新宿武蔵野館で、大島渚監督の「愛のコリーダ」を観てきました。
武蔵野館では、大島渚監督の伝説の2作品を連続公開しています。
大島渚監督史上最大の問題作
セックスと愛を極限まで描き
世界の映画史にその名を刻む。
「ヌーベルバーグの秦の始まりは大島渚だった」とゴダールが言えば、大胆で、ゆるぎなく正直であり、ダイナミックで華麗、美の力を持ち自分の世界と時代を公正に評価することにこだわる…大島のような映画は誰も作れなかったとスコセッシは言う。
大島監督史上最大の問題作『愛のコリーダ』がデジタル修復されて蘇る!
男女の愛憎の果てに男性器を切り取るという、実際に起こった阿部定事件に基づき大胆な性描写で映画化。藤竜也、松田英子が狂おしいほど求め合う激しい愛の営みは1976年の公開時から45年経た今観ても息を呑む。セックスの描き方にリアルさを追求し、映画での「本番行為」は芸術かエロスかを問いかけ、国内外に大きな波紋を巻き起こした。検閲を恐れ、日本で撮影されたフィルムを未編集のままフランスに送って編集し、日本で逆輸入して上映するという執念で作品を完成させた。後に同名書籍が発行されたが、一部がわいせつ文書あたるとして起訴され、裁判にまで発展した世紀の問題作。2000年の再公開時には35㎜フィルムによる上映だったが、今回、ブラー処理、色調整、レストア作業等を施し全面的に修正を行った。新しい2Kの修復版そして初のデジタル素材となって全国公開が決定。2023年に大島渚作品が国立機関に収蔵される予定のため、今回が最後の大規模ロードショーとなる。
「阿部定事件」とは(阿部定事件 - Wikipedia)
阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。
以下、KINENOTEによる。
解説:
昭和11年に起きた“阿部定事件”を題材にした作品で、セックス表現が日本では十分に撮影できないとのことで、脚本・監督の大島渚が、フランスのアナトール・ドーマンの協力を得て、撮影は日本で行ない、フランスで編集するという新システムで完成させた。公開時性描写などに多くの修正と一部のシーンカットが施された。2000年のリバイバル時に修正を減らたノーカット版「愛のコリーダ2000」として公開された。
あらすじ:
昭和11年2月1日、東京は中野の料亭「吉田屋」に、30過ぎの女が、女中として住み込んだ。名は阿部定と言ったが、店では、加代と名付けられた。定は神田で繁昌している畳屋の末娘だったが、15歳の時に大学生に犯されて以来、不良となり、18歳で芸者に出され、以後娼妓、私娼、妾などの生活を転々としてきたのだった。しかし、最近彼女のパトロンになった名古屋の商業高校の校長は、定が浮草のような生活を止めて、真面目になるなら小料理屋を出してくれることになり、修業のために定は女中奉公に出たのだった。だが、定は吉田屋の主人吉蔵に一目惚れしてしまった。吉蔵も、水商売の歳月を重ねてきた定の小粋な姿に惹きつけられた。二人は夜更けの応接間や、早朝の離れ座敷などで密会を重ねていくうちに、ついに吉蔵の妻に知れてしまった。そして、その翌日、二人は駆け落ちした。最初は一日か二日のつもりで家を出て来た吉蔵も、いつしか定の情熱に引きずられていった。やがて金のなくなった定は、吉蔵に自分の赤い長襦袢を着せて部屋に閉じ込め、自分は名古屋のパトロンのもとへ金策に行った。その離れている時間の切なさ。再会した二人は、さらに待合を転々として愛欲の世界に浸り込んでいくのだった。二人が駈け落ちしてから二週間経った。吉蔵は「二人が末長く楽しむために」どうしても一度家へ戻って処理しなければならないことがある、と言った。定はいやいや承知した。互いに想いを慕らせた二人が再会したのは5日目の5月11日だった。二人は待合の一室に篭ったまま果てしない愛欲の生活にのめり込んでいった。定は戯れに「今度、別れようとしたら殺してやる!」と叫んで出刃包丁をふりかざすのだった。5月16日夜、戯れに吉蔵の首を締めていた定の手に力が入りすぎ、吉蔵の顔は赤く腫れあがってしまった。定は懸命に介抱するが直らず、吉歳は一旦、家へ帰って養生する結論を出した。しかし、定は前に別れていた時の切なさを思い出し、吉蔵を自分一人のものにするため、吉蔵を殺す決意をした。定は疲れ果ててまどろむ吉蔵の首に腰紐を巻きつけ、力を込めた。しばし死んだ吉蔵に添寝していた定は、吉蔵への愛絶ちがたく、その陰部を出刃包丁で切り取り、肌身につけるのだった。
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