ジュンパ・ラヒリの「べつの言葉で」を読みました。
エッセイだから簡単に読めると思ったら大間違い。理解できないことの連続で、読むのに苦労しました。僕の不得意とするのは、英語と音楽関連、その分野の話に入られると、まったく理解不能に陥ってしまいます。いや~っ、情けない話です。
「わたしのいるところ」は、ジュンパ・ラヒリの初のイタリア語による長篇小説で、それは読んだのですが、その前に書いたのが「べつの言葉で」です。イタリヤ語で考えイタリヤ語で書くことの”決意表明”のようなものです。イタリア語の単語や言い回しを手帖に書き写しているようで、それが数多く出てきます。もうほとんど読んで書くのはイタリア語のようです。頭の書かは英語が思い浮かばないようで、短いアメリカへの帰国も、イタリアへ早く帰りたいと書いています。
短篇集で評価の高い「停電の夜に」、読んだような記憶があるのですが、本そのものが見つからないので、文庫本なので購入し、読み始めています。同じく「その名にちなんで」は映画は観ましたが、本が見当たらない。そのうち出てくるでしょう。2013年に発表した長編小説「低地」、これ読んでおかないとと思い、購入しました。470ページもある長篇です。
40歳を過ぎて経験する新しいこと。
詞、文学、暮らし、人生を語る
初めてのエッセイ。
夫と息子二人とともに、ニューヨークからローマへ――。
自ら選んだイタリア語で書かれた胸に深く響くことば。
「わたしにとってイタリア語は救いだった」ローマでの暮らしをイタリア語で綴るエッセイ。子供時代から、家では両親の話すベンガル語、外では英語と、相容れない二つのことばを使い分けて育ったラヒリ。第三の言語、イタリア語と出会ってから二十余年。ついにラヒリは家族を伴いローマに移住する。初めての異国暮らしを、イタリア語と格闘しながら綴ったひたむきなエッセイ。イタリア語で書かれた掌篇二篇も付す。
目次
横断
辞書
雷の一撃
亡命
会話
放棄
辞書を使って読む
言葉の採集
日記
物語
取り違え
壊れやすい仮小屋
不可能なこと
ヴェネツィア
半過去または不完全
毛深い若者
二度目の亡命
壁
三角形
変身
探査する
足場
薄暗がり
謝辞
訳者あとがき
短評:Michael Emmerich マイケル・エメリック
母語であるベンガル語から切り離され、アメリカに移住し、英語で生活を営むラヒリの両親が、祖国インドからの手紙を貪るように読み返し、大切にしまっておく場面には胸を締めつけられる。一方、その娘であるラヒリは、ベンガル語と英語を話しながらアメリカで育ち、「祖国も真の母国語も持たない」。そしてやがて、作家として住み慣れた英語という「大邸宅」を捨て、ローマに移住し、イタリア語の「仮小屋に住む」ことを決意する。本書は、そのイタリア語による大胆な言語的・精神的実験の記録である。不完全という自由のなかで紡ぐ一語一語に、真剣で誠実な思いが詰まっている。
ジュンパ・ラヒリ:
1967年、ロンドン生まれ。両親ともカルカッタ出身のベンガル人。2歳で渡米。大学、大学院を経て、1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞、同作収録の『停電の夜に』でピュリツァー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年、長篇小説『その名にちなんで』発表。2008年刊行の『見知らぬ場所』でフランク・オコナー国際短篇賞を受賞。2013年、長篇小説『低地』を発表。家族とともにイタリアに移住し、2015年、イタリア語によるエッセイ『ベつの言葉で』を発表。『わたしのいるところ』は初のイタリア語による長篇小説。
中嶋浩郎:
1951年、松本生まれ。東京大学教育学部卒業。フィレンツェ大学留学。フィレンツェ大学講師を経て2019年8月現在広島在住。著書に『フィレンツェ、職人通り』『図説 メディチ家』、訳書にジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』、ミレーナ・アグス『祖母の手帖』、『ルネサンスの画家ポントルモの日記』、ステファノ・ベンニ『聖女チェレステ団の悪童』など。
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