スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの著作は、2冊持っています。
「戦争は女の顔をしていない」と「チェルノブイリの祈り」です。
が、しかし、恥ずかしながらちゃんと読んでいない。アレクシエーヴィチが「100分de名著」に取り上げられたので、これは読まざるを得なくなりました。お尻に火が付いた状態です。まずは今日からの放送をしっかり観ることにしましょう。
「戦争は女の顔をしていない」
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著
三浦みどり 訳
2016年2月16日第1刷発行
2020年3月5日第10刷発行
発行所:岩波書店
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
100分de名著
アレクシェーヴィッチ
「戦争は女の顔をしていない」
第1回 8月9日放送/8月11日再放送
証言文学という「かたち」
第2回 8月16日放送/8月18日再放送
ジェンダーと戦争
第3回 8月23日放送/8月25日再放送
時代に翻弄された人々
第4回 8月30日放送/9月1日再放送
「感情の歴史」を描く
プロデューサーAのおもわく
第二次世界大戦中、もっとも過酷な戦場の一つになったといわれる「独ソ戦」。ソ連側だけでも死者は約2700万人といわれています。この戦争で特筆すべきは従軍した女性兵士が100万人を超えるということです。そんな彼女たちの苦悩や悲しみ、希望や絶望を「証言文学」という方法で克明に描ききった本が「戦争は女の顔をしていない」。2015年、「私たちの時代における苦難と勇気の記念碑」と評され、著者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(1948-)がノーベル文学賞を受賞するきっかけとなった名著です。「100分de名著」では、終戦から77年目を迎える8月、「戦争は女の顔をしていない」に新たな光を当て、現代の私たちに通じるメッセージを読み解いていきます。
アレクシエーヴィチはもともと地方紙の一記者でした。戦争を記録するのが「男の言葉」だけだったことに疑問を持ち続けた彼女は、「戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを」というやむにやまれぬ思いから、元女性兵士たちから聞き書きすることを決意、この本を書き始めました。以来、独ソ戦に従軍した女性たちに寄り添い、500人を超える人たちからの証言を聞き取り続けます。しかし、完成から2年間、「これはわが軍の兵士や国家に対する中傷だ」として検閲され出版されることはありませんでした。ようやく出版されたのは、ペレストロイカが進んだ1984年。出版されるや200万部を超えるベストセラーになり、映像化も果たします。当時、元女性兵士たちの状況は、まだメディアで断片的にしか伝えられることはなく、その全貌はほとんど知られていませんでした。そんな中での「戦争は女の顔をしていない」の出版は、戦争の記憶を忘れ去っていた人たちに「戦争のリアル」をつきつけ、大きな衝撃を与えたのです。
この書は「戦争」を告発するだけにとどまりません。描かれた女性たちの姿からは、戦場でも女性でありたいという希求や、女性ならではの苦悩、悲しみが克明に描かれます。それに照らし出される形で、プロパガンダによる愛国心の鼓舞や男女の差別を固定化する因習によって翻弄される女性たちの厳しい状況も浮かび上がります。更には、そうした歪んだ構造を無意識裡に支えてきた市民一人ひとりの「罪」をも鋭く抉り出します。この本は、文明論的な洞察がなされた著作でもあるのです。
番組では、ロシア文学者の沼野恭子さんを講師に招き、新しい視点から「戦争は女の顔をしていない」を解説。そこに込められた「人間の尊厳」「ジェンダーの問題」「戦争が生み出す差別」「人間の本源的な感情とは何か」といった現代に通じるテーマを読み解くとともに、「戦争とは何か」という普遍的なテーマについて考えます。
第1回 証言文学という「かたち」
アレクシエーヴィチがとりわけこだわったのは女たちの「小さな声」だった。「私は大きな物語を一人の人間の大きさで考えようとしている」と語る彼女は一人ひとりの苦悩に徹底して寄り添う。沈黙、いいよどみ、証言の忌避、男性たちの介入や検閲…記録を妨げるものは多々あった。彼女はそのプロセスをもありのままに記録し500人を超えるその記録はやがて「多声性」を獲得。証言同士が浄化し合い響き合うことで、魂の奥底から照らし出されるような新しい文学の「かたち」が生まれたのだ。第一回は、アレクシエーヴィチが模索しながら辿り着いた方法を通して、証言の記録がなぜ文学となりえたのかを明らかにしていく。
第2回 ジェンダーと戦争
過酷な戦場の中でもハイヒールを履いたりおさげ髪にする喜びを忘れないパイロットたち、行軍中の経血を川で洗い流すためには銃撃を受けることも厭わない高射砲兵、「戦争で一番恐ろしいのは死ではなく男物のパンツをはかされること」と語る射撃手…女たちの語りは男と違い生々しい「身体性」を帯びる。女子から兵士への変身は女性を捨てることを意味したが、彼女たちは決して全てを捨て去ることはできなかった。戦場でも女性でありたいという希求、それは戦争の非人間性を逆照射していく。第二回は、今まで前景化されることがなかった「ジェンダー」という視点から、戦争の過酷さや悲惨さを浮かび上がらせる。
第3回 時代に翻弄された人々
旧ソ連では数多くの若い女性が自ら志願して戦争に行った。その背景にはスターリンによる愛国主義の高まりがあった。あらゆる領域で男女同権の理念を高らかに歌い上げた旧ソ連では「兄弟姉妹よ!」「少年少女よ!」との掛け声のもと女性たちの愛国心も鼓舞されたのだ。だが彼女たちを待っていたのは戦後の厳しい差別だった。男と同じく銃を持って戦ったのに英雄視されたのは男だけ。そればかりか帰還した女性兵士は「戦地のあばずれ、戦争の雌犬め」と蔑視される。第三回は、プロパガンダや戦後の過酷な差別など時代に翻弄された女性たちの姿を通して、人間が国家や制度の犠牲になっていく構造を明らかにする。
第4回 「感情の歴史」を描く
アレクシエーヴィチはしばしば「感情の歴史」を描きたいと語る。戦争の原因や意味といった大仰なものではなく、人がどう感じたかを掬い上げたいと考えるからだ。憎悪と慈愛の共存、平時では考えられないような感情のうねり、戦争終結後も人々を苛むトラウマ…。英雄譚や大文字の歴史としてしか語られてこなった戦争は、彼女の透徹した「耳」と「手」によって、生身の身体、鮮烈な五感、豊かな感情の震えの記録として描き直される。それは、これまで決して描かれたことのない、人間の顔をしたリアルな歴史だ。第四回は、「感情の歴史」という概念を通して、私達が戦争をどう記録し語りついでいったらよいかを問い直す。
完全版「チェルノブイリの祈り 未来の物語」
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 著
松本妙子 訳
2021年2月17日第1刷発行
発行所:岩波書店
1986年4月26日、その事故は起こった。人間の想像力をこえる巨大な惨事に遭遇した人びとが語る個人的な体験、その切なる声と願いを、作家は被災地での丹念な取材により書きとめる。消防士の夫を看取る妻、事故処理にあたる兵士、汚染地に留まりつづける老婆――。旧版より約1.8倍の増補改訂が施された完全版。解説=梨木香歩
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