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高村薫の「作家は時代の神経である」を読んだ!

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高村薫の「作家は時代の神経である」(毎日新聞出版:2021年8月5日発行)を読みました。

 

過去のブログで、以下のように書きました。

かつては小説家としてデビューし、多くの作品を残していた高村薫ですが、僕の理解では推理小説だったか・・・。略歴を見ながら僕が読んだものを拾ってみると、「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」「晴子情歌」等々、当時出すものはそこそこは読んでいました。「晴子情歌」(上下)は、よく覚えています。青森の名家の人々の生き様を通して、近代日本そのものを描き切った名作です。次に出た「新 リア王」がら読まなくなったようです。次第に高村は、小説から「時評」にシフトしていきます。いや、小説は書いていたでしょうが、僕の前からフェード・アウトして、「時評」が前面に出てきました。

高村薫の「作家的覚書」を読んだ!

 

本の帯には、以下のようにあります。

それでも、ありうるべき未来へ!

コロナ時代に顕在化した政治的無責任、

社会基盤の崩壊、人心の動揺・・・。

「時代の神経」である作家の感応力が、深く見つめる。

リアルでありながら、理想を手放さない希有な思考。

危機の時代の羅針盤。

 

「あとがき」には、以下のようにあります。

私自身は作家であることのささやかな自負はあるが、時代の神経などと大それたことを考えているわけではない。しかも、年齢とともに時代と並走するような社会派の小説には食指が動かなくなり、いまやあえて時代に背を向けた純粋な言葉の世界にひとり沈むようになって久しいのだが、それでも同時代を生きる者の一人として、日々の出来事に背を向けた、その背中に張りついてくる時代の空気を完全に振り払うことなどできるはずもない。とすれば、社会と切り結ぶことのない小説の言語空間で遊びながら、一方ではけっして純粋な存在にはなれない一生活者としての身体を、かえって痛烈に意識しているのかもしれない。

かくして「サンデー毎日」誌に週一回の時評を書き続けているのだが、ジャーナリストではない一作家にあるのは皮膚感覚だけである。・・・時代の空気感などは、たまたま大都市圏に隣接しているために現代社会の暮らしの風景がほぼそろっているその生活圏で、この身体が日々ダイレクトに感じ取っているものである。すなわち新型コロナウイルスの漠とした恐怖も、マスクや消毒液の不足に伴う社会の殺伐も、長引く緊急事態宣言下の緊張と緩みも、一年延期となった東京オリンピック・パラリンピックへの関心の低さも、外国人技能実習生の暮らしの厳しさも、みなこの生活圏で感じ取り、そのつど時評というかたちで言葉にしたものなのである。

 

*本書は、「サンデー毎日」

  2020年3月8日号から2021年5月30日号まで

  連載された「サンデー時評」を再構成したものです。

 

高村薫:

1953年大阪市生まれ。作家。

1993年「マークスの山」で直木賞、

1998年「レディ・ジョーカー」で毎日出版文化賞、

2016年「土の記」で野間文芸賞・

大佛次郎賞・毎日出版文化賞を受賞。

他の著書に「我らが少女A」

「時代へ、世界へ、理想へ」など多数。

 

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