今日、ちょっと千歳烏山に用事があったので、ついでに石山さんの家(世田谷村)がどうなっているのか、回り道して見てきました。石山さんの家そのものはほとんど変わりはないのですが、周辺が宅地化が進み環境がどう変化したのかということ、また冬なので樹木が枯れて家全体がよく見えるのではないかということ、この2点について確かめてきました。
周辺の宅地化は否応なくどんどん進行していて、道路を挟んで西側は、マンションの建築中で、シートで覆われていました。東側手前には外壁が白い住宅が建っていました。3年半前にはたしか畑だったと思います。南側の樹木、常緑樹のようでまったく枯れていません。従って建物そのものは南側は依然としてよく見えません。一部東側の一部は、樹木の間からちょっとだけ見える箇所があります。なぜか古い木造の家の残骸が残っています。道路側および北側は相変わらずメタリックの素っ気ない外観です。
「世田谷村」の写真だけではと思い、古い本、といっても石山さんの本はたくさんあるのですが、その一部、代表的なものだけを、下に載せておきます。「『秋葉原』感覚で住宅を考える」は、石山修武の代名詞ともいえるもので、一世を風靡した著作です。この頃から、後々建てられるであろう「世田谷村」の作り方が、石山の身体の中にあったように思われます。その前に「バラック浄土」(相模書房)という著作もあるのですが。
それから「室内」に連載された「現代の職人」、だいぶ山本夏彦に絞られたと、石山は折に触れ述懐していますが。いま、パラパラとインタビューした人たちをみると、もうほとんど石山のその後の交友関係が、この時に出来上がっていた感じがあります。大橋歩、樹木希林、ワダエミ、小池一子、林のり子など女性陣にはビックリしました。正橋孝一、大野勝彦、李祖原、菅原昭二、山本夏彦、津野海太郎、川合健二、山田脩二、外尾悦郎、馬場昭道、佐藤健、彼らはほとんど現在の石山脩武をつくった人たちです。
そして「生きのびるための建築」、世田谷美術館での「石山修武展」の時に試みた21回の連続講義を、本にしたものです。石山の本で読める一番新しい言説です。そこで発見。第1章バラック浄土・伴野一六邸異聞、に出てくる「伴野一六邸の全景」(図1-4)、ここにつけられた石山のコメントが面白い、というか、「世田谷村」そのものです。「こういうものを作っているからまわりに疎んじがられると奥さんがいっていました。でも、まわりから疎んじがられるくらいがちょうどいい(笑い)」。今日、「世田谷村」を再訪して、画像にコメントをつけるとすれば、上のようになります(笑い)。
1984年10月20日発行
著者:石山修武
発行者:株式会社晶文社
1991年2月28日初版
著者:石山修武
2010年3月31日初版第1刷発行
著者:石山修武
発行所:NTT出版株式会社
過去の関連記事:
石山修武の「生きのびるための建築」を読んだ!
石山修武の「伊豆の長八美術館」を観た!
石山修武自邸「世田谷村」を観る!
石山修武・新日曜美術館と伊豆の長八美術館
世田谷美術館で「建築がみる夢 石山修武と12の物語」展を観る!