伊藤比呂美の「閉経記」(中公文庫:2017年6月25日初版発行)を読みました。
「閉経記」、本屋で買うにはちょっと勇気がいる。僕はネットで購入したので平気でしたが、こんなの読んでいいのかなと、やはり買って読むのに躊躇しました。
購入しただけで、まだ読んでいない伊藤比呂美の本は、以下の通り。
「良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)」中公文庫
「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」講談社文庫
「女の一生」岩波新書
「日本霊異ナ話」朝日文庫
ここからがむずかしい。
「たどたどしく声に出して読む歎異抄」ぷねうま舎
「新説説経節 小栗判官・しんとく丸・山椒大夫」平凡社
そしてそして最新刊、
「いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経」朝日新聞出版
2021年11月30日第1刷発行、ですよ。
「閉経記」、「あとがき」には、こうある。
連載中は「漢(おんな)である」というタイトルだった。「漢」に「おんな」とルビを
ふることで、女たち、俗におばさんと呼ばれるわれわれの持っている正義心、行動力、そして人生に対する覚悟と矜持をあらわしたつもりだったが、本にするときは、検索しにくいわかりにくいということで、別のタイトルを模索して、たどり着いたのが「閉経記」。あたしたちのための軍記みたいで、気に入っている。
べつに閉経のことばかり書いていたわけじゃないが、どんなテーマを書いていても、根本には閉経前後の女のからだがあった。老いていく自分と、いろんなものとの関係があった。すべて新鮮でおもしろかった。そしてその中心にあったのが閉経だった。
「閉経記」の目次は、(たぶん)全部俳句です。
初冬やくそ暑いのは我ばかり。
寒鼠最後はゴミとなりにけり。
本命のチョコ食いあかす犬心。
経血やしょぼしょぼしょぼと寂しそう。
朧月夜の目も寝ずに数独かな。
五十五のやぶれかぶれの色気かな。
春あらし山もめらめら燃えておる。
桜さき骨うきあがる散りぬるを。
ゆく春や鬼のいぬ間に何をせう。
目に青葉愛染かつらクリームパン。
白砂の泡こぼれけりはいビール。
楽も苦も今も昔も梅雨の空。
見上げればむくむく太る夏の雲。
汗だくの筋肉お肉とあぶらみも。
書くほどに猛暑猛暑と墨の跡。
夏草やあとはよろしくさようなら。
ズンバサンバマンボタンゴにチャチャチャチャチャ。
たらちねのブラとガードル風も死す。
この夏はスイカを食べずに過ぎにけり。
天高く馬も漢も肥ゆるかな。
コンブチャや紅茶キノコやそぞろ寒。
枯葎たつかぎりはと思ってた。
ジーンズをはいて走るや年の暮れ。
初春やおなかほっぺおしりカノコの子。
吹けよ風つめたかないぞとズンバする。
春一番拓郎森魚に清志郎。
清盛と父と夫と二月尽。
帰る鳥来てまた帰りすぐに来る。
馬の背にゆられゆられて春野ゆき。
篷生の坂をゆっくり下りおり。
びんひとつ菌と女が共棲す。
ありがたや白い麹の発酵経。
日本語のなまりなつかし半夏生。
そばに寄るだけで蒸し蒸しと夫かな。
巨人戦終わって灯りが消えました。
またズンバズンバズンバズンバでもやせない。
太陽も汗にまみれて女の輪。
ババヤガは炎天に立ちマゴを待つ。
婆の乳垂れて萎びて夏の果て。
父の家あの日のままに風立ちぬ。
身にしむや生々生々の女の念。
名月よついにあたしはやせにけり。
うそ寒や座禅は雑念だらけなり。
ひいふうと口裂け女か木枯らしか。
捨てて捨てて捨てて捨てて捨てて捨てはてた。
おおさぶい母の呪いと娘の老い。
日短し切り干し大根白い飯。
お歳暮の届け物あり声ひとつ。
あとがき
文庫本あとがき
伊藤比呂美:
1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。性と身体をテーマに80年代の女性詩人ブームをリードし、同時に「良いおっぱい 悪いおっぱい」にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。近年は介護や老い、死を見つめた「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)「犬心」「父の生きる」、お経の現代語訳に取り組んだ「読み書き『般若心経』」、「たどたどしく声に出して読む歎異抄」を発表。人生相談の回答者としても長年の支持を得ており「女の 絶望」「女の一生」などがある。一貫して「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が多くの共感を呼んでいる。現在は、熊本と米国・カリフォルニアを拠点とし、往復しながら活動を続けている。(2017年、「閉経記 文庫版」刊行時)
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