久しぶりに豊川稲荷東京別院の、節分会追儺(ついな)式に行ってきました。
豊川稲荷東京別院は、日本三大稲荷の一つ愛知県の三州本山豊川稲荷(圓福山妙厳寺)の直轄別院です。赤坂一ツ木の大岡越前守邸にあったご本尊を明治20年に奉遷したものといわれています。愛知県の三州本山豊川稲荷は、明治の神仏分離令の折、宇迦之御魂神を祀っているのではなく「本尊ダキニ天」を主張して、それを乗り切ったそうです。境内の配置や本殿は鳥居がないこと以外はどう見ても神社です。が、しかし、そうじゃないんですね、お寺なんです。と、以前、このブログに書いたことがあります。
今年の豆まきに参加した年男(女)たちはほとんどが芸能人でした。司会は林家正蔵や林家三平を始め、林家一門。年男、年女、一人一人が一声挨拶をしてから、一斉に豆まきが始まりました。豆が銃弾のように空から降ってくるので、顔を上げてはいられません。皆さん、用意周到、袋状のものを持ってきて、空に向かって広げていました。豆まきが終わった後、豆を湯飲み茶碗に一杯と紅白の餅が配られました。
豊川稲荷東京別院
節分会追儺式
豊川稲荷東京別院について
豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)」と称し山号を圓福山えんぷくざんとする曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院です。一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)です。豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)とは、昔、順徳天皇第三皇太子(じゅんとくてんのうだいさんこうたいし)である寒巖禅師(かんがんぎいん)が感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。 豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこう)が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。豊川稲荷を信仰した方としては、古くは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山など武将達から信仰を集めさらに江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。
「豊川稲荷東京別院」ホームページ
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