横尾忠則の「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書:2017年7月20日初版第1刷発行)を読みました。
この本については、「日経新聞上から読むか下から読むか」のコトラーさんが
2021年11月10日のブログに書いています。
『本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた』横尾忠則
この本は、2009年4月から2017年6月まで8年間に、朝日新聞に掲載された書評133編を、一冊にまとめたものです。僕は長い間、朝日新聞をとっているので、朝日の書評は楽しみであり、大いに参考にしています。もちろん、横尾忠則の書評も、かかさず読んでいます。が、なんとなく読んでいたので、まとめて読むと、こんなにも数多く書評を書いていたのかと、驚きました。
以下、「あとがき」から。
書評の対象として書評委員の前に並べられる本は、僕にとっては恐らく一生読まないだろうと思われるものが大半だった。とはいうものの、興味の対象や至高の範囲を拡大してみるのも、まんざら無駄ではないことに気づいた。そして、アッという間に当初の約束の2年を超えて、8年目に入った。(今でも続いていますが)
書評の経験は全く初めてだった。・・・毎週書評欄の他人の書評は皆、上手い。そてもあんな風には書けないと自信を失くしたが、先ず本を読む必要がある。これが代のニガ手である。長い日数をかけて読み終わったら読む尻から片っ端から忘れていく。あーあァ、もう一度最初から読まなきゃいけない。こんな繰り返しを毎回やってきた。
総括して短文で書評するなんてよほどの才能がなければできない。だから僕の書いた書評は大半の著者の意向に反して、「そーじゃないんだよなあ」とニガ虫を嚙みつぶしながら、書評に対する批判の声がどこからとなく聞こえてくるような気がする。これって見えないカルマを積んでいることになるんじゃないかな。
だからといって嫌々書いた本は一冊もない。どの本も誰かに読んでもらいたいと思う本ばかりだ。読後の記憶はほとんど忘却しているが、これらの本を選択した意思は何らかの形で僕の創作と人生とは無縁ではないように思う。そう考えると、どれ一冊とて無駄な本はなかったということなのかなあ。
この本に載っている横尾忠則の書評、関連するものを拾い上げてみました。
酒井忠康の「早世の天才画家 日本近代洋画の12人」を読んだ!
井上ひさしの「創作の原点 ふかいことをおもしろく」を読んだ!
安村敏信の「江戸絵画の非常識 近世絵画の定説をくつがえす」を読んだ!
東京ステーションギャラリー「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」!
横尾忠則:
1936年兵庫県生まれ。美術家。1972年にニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品し、アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など、世界各国の美術館で個展を開催。国際的に高い評価を得ている。2001年紫綬褒章、2011年旭日小綬章、同年朝日賞、2015年高松宮殿下記念世界文化賞など受章・受賞多数。2012年神戸市に兵庫県立横尾忠則現代美術館が開館、2013年香川県・豊島に豊島横尾館が開館。2008年小説集「ぶるうらんど」(文芸春秋)で泉鏡花文学賞、2016年「言葉を離れる」(青土社)で講談社エッセイ賞受賞。
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