與那覇潤の「日本人はなぜ存在するか」(集英社・知のトレッキング叢書:2013年10月30日第1刷発行)を読みました。
與那覇潤のことは、東島誠との共著である「日本の起源」を読んで始めて知りました。1979年生まれですからまだ35歳、東島誠と丁々発止とやり合っているのには驚きました。若いのに博識です。東島も1967年生まれですからまだ47歳、「日本の起源」ではどっしりと腰を落ち着けて、若い與那覇を自由に発言させて、受け手に回っていました。それにしても與那覇潤は、当代きっての論客です。
與那覇潤の「日本人はなぜ存在するか」を知ったのは、昨年12月1日の朝日新聞の書評欄 です。朝日新聞編集委員の原真人が書評を書いていました。たまたま書評を切り抜いていてすぐに購入したのですが、読み始めるのに時間がかかってしまいました。読み始めると、思った以上にすらすらと読めました。なにしろテーマがテーマですから、興味がそそられないわけがない。「ありがちな日本人論を想定して読むと、その先入観はことごとくひっくり返されるだろう」と書いています。「與那覇潤、恐るべし」とも・・・。
本の帯には、以下のようにあります。
日本人は、日本民族は、日本史はどのように作られた?
歴史学、社会学、哲学、心理学から比較文化、民俗学、文化人類学など、
さまざまな学問的アプローチを駆使し、既存の日本&日本人像を根本から
とらえなおす!
大学の人気教養科目の講義が一冊の本に。
集英社インターナショナルの「担当者ブログ」には、以下のようにあります。
日本&日本人論ですが、それを足がかりに知の枠組みそのものを問う本になっています。なんだか変だなと思ってたことがキチンと言葉にしてあったり、逆に、当たり前だと思っていたことがグルンとひっくり返されたり、知的な驚きと快感に満ちています!
與那覇が全篇にわたって使うのは、「再帰性(reflexivity)」という社会学の概念です。認識と現実の間でループ現象が生じること、と定義しています。アメリカの社会学者マートンの「自己成就的予言」という現象を例に出します。貨幣経済や人種偏見などを例を出して説明し、人間の社会はそもそも再帰性を活用しなければ成り立たないといいます。
「社会のあらゆる現象は再帰性に作り上げられるものであり、最初から実体として存在するわけではない」という前提に立つ視点が、社会学の基本的な方法論だとします。現状を固定するかたちでのみ再帰性が機能している状態を、社会学では「前近代」とみなします。
近代社会では、再帰性が社会を変化させる方向に作用するようになったこと。自己成就的予言が「画期的に現在とは異なる未来が訪れる!」という物語を語れば、再帰性は「現状維持的」ではなく「現状改変的」に働く。そのような状態が恒常化した時代を、社会学では「近代」と定義する。
私たちは日々、状況がめまぐるしく変動する世界を生きています。変化を起こしている犯人は、実は私たち自身です。私たち自身の認識によって、次々と新しい現実が生まれては、消えてゆくのが近代社会なのです。このように考えると、「日本人」の定義が流動的であったこともまた、近代社会の一側面であったことが分かります。
私たちは「日本」というもの、「日本人」というものを、再帰的な存在として作り上げ、そして作り変えながら生きてきました。日本の歴史や文化を考えるというのは、最初から「実在」そるものとしてのそれらを過去に探しにゆくことではなく、逆にそれらが存在するかのように人々に思わせてきた、再帰的な営みの軌跡をたどることなのです、と與那覇は言います。
フィリップ・アリエスの「〈子供〉の誕生」という本が「子供観の違い」という箇所で出てきます。ヨーロッパでも中世には「子供」は存在しなかったという、アリエスの主張です。昔読んだことがあるので、懐かしかった。彼が行った「子供」とは再帰的な存在だという主張は、現在では教育学などの分野では広く受け入れられている、と與那覇は言います。ギデンスの「近代社会では、再帰性が社会を変化させる方向に作用する」という指摘と、通じるところがあります。
そしてこの本の最後に、以下のように與那覇は言います。
自然にしたがうという正解があった世界を離れ、森羅万象が私たち自身の選択によって、不断にかたちを変えてしまう社会で生きること。「日本人」のような自分が属する集団さえもまた、決してひとつの輪郭には収まらないことを知り、そのようなあいまいな存在として、しかしそれを「次はどんなかたちにしようか」という、夢を見ながら生きること。――そこに、人間のみじめさと、偉大さと、せつなさと、すばらしさと、そのすべてがあるのです。
目次
第1章 「日本人」は存在するか
第2章 「日本史」はなぜ間違えるか
第3章 「日本国籍」に根拠はあるか
第4章 「日本民族」とは誰のことか
第5章 「日本文化」は日本風か
第6章 「世界」は日本をどう見てきたか
第7章 「ジャパニメーション」は鳥獣戯画か
第8章 「物語」を信じられるか
第9章 「人間」の範囲はどこまでか
第10章 「正義」は定義できるか
與那覇潤(よなは・じゅん):略歴
1979年生まれ。愛知県立大学日本文化学部歴史文化学科准教授。東京大学教養学部超域文化科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。専門は日本近現代史。「西洋化」ではなく「中国化」「再江戸時代化」という新たな枠組みで日本史全体を描きなおした『中国化する日本』(文藝春秋)は、中国・韓国でも翻訳が刊行された。他の著作に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、共著に『「日本史」の終わり』(PHP研究所)、『日本の起源』(太田出版)など多数。
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