田中優子の「苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」(集英社新書:2020年10月21日第1刷発行、2021年1月13日第2刷発行)を読みました。
正直に言うと、多方面にわたって述べられているこの本、僕は十分に読みこなしていないことを、恥ずかしながら告白しておきます。
おりしもこの本を読んでいる最中に、朝日新聞で田中優子の「語る―人生の贈りもの」が始まり、12回では「石牟礼さんに学んだ共同体の力」と題して、石牟礼道子をとりあげていました。下に載せておきます。
水俣病から新型コロナウイルス、政治的抑圧ま
近代資本主義社会の限界と災禍の時代によみがえる世界的文学者の思想!
渡辺京二は、石牟礼道子が亡くなってから、以下のように言う。
(「おわりに」より)
「亡くなってから作品を読み返して、改めて彼女は天才だと思いました。彼女は自分を詩人と規定していました。古代の詩人は預言者、つまり言葉を預かる人でもあったことを考えると、彼女は文字通り天の言葉を預かった人だった」と。
「天の言葉を預かる人」とは、まさに古代から続く文学者の定義である。と、田中優子は続ける。文学者は単に個人の意味の内部でのみ、自分中心に言葉を書き付ける人ではない。自らが生きているその時代の、その社会の死者と生者に言葉を託され、その言葉を長い歴史の中に位置づけ、未来に向かって方向づける人なのである。
田中優子の「苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」とは、どのような本なのか?
内容紹介:
水俣病犠牲者たちの苦悶、心象風景と医療カルテなどの記録を織りなして描いた、石牟礼道子の『苦海浄土 わが水俣病』は類例のない作品として、かつて日本社会に深い衝撃を与えた。だが、『苦海浄土』をはじめとする石牟礼文学の本質は告発だけではない。そこには江戸以前に連なる豊饒な世界と近代から現代に至る文明の病をも射程に入れた世界が広がる。
経済原理優先で犠牲を無視し、人間と郷土を踏みにじる公害、災害。それは国策に伴い繰り返される悲劇である。新型コロナウイルスの蔓延が状況を悪化さ彼女はる中、石牟礼本人との対談、考察を通し世界的文学者の思想に迫る、評伝的文明批評にして日本論。今は亡き文学者に著者は問い、考える。「石牟礼道子ならどう書いたであろう」と。
石牟礼道子の世界
目次
序章 石牟礼道子の重層する「二つの世界」
第1章 母系の森の中へ
第2章 戦う共同体
第3章 もだえ神
第4章 祈るべき天と思えど天の病む
おわりに
参考文献
田中優子:
1952年神奈川県生まれ。法政大学社会学部教授(近世文学)等を経て法政大学総長。2005年紫綬褒章受章。著書に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫/芸術選奨文部大臣新人賞受賞)、『近世アジア漂流』(朝日文芸文庫)、『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』(ちくま文庫/芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞)、『江戸の恋-「粋」と「艶気」に生きる』(集英社新書)、『カムイ伝講義』(ちくま文庫)、『布のちから 江戸から現在へ』(朝日文庫)など多数。
過去の関連記事:
朝日新聞:2021年7月14日