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100分de名著 三島由紀夫「金閣寺」 解説:平野啓一郎

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5月の100分de名著は、三島由紀夫の「金閣寺」です。

解説は平野啓一郎です。

 

第1回放送の「美と劣等感のはざまで」は、平野啓一郎の分かり易い解説で観ました。あと3回続きますが、ますます興味深くなってきました。

 

三島由紀夫の「金閣寺」、全集ものですが、文芸春秋社刊の「現代日本文学館 42」、講談社刊の「われらの文学 5」のどちらにも入っているので、どちらかで読んでいると思います。

 

「金閣寺」――この作品に三島は戦後を生き抜くための作家生命を賭けた。実際に起きた金閣寺放火という衝撃的な事件を扱いながら、その放火犯に戦後社会に適応しようともがくみずからの姿を重ねあわせた。徹底した「個人」を描き上げた本作は三島の最高傑作との呼び声が高い。

 

「焼けた金閣寺」1950(昭和25)年

 

1950(昭和25)年、鹿苑寺(金閣寺)の学僧・林養賢が国宝の舎利殿(金閣)に放火し焼失させた。林は事件直後に自殺を図るも、山中に横たわっているところを発見され逮捕。放火の動機を「金閣の優美さをのろい、反感をおさえきれなかった」と自供した。現在私たちが眼にする華美な金閣寺は、1955(昭和30)年に再建されたものである。

 

100分de名著

2021年5月Eテレ

放  送:月曜日午後10:25~10:50

再放送:水曜日午前05:30~05:55

          午後00:00~00:25

司会:伊集院光(タレント)

    安倍みちこ(NHKアナウンサー)

 

三島由紀夫「金閣寺」

 

プロデューサーAの思惑

三島由紀夫「金閣寺」は、1950年7月に実際に起こった「金閣寺放火事件」を素材にして創作された、戦後文学の最高傑作とも称される作品です。戯曲化や映画化も果たし、今も、国内外で数多くの作家や研究者、クリエイターたちが言及し続けるなど、現代の私たちに「人間とは何か」「美とは何か」を問い続けています。番組では、戦後日本文学の代表者ともいえる三島由紀夫(1925-1970)の生涯にも触れながら、代表作「金閣寺」に三島がこめたものを紐解いていきます。
舞台は戦前から終戦直後の京都府。成生岬にある貧しい僧侶の家で生まれた溝口は、幼い頃から吃音に悩まされる感受性の強い少年。父親から「金閣寺ほど美しいものは地上にはない」と聞かされ続け、美しい景色をみては金閣寺への憧憬をつのららせて、いつしか自らの劣等感を忘れさせてくれる存在に。やがて金閣寺の徒弟となり得度した溝口は、戦争の中で金閣寺とともに滅んでいくことを夢みるようになりました。しかし敗戦が、溝口と金閣寺の関係を決定的に変えてしまいました。戦時中は「滅びゆくもの」として自分と同じ側にあったと思われた金閣寺は、自分からかけはなれた「呪わしい永遠」と化したのです。師である住職との関係、友人たちからの影響、女性との遍歴の中で深い挫折感を味わった溝口は、ついに金閣寺を憎むようになり、「金閣寺を焼かなければならぬ」と決意するに至ります。果たして、金閣寺放火に至った彼の心境の裏には何があったのでしょうか?
小説家の平野啓一郎さんによれば、この小説には「心象の金閣」と「現実の金閣」に引き裂かれながらもその一致を求め続けた主人公の苦悩を通して、現実と理想、虚無と妄信、認識と行為などに引き裂かれて生きざるを得ない私たち人間が直面する問題が刻まれているといいます。それだけではありません。三島が苦渋をもって見つめざるを得なかった日本の戦後社会の矛盾や退廃が「金閣寺」という存在に照らし出されるようにみえてきます。この作品は、私たちにとって「戦後」とは何だったのかを深く見つめるための大きなヒントを与えてくれます。更には、なぜ三島が自決という最期を選んだのかという謎にも迫れるというのです。
番組では小説家・平野啓一郎さんを講師に迎えて「金閣寺」を現代の視点から読み解き、私たち人間が逃れようのない「劣等感」や「美への憧れ」といった宿命や、「戦後社会」が私たちにとって何だったのかといった普遍的な問題について考えます。

 

 

第1回  美と劣等感のはざまで

幼い頃から吃音で言語表現に困難をもつ主人公・溝口は、父親から「金閣寺ほど美しいものは地上にはない」といわれて育つ。美しい風景を眺めては「心象の金閣」の美を膨らませ続けた溝口だったが、父の死の直前、本物の金閣寺を見せられて激しく幻滅する。やがて父の遺言通り、金閣寺の徒弟となり得度した溝口は、現実の金閣と対話を続ける中で、戦火によって「滅びゆくもの」として深い一体感を感じ、悲劇的な美しさを共有するのだった。第1回では、三島由紀夫の人となり、「金閣寺」の執筆背景などにも言及しながら、三島由紀夫が描こうとした、人間がもたざるを得ないコンプレックスという宿命と、美への憧れとの葛藤に迫っていく。

 

第2回  引き裂かれた魂

溝口は、戦時中は「滅びゆくもの」として自分と同じ側にあった金閣寺が自分からかけはなれた「呪わしい永遠」と化したことに気づき愕然とする。その後、足に障害のある柏木という男と友人になる溝口。自らの障害を利用して女性たちの関心を集めては関係をもつという悪魔的な柏木に影響を受ける。「認識」によるニヒリズムこそが人間を解放すると説く柏木に共感を抱く溝口だったが、女性と関係をもとうとするたびに金閣が眼前に現れ、その行為を阻まれ深い挫折感を味わうのだった。第2回は、柏木のニヒリズムと、金閣が保証してくれる絶対的な美との間で引き裂かれる溝口を通して、人間は虚無感を超えて生きていくことができるのかを問う。

 

第3回  悪はいかに可能か

溝口は住職とその愛人の芸妓を街頭で目撃し、彼女の写真を住職が読む新聞にそっとしのばせる。それは住職を試す行為でもあったが、住職の振る舞いは全く変わらず黙殺される。何をやっても手応えのない住職のありようは、三島がいらだちをおぼえ続けた戦後社会そのものだった。その後、、溝口は、生まれて初めて女性との行為によって快感に達するが全く虚無感は去らない。出口のない苦悩の中、朝鮮戦争勃発の知らせに世界の破滅を予感した溝口は、ついに金閣寺放火を決意するのだった。第3回は、「金閣寺」という作品に象徴的に描かれた戦後社会のありようを読み解き、三島が直面した戦後社会の矛盾や困難を浮き彫りにする。

 

第4回  永遠を滅ぼすもの

金閣寺放火を決行に向けて突き進む溝口。彼の前に禅海という僧侶が現れ、溝口は初めて深く理解されたという経験をする。このことをきっかけに、ついに放火に踏み切る溝口だったが、一緒に滅びることを金閣寺に拒絶されてしまう。燃えさかる金閣寺を山上から見つめながら「生きよう」と決意するのだった。果たして、「永遠を滅ぼす」と語った溝口の境地とはいかなるものだったのか? 第4回は、溝口による金閣寺放火の真の動機やその行為の意味などを明らかにすることで、三島が戦後社会に対して何をなそうとしていたのかや、最終的に自決を選んだ理由などに迫っていき、私たちにとっての「戦後」の意味をもう一度深く考える。

 

朝日新聞:2021年5月3日

 


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