠の名品
東京富士美術館で「暁斎・暁翠伝 先駆の絵師魂! 父娘で挑んだ画の真髄」を観た!
美人画、神仏画
物語・風俗画、能・狂言画
動物画、戯画
「河鍋暁斎・暁翠伝」
―先駆の絵師魂!父娘で挑んだ画の神髄―
2018年3月28日初版発行
著者:河鍋楠美
発行:株式会社KADOKAWA