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「重要文化財・仙台東照宮」を見学した!

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「重要文化財・仙台東照宮」を見学しました。日光の東照宮とほとんど同じつくりで、徳川家康を祀っています。残念ながら、中には入れません。


仙台東照宮

仙台市の北東に位置するこの丘陵は玉手崎とよばれ、遠く蒼海を望む風光明媚な場所である。天正19年(1591)、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて帰途のおり、この地で休息され、御祭神ゆかりの地として鎮座地に選ばれたという。二代藩主伊達忠宗公は、東照大権現を伊達家の守護神としてお祀りするため、慶安2年(1649)5月に、東照宮造営を三代将軍徳川家光公に願い出て許しを得、同年8月に普請始を行い本殿、唐門、透塀、弊拝殿、本地堂、御供所、御厩、鐘楼、隋身門、石鳥居、別当等仙岳院、御旅宮等が完成したのは着工以来5年後の承応3年(1654)3月である。大工棟梁は梅村彦作之三で、造営に携わった総人数83万4835人、総工費小判2万2443両を要した。


御祭神

徳川家康公。徳川家康公は天文11年(1542)12月26日、三河国(愛知県)岡崎城で誕生された。幼少より生田の艱難辛苦に耐え抜き、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに勝利を収め天下を統一し、幕藩体制を樹立して江戸時代260余年の泰平の基を築き、産業を興し学問の振興に努め、近世日本の発展に偉大な功績を残されました。元和2年(1616)4月17日、駿府城(静岡)において75歳の生涯をとじられた。御遺訓は家康公の生き方、考え方をまとめたものであり、時代を越えて私達に深く感銘を与える人生訓である。


御遺訓

人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し

急ぐべからず

不自由を常とおもへば不足なし

心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし

堪忍は無事長久の基

いかりは敵とおもへ

勝事ばかり知てまくる事をしらざれば

害其身にいたる

おのれを責て人をせむるな

及ばざるは過ぎたるよりまされり


重要文化財建造物

石鳥居

伊達政宗公の奉納によるもので笠石の反りの緩やかな、明神鳥居形式の美しい鳥居である。鳥居の部分は花崗岩で、忠宗公夫人振姫の郷里備前国大島から運搬して建てられた。


随身門

三間一戸の楼門形式で、屋根は入母屋造銅板葺きであるが、当初は銅瓦葺きで要所には錺金具を付けていた。内外部とも透漆塗りで、下階は金剛柵で囲み、左右に随身像を安置する。各所に唐様、和様の手法をとりいれ複雑な斗組で構成するが、形態の釣り合いがとれた重厚な門である。


本殿

本殿は御神体をお祀りする、社殿の中で最も重要な建造物で、内部は内陣と外陣にわかれる。大きさは桁行三間、梁間二間で入母屋造銅瓦葺き。建物は欅の木目を現した透漆塗りで内外とも塗装を施している。棟に千木、勝男木を載せ、高欄、木階は朱漆塗り、外部板壁は黒漆塗り。内陣の天井は折上げ小組格天井。木鼻には唐獅子、蛙股には松に鷹の彫刻、五箇所の扉の内外百二十面には、天女、龍、唐獅子を浮き彫りし、各所に精巧な鍍金金具を付け、御厨子の金梨地の蒔絵や扉の七宝金具等、工芸の粋を結集した極めて華麗な建造物である。


唐門と透塀

唐門は一間一戸、向唐門形式で銅瓦葺き。透漆塗り、扉には鳳凰、麒麟、唐獅子の彫刻を付ける。天井と垂木の間、蟇股、扉の綿板に金箔を押す。形態均衡をえた流麗な門である。本殿を囲む透塀は1周延長四十間(79メートル)、透漆塗り、銅瓦葺き。連子窓、欅文は黒漆塗り、長押には錺金具を付ける。










「国指定重要文化財・仙台東照宮」ホームページ


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