2021年5月23日放送 NHK日曜美術館
「フランシス・ベーコンの秘密 バリー・ジュールコレクション」より
(以下、個人的な備忘録です)
「フランシス・ベーコンの秘密 バリー・ジュール・コレクション」
その3
美術評論家・酒井忠康
「ショックでしたね。恐ろしいショックでした」。
50年前、日本で初めてベーコンを本格的に紹介した酒井さんも、ジュール・コレクションに驚いた一人です。
「なんか”もっとちゃんとせいよ”と言われているような気がしたし、それから頭でっかちでものを考えるなよと言われたような気がしたし、とにかく言われっぱなしで帰ってきました」。
今まで割合、タブローの代表的な作品を目にしてきたんで、奥の奥にある原点というものにあまり触れたことがなかったから、特にベーコンはデッサンをしないと通常は言われてきたんだけど、今回のあれは広い意味でいえば最もデッサンらしいデッサンとも言えるし、摩訶不思議なデッサンと言えるし、ベーコンにとってのデッサンなんですね。
ベーコンの持っている力というか内在しているエネルギー、そういったものがどういった仕組みになっているのか、考えるきっかけになりましたね。とことん何かを見尽くす、あるいは人間というものは何か、問いただす、いろんな今までの固定観念としてかなり封印されているもので。いったん、めくって剥いでみると、何か地金が出てくるのが見えてくると、違う性質のものが見えてくるんじゃないかという感じが、ベーコンの絵にはあるんですね」。
対象を見尽くし、その内に潜む真実を描く。そこには愛すること、愛されることの絶望を知るベーコンの壮絶な体験がありました。
ジョン・メイブリィ監督 1998年 英国
映画「愛の悪魔~フランシス・ベーコンの歪んだ肖像」
それは、ある映画に描かれていました。同性愛者だったベーコンと恋人ジョージ・ダイヤの出会いと別れ。
レスリーは、来日間もないどん底の時代に、この映画を観て、その意味をずっと考えてきました。
「生まれたときに親がいなくて、片方の親が死んだでしょう。お母さんが早く亡くなって、亡くなった瞬間、絶望、思っていました。学校も最後まで通えなかったし、若い時に感じた痛みと苦しみと孤独をすごく分ったので、可能性があるのか、わかいままで、すごく長かったあの時期。
愛するが故に傷つけ、破壊する独占欲、嫉妬。
「この愛人が暗殺者となるのか、その逆か。私の心の友」。
「これ、20年前に観て、すごく分った。すごく憶えている」。
実際、絵の中でいっぱいあるじゃない。人間がこういうまるで一人一人、皆、刑務所のよう」。
・・・ジョージ・ダイヤーはベーコンの大回顧展を前に自殺
「人間と人間、愛する人との関係を、ある意味、グチャグチャにしたく、彼の中で不通にしたくない気がする。手に入ったら傷つけたい、壊したい。壊したりすることで生まれたのが、さらに彼の中での美しいものだという気がする」。
ベーコンは、ジョージとの関係の中で見えたものを幾つもの絵画に残しています。
ジョージ・ダイヤー
「ジョージ・ダイヤの三習作」(1969年) ルイジアナ近代美術館
彼とジョージは、永遠に自分のものにすることはできないから、どうせできないなら、逆に、彼の関係を通して、自分の画家としての絵描きの感情を一回、彼が想像するみたいに、ジョージを狂っていくまでにペイントしていく。その人の心臓を取り出して血だらけにする。
フランシス・ベーコンとジョージ・ダイヤー
本当に最後のベーコンの”目的地”。死ぬということに対して、ベーコンが美しいと思いますから、たぶん、ベーコンも死んだら悲しいんだけど、死んだ姿を、気持ちを知りたい。まわりに残酷な部分もあるんだけど、でも絵を描くための犠牲が必要。 自分に愛する人、愛する気持ちを犠牲にすることによって生まれた感性が、絵になるんじゃないですかね。
自画像の写真上のドローイング
バリー・ジュール・コレクション最後の展示室、
写真上のドローイング
そこにはペイントが加えられた写真が並びます。
ミック・ジャガー
グレタ・ガルボ
「ライフ」誌表紙
ケネディ兄弟
ベーコンのプライベート・ゾーン閉じられた寝室を覗き見るような、濃厚な匂いに満ちています。
これは電気椅子による死刑執行を世界で初めて撮った写真。撮影が禁止されている中、隠しカメラで記録された死の瞬間です。
映画「殺人狂」のモデルになったフランスの連続殺人犯、アンダー・ランドリー。公判で延々と無罪を主張したときの写真です。
電気椅子で処刑されるルース・スナイダー
アドルフ・ヒトラー
ヨーゼフ・ゲッペルス
人間という動物:その筋肉の運動について
ロバート・メイプルソープ「裸体のダンサー」
肉体がすごく表現する写真が多い。スポーツだけ見ると腕が見えたり、胸が見えたり、太ももが見えたり、すべて筋肉が動いている。その汗、筋肉、傷。彼は好きだね。恋する思い、全てベーコンの作品は愛とエロチック。同時に絶対それを隠さずに残しているし、そこでジェラシー、苦しみ、彼はどんどん上に、違う一面を描きだしたら、フランシス・ベーコンの人間としての、彼の感じたことも。
1956年のメルボルン・オリンピックの選手
自転車選手
2人のボクサー
2人のボクサー
他のアーティストのイメージの複製を利用する
ベラスケス「バッカスの祝杯」
ベラスケス「道化師ファン・カラバーサス」?
絵を描いているフランシス・ベーコンは画家、でも紙に描いているのは一人の男。コンプレックスが沢山あるんじゃないか。
私も実際、男が好きと言えることも、30代後半に、男が好きと前面に出せる勇気がなかった。
私もフランシス・ベーコンと同じで、写真を見て、心の中で会ってみたい、心の中でこの人とエッチしてみたい。それができないことにしても、違う方法で関係性を作りたい。フランシス・ベーコンは、彼は自分のものにするために、いろいろ描き始めている。毎日、いろんな男と出会っているように。
以下、「その4」まで続きます。
過去の関連記事:
松濤美術館で「フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」その1
松濤美術館で「フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」その2
NHK日曜美術館「恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコン」
朝日新聞:2021年6月15日