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災害に対する事前の備えやその対処法等、来るべき大災害に生き残るための方法をご紹介

倉敷美観地区を歩く!

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第1日目、神戸の北野異人館街を散策後、バスで倉敷に移動。岡山の後楽園に立ち寄り、その後、1日目の宿泊地である倉敷に移動、ホテルに入る前に倉敷美観地区を散策しました。倉敷には30数年前に2度ほど行きました。従って今回は再訪、ということになります。倉敷川沿いを見て回ったのはもちろん、倉敷の名物である「大原美術館」も見て回りました。実は、ヨーロッパ建築視察旅行で知り合った建築家が倉敷にいるのですが、東京では何度かお会いしているのですが、倉敷ではお会いしたことがありません。


倉敷と言えば、浦辺鎮太郎、当時は「ウラチン」さんという愛称で呼ばれていた人物です。1965年に「倉敷国際ホテル」で建築学会賞を受賞。倉敷の地方建築家から、一躍全国区に躍り出ました。その後次々に話題作を送り出しました。1974年に完成した「倉敷アイビースクエア」は、倉敷紡績の工場を改修して、オシャレなホテルにしたもので、若い女性には大人気の倉敷名物のホテルです。晩年は、横浜でも仕事をしており、「横浜開港資料館」(1981年)や「神奈川近代文学館」(1984年)があります。


倉敷美観地区





大原美術館とエル・グレコ




浦辺鎮太郎の仕事


浦辺鎮太郎(うらべ しずたろう、1909-1991)
岡山県児島郡粒江村(現・倉敷市)出身。京都帝国大学建築学科卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)に入社し営繕関連部門に勤務。1962年、倉敷レイヨン内に同社社長で同郷の実業家大原総一郎の庇護のもとに倉敷建築研究所(現・浦辺設計の前身)を設立した。1964年に倉敷レイヨンを退社し倉敷建築事務所として独立、1966年に浦辺建築設計事務所と改称した。倉敷レイヨン時代から大原総一郎の構想する倉敷のまちづくりを建築家として支え、1968年の総一郎死去後も大原家や倉敷に関連する建築をはじめ多くの作品を残している。(ウィキペディアより)




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格安ツアー2泊3日 旅行日程


三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第2期を観た!

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三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第2期を観てきました。


第2期の特徴、というか、圧巻なのは、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」と、歌川広重の「東海道五十三次之内」に尽きる、といっても言い過ぎではないでしょう。それまでの浮世絵では背景でしかなかった風景表現が、ここへきて浮世絵の主要なジャンルとして確立されました。


この背景には、名所図絵によって各地の風物が盛んに紹介されたことで、庶民の間に旅や行楽に対する関心が高まったことによります。また遠近感の描写や、ぼかしを使った摺の技法が進歩したことにより、浮世絵の技術革新が高まりました。これらにより、四季折々の風情を伴った名所や風俗が描き出されました。


その他に、美人画や役者絵で人気を博した歌川国貞(三代目歌川豊国)や、歌川国芳の美人絵、役者絵、名所絵、戯画など、幅広い浮世絵も世間に支持されました。


北斎・広重の登場―ツーリズムの発展










肉筆浮世絵




浮世絵Floating World これぞ浮世絵!

「はかない世の中であるならば、せめて浮かれて暮らしたい」という江戸の人々の気分を反映した浮世絵。現実とも享楽の世界とも思える“Floating World”を鮮やかに描いた浮世絵は、好奇心のまま最先端の風俗や事象を捉え、江戸の人に留まらず、19世紀には欧米の人々を魅了し、さらに現代の私たちの心をも浮き立たせる華やかな光景に溢れています。本展は、会期中2度の展示替えを行い、3期に分けて江戸から明治まで、浮世絵の誕生から爛熟に至る全貌を500点を超える作品によりご紹介します。川崎・砂子の里資料館長・齋藤文夫氏の膨大な浮世絵コレクションから、連作などの他に類例を見ない稀少性の高い浮世絵版画、肉筆画の名品を展示するとともに、浮世絵の影響を受けたロートレックをはじめとする当館所蔵ヨーロッパ近代版画を対比させ、時代や地域を越えた浮世絵の普遍的な魅力に迫ります。明治期の建物を復元した当館において、西洋建築空間で浮世絵をご覧頂くことで、19世紀欧米人が浮世絵を飾っていた室内を追体験するかのような展示空間もお楽しみ下さい。


「三菱一号館美術館」ホームページ


とんとん・にっき-uki7 浮世絵

珠玉の齋藤コレクション

Floating World

図録

発行日:2013年6月22日

発行:三菱一号館美術館








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ポーラ美術館「森の遊歩道」を歩く!

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箱根・ポーラ美術館の「森の遊歩道」で、散策を楽しんできました。
2013年7月13日にオープンしたばかりの、自然度「8」の森の遊歩道です。

遊歩道は全長670メートル、ブナ・ヒメシャラが群生する

富士箱根伊豆国立公園内の自然の森です。


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とんとん・にっき-pola3 ポーラ美術館×国立西洋美術館 共同企画

「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」

日本の二大モネ・コレクション 箱根で夢の共演

2013年7月13日(土)―11月24日(日)


三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第3期を観た!

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三菱一号館美術館で「浮世絵Floating World」第3期を観てきました。今回の浮世絵展、なにはともあれ第1期、第2期、第3期と必ず観ること、浮世絵を「通史」として観ること、という個人的にささやかな目標を立てました。そして、それからなにが分かるのか? 全体を3つに分けた分け方、今まで分かっていたようで、実はよく分かっていなかった浮世絵の大きな歴史のことが、分かったような気がしてきました。


以前、千葉市美術館で観た「芳年・芳幾の錦絵新聞」展を観たときに、浮世絵展としてはなんかしら違和感を感じました。また、先日大田区立郷土博物館で観た「馬込時代の川瀬巴水展」、これも浮世絵なのか、自分の中で整理がつかないままでした。要するにこれらが、おおよそ今回の第3期にあたるというわけです。


大久保純一の「カラー版 浮世絵」でも、浮世絵の創始者として取り上げられていた菱川師宣の浮世絵は、房総の菱川師宣記念館まで観に行きました。ほとんどの作品が墨一色でしたが、あまりにも有名な「見返り美人図」には驚きました。たまたまその時に観たのは、「房総の広重―描かれた房総の風景―」展で、新に発見された肉筆画「宝珠と熨斗」や「花鳥人物画帖」など、貴重な新資料が初公開されていました。これらは第1期にあたるわけです。


やはり浮世絵と言えば、北斎や広重です。それだけ作品がポピュラーで分かり易い。万人受けの作品が多いことにもよります。またそれらの作品は海外での評価も高く、ジャポニズムとして欧米の芸術家にも影響を与えています。実は、ここでは意識してロートレックの作品は取り上げていません。歌麿が描いた「青楼十二時 続」の遊女と、ロートレックの「彼女たち(エル)」の娼婦たち、共通の女性の心理があり、ペーソスがあり、姉妹作のように見えて印象的だと、高橋館長は言います。


そういえば、ある時、ある浮世絵展で「柱絵」を観て驚いたことを思い出しました。江戸庶民の暮らす長屋の柱に貼って飾るように考えられています。第1期では、勝川春章の「五條大橋 牛若丸と弁慶」や、礒田湖龍斎の「渡辺綱と茨木童子」といった分かりやすいテーマの柱絵が出されていました。最後を飾ったのは、あのチャールズ・ワーグマンの横長の作品「明治風俗往来図」でした。


今回、三菱一号館美術館では、いわゆる斎藤コレクション、川崎・砂子の里資料館の約500点余りの浮世絵を、3期に分けて展示していました。それは、以下の通りです。

第1期 浮世絵の黄金期―江戸のグラビア

第2期 北斎・広重の登場―ツーリズムの発展

第3期 うつりゆく江戸から東京へ―ジャーナリスティック、ノスタルジックな視線


斎藤館長は、以下のように述べています。

浮世絵の全貌を観てもらいたいので、斎藤コレクションから「これぞ浮世絵」という作品を厳選したこと。会場が明治時代の建物だから、19世紀にタイムスリップして、欧米人が自宅に浮世絵を飾って楽しむ様子も体験してもらえること。


第1期では、錦絵誕生以前を含む初期の浮世絵と、美人絵や役者絵といってオーソドックスな作品を紹介し、江戸時代の庶民の楽しみであった浮世絵の現展を観ていただきたい。

第2期では、十返舎一九が刊行した「東海道中膝栗毛」が大ヒットし、旅ブームを起こした社会状況を背景に、北斎や広重によって確立された名所絵をみていただきたい。このジャンルの代表作として、世界的に認められている北斎の「冨嶽三十六景」と、広重の格調高い名所絵の「東海道五拾三次之内」があります。

第3期では、江戸から東京への移り変わりを観ることができます。明治維新を境に、江戸と東京の違いが名所絵にも現れています。


もう一つ、展示の仕方に今までにない工夫がなされていました。小部屋が多い三菱一号館美術館のなかで一番大きな部屋で、縦型のガラスケースに特別な照明を当てて、作品を1枚ずつ展示してあるところは壮観でした。


うつりゆく江戸から東京へ―ジャーナリスティック、ノスタルジックな視線










肉筆浮世絵





浮世絵Floating World これぞ浮世絵!
「はかない世の中であるならば、せめて浮かれて暮らしたい」という江戸の人々の気分を反映した浮世絵。現実とも享楽の世界とも思える“Floating World”を鮮やかに描いた浮世絵は、好奇心のまま最先端の風俗や事象を捉え、江戸の人に留まらず、19世紀には欧米の人々を魅了し、さらに現代の私たちの心をも浮き立たせる華やかな光景に溢れています。本展は、会期中2度の展示替えを行い、3期に分けて江戸から明治まで、浮世絵の誕生から爛熟に至る全貌を500点を超える作品によりご紹介します。川崎・砂子の里資料館長・齋藤文夫氏の膨大な浮世絵コレクションから、連作などの他に類例を見ない稀少性の高い浮世絵版画、肉筆画の名品を展示するとともに、浮世絵の影響を受けたロートレックをはじめとする当館所蔵ヨーロッパ近代版画を対比させ、時代や地域を越えた浮世絵の普遍的な魅力に迫ります。明治期の建物を復元した当館において、西洋建築空間で浮世絵をご覧頂くことで、19世紀欧米人が浮世絵を飾っていた室内を追体験するかのような展示空間もお楽しみ下さい。


「三菱一号館美術館」ホームページ


とんとん・にっき-uki7 浮世絵
珠玉の齋藤コレクション

Floating World

図録

発行日:2013年6月22日

発行:三菱一号館美術館








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三菱一号館美術館で「マネとモダン・パリ」展を観た!




足立美術館で「生誕130年 北大路魯山人展」を観た!

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足立美術館で「生誕130年 北大路魯山人展」を観てきました。観に行ったのは、格安ツアーの2日目、8月21日のこと、出雲大社と足立美術館が目玉のツアーでした。足立美術館は、横山大観など、日本画の巨匠の作品約1500点を所蔵していることと、「庭園も一幅の絵画である」と創設者足立全康の言葉通り、世界に冠たる庭園が目玉の美術館です。


北大路魯山人といえば、いつ頃だったか、笠間の日動美術館での魯山人展を観たのと、その近くにあった「春風萬里荘」を観に行ったことがありました。「春風萬里荘」は、北大路魯山人が住居としていた約300平方メートルの茅葺き民家を北鎌倉より移築し、「芸術の村」として利用されていました。数年前に日本橋高島屋で「北大路魯山人展」を観に行った記憶もあります。


今回の「生誕130年 北大路魯山人展」は、足立美術館を観に行ったら、たまたま開催していたという巡り合わせです。なにしろ魯山人の作品は数が多くて、一つ一つ丁寧に観ていたら、いくら時間があってもとても足りません。集合時間に間に合うように、急ぎ足で会場を回ったというだけでした。ところが、今日のNHKの日曜美術館野アートシーンで、「生誕130年 北大路魯山人展」を紹介していたので、大急ぎで記事に仕立てた、というわけです。


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北大路魯山人:明治16年(1883)~昭和34年(1959)
京都市北区に生まれる。若くして書や篆刻の才能を認められ、その後、料理や骨董にも興味をもちはじめる。大正8年、東京に骨董店「大雅堂芸術店」を開店。その2階で特定の客向けに出していた料理が評判となり「美食倶楽部」を併設。やがて自ら作陶も始める。大正14年、美食の殿堂「星岡茶寮」を開店。料理をとりまく総合的な芸術の世界を創り上げる。絵画や漆工、金工も手がけ、そのいずれもが日本、中国の古典を極めたうえで自分の個性を盛り込んだもので、近年とくに高い評価を得ている。足立美術館では北大路魯山人室を設け、約250点の収蔵作品を年4回にわけて常設展示。


以下、画像は「NHK日曜美術館」より


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生誕130年 北大路魯山人展
書、篆刻、絵画、漆芸、そして陶芸とあらゆる芸術分野で類まれなる才能を発揮した北大路魯山人(1883-1959)。足立美術館新館にて、特別企画「生誕130年 北大路魯山人展」を開催いたします。
美食道楽が高じて料亭「星岡茶寮」を解説し、料理家としても知られるようになった魯山人は、料理だけではなく器も自らの手で作り始めました。本格的な作陶は、すでに40歳を越えてからのことですが、以後精力的に創作活動を行い、生涯に膨大な数の作品が生み出されています。魯山人の器は、あくまでも料理を盛るということが基本であり、「食器は料理の着物である」と語るように、それらは料理を盛ることによって、料理と器と双方の魅力を引き立てるものです。濃密な個性を放つそれぞれの作品からは、魯山人の研ぎ澄まされた感性と、職への飽くなき追求が感じられます。さらに、料理を取りまく総合的な美を求め、食の空間を彩る花器や絵画も制作しており、独特の美的世界が築き上げられました。本展では、初公開作品を含む当館の魯山人コレクション250余点を一堂に展示いたします。新館の陶芸作品の展示は初の試みであり、当館における魯山人展では過去最大の規模です。この機会に魯山人が追い求めた美の世界をぜひご堪能ください。


「足立美術館」ホームページ


とんとん・にっき-rosan1「足立美術館」

リーフレット

館内の見どころ

ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデン

庭園日本一

世界が認めた庭園をお楽しみください。


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最新の手口や、ご家族に伝えて欲しい普段の心がけ等について、警察担当者が詳しく解説

山岡光治の「地形図を読む技術」を読んだ!

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山岡光治の「地形図を読む技術」(サイエンス・アイ新書、ソフトバンク・クリエイティブ:2013年7月25日第1刷発行)を読みました。山岡光治の実質的なデビュー作は、2007年6月に刊行された「地図に訊け!」(ちくま新書:2007年6月10日第1刷発行)でした。それ以来6年、山岡の出された著作は、ほとんど読んでいます。なかには山岡光治のサイン入りの本も、何冊かあります。その「地図に訊け!」の参考文献を見ていたら、織田武雄の「地図の歴史」(講談社:1973年2月)という本がありました。この本は、僕も持っています。ずいぶん前の本で、一度読んだのですが、内容はほとんど覚えていません。ただ、参考文献に載っていたので、嬉しく思っただけのことです。


山岡光治:略歴

1945年、横須賀市生まれ。1963年、北海道立美唄工業高等学校を卒業し、国土地理院に技官として入所。札幌、東京、つくば、富山、名古屋などの勤務を経て、中部地方測量部長を務めたのち、2001年に退職。同年、地図会社の株式会社ゼンリンに勤務。2005年に退社し、「オフィス地図豆」を開業、店主となる。おもな著書に「地図の科学」(サイエンス・アイ新書)、「地図を楽しもう」(岩波新書)、「地図に訊け!」(ちくま新書)などがある。


出版社の内容紹介には、以下のようにあります。
地形図でこんなことまでわかるんです!

国土地理院が調査・作成している2万5千分の1地形図は、
ぱっと見、難しいのですが、地図から地上の風景を読み取る作業には欠かせません。
地形図からはなにが見えてなにがわかるのか、
一見、見やすい民間の地図ではなくゲジゲジな等高線が入った地形図をなぜ使うのか――
本書では民間の地図ではわからない、「地形図ならではの情報」を読み取る技術を伝授します。


「地形図」というだけで、こんなにも数多くの切り口があるのかと、驚きました。カバーの表紙のイラストは、妙に子どもっぽく描かれていますが、内容はなかなかどうして、単なるノウハウ本ではなく、大人でも唸らせるものが多々含まれています。素人にはなかなか分かりづらい「等高線」ですが、お茶碗を伏せた写真で大室山の地図の等高線を説明したり、買い求めたショウガを山に見立てて山と尾根の等高線を説明したりと、意表に富んだ解説をしていたりもします。


個人的には山岡さんが同行した「街歩き」、「山歩き」が、事例として載っていたのも嬉しいことでした。ひとつは「川跡探しをする~弦巻川跡を探す~」、もうひとつは「野山歩きをする~小田原の不動山に登る~」です。「不動山」は体力勝負のコースで、なんとか皆さんに遅れないように歩くのが精一杯でした。なんと「不動山」には、体力が衰えていないかどうかを自分で知るために、二度参加しています。いま思い返してみると、まったく地形図のことが頭に入ってなくて、歩いていました。


ほかにも興味深い箇所がたくさんありました。例えば先日行ったばかりの鳥取砂丘、「鳥取砂丘に遊ぶ」では、丘陵全体が茶色の点(砂の記号)で覆われていること、砂丘の周りには当然ですが樹林の記号がまったく見えない、等々。また山岡さんのブログで書かれていた真鶴半島のこと。2万5千分の1地形図と、真鶴観光協会発行の「ガイド&マップ」、それぞれに持ち味があり、2万5千分の1地形図では三ツ石と真鶴岬は繋がっていないが、「ガイド&マップ」では繋がっていること。森林内の遊歩道、2万5千分の1では、遊歩道は大雑把で不十分ですが、「ガイド&マップ」では、遊歩道は丁寧に書かれていたりします。それぞれに特徴があり、また弱点があることが分かります。


目次

はじめに
第1章 地形図からなにが読み取れるのか?
第2章 地形図から多彩な情報を読み取る技術
第3章 地形図をもち歩きながら読む技術
第4章 地形図から現地の風景に思いをはせる技術
おわりに
参考文献
索引


出版社からのコメント

第1章 地形図からなにが読み取れるのか?
この章では地形図の特徴を活かした読図のキホンを、具体例とともに解説しましょう。
地形図には、民間の地図にあまり載っていない、たくさんの情報が掲載されています。
これらの情報を見落とさず、正確に読み取れることができれば、
驚くほどたくさんのことが地形図からわかります。


第2章 地形図から多彩な情報を読み取る技術
この章では地形図をさらに細かく読図して、より多彩な情報を手に入れる方法を解説します。
地形図の2次元情報をフル活用できれば、3次元空間を頭の中で構築できるようになります。
新旧の地形図をくらべて地物や地形の変化を知る方法や、
地形図をもって歩くときのキホンも解説します。


第3章 地形図をもち歩きながら読む技術
ここまで地形図の読図方法を解説してきましたが、
この章では実際に地形図をもち歩いて読図する技術を、具体例とともに解説します。
地形図を使いながら、都市で昔の川や町並みの痕跡を探したり、
里山やちょっとした野山を快適に歩いたりするための技術を身につけましょう。


第4章 地形図から現地の風景に思いをはせる技術
4,372枚もおよぶ2万5千分の1地形図は、わが国の国土をもれなく正確に描ききっています。
この章では全国各地の地形図を眺めながら、現地の風景に思いを馳せてみましょう。
旧版地図を用いながら、その地域の地形や地物、地名の移り変わりを読み取って味わう技術も解説します。


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原作:瀬戸内寂聴、監督:熊切和嘉「夏の終り」を観た!

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原作:瀬戸内寂聴、監督:熊切和嘉、主演:満島ひかりの「夏の終り」を観てきました。


瀬戸内寂聴の小説は、過去に一度だけ、母親が読んでいたのを借りて読みました。それは大杉栄と伊藤野枝が主人公の「美は乱調にあり」(1966年)でした。「夏の終り」はそれより前の1963年の作品、この作品で「女流文学賞」を受賞しています。ウィキペデイアによると、「慎吾」は前衛小説家、小田仁二郎(おだ じんじろう)。「涼太」は3歳年下の実業家、と註釈がありました。


熊切和嘉監督の作品は、何度か芥川賞候補作に取り上げられた佐藤泰志の原作による「海炭市叙景」と、坂井真紀の「ノン子36歳(家事手伝い)」を観ました。 また、満島ひかりの作品は、園子温監督の「愛のむきだし」に始まり、石井裕也監督の「川の底からこんにちは」、そして安藤モモ子脚本・監督の「カケラ」を観ました。 満島の夫は監督の石井裕也です。


瀬戸内寂聴は言う。40歳の時に書いた私の小説「夏の終り」は、自分の作品の中で最も好きなものである。これを越す小説を書きたいと思いつづけ、90歳を越えてしまった。ふたりの男の間で揺れ動く、ひとりの女の愛の迷いは半世紀を経ても色あせない。度々映画やテレビドラマにされたが、今回の映画は原作にもっとも近く、作者としては生々しさに圧倒され肌に粟を生じて見た、と。


慎吾は妻子ある年上の作家、涼太は一途な愛を求める年下の男です。年上の男・慎吾を演じるのは小林薫、年下の男・涼太を演じるのは綾野剛です。主人公は夫と子どもを捨てた、とあります。ウィキペディアに寂聴の略歴をみると、東京女子大学在学中に結婚し、夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と恋に落ち、夫と長女を残し家を出て京都で生活。・・・1950年に正式な離婚をし、東京へ行き本格的に小説家を目指し、とあります。まさに瀬戸内寂聴の自伝です。


妻子ある年上の作家・慎吾との生活の満足していた知子でしたが、突然涼太が現れたことで、知子の生活が微妙に狂い始めます。涼太は昔、知子が結婚していた頃、どうしようもなく恋に落ち、夫と子どもを捨てて駆け落ちした男でした。知子は慎吾との生活を続けながら、涼太と再び関係を持ってしまいます。涼太の知子を求める情熱はやがて、知子の本当の気持ちを揺さぶり起こしていきます。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。

チェック:作家、尼僧として活躍する瀬戸内寂聴が自身の体験を基につづったロングセラー小説を、『海炭市叙景』などの熊切和嘉監督が映画化。妻子がいながら不倫を続ける年上の男性作家、昔関係のあった女性にさまざまな感情が芽生え苦しむ年下の男、その二人の間で揺れ動く女性が織り成す三角関係を描く。自らのうちに潜む女の業に苦悩しながらも自分なりの愛を追い求めるヒロインを、満島ひかりが熱演。相手役をベテラン小林薫と綾野剛が務める。

ストーリー:結婚して子どももいる年上の作家・慎吾(小林薫)と長きにわたって一緒に生活している知子(満島ひかり)は、慎吾が妻と知子の間を行き来する生活に不満もなく、妻と離婚してほしいと思ったこともなかった。そんなある日、かつて彼女が家庭を捨てて駆け落ちした相手の涼太(綾野剛)と再会。それ以来知子の心は揺らぎはじめ、慎吾との関係を継続させつつも涼太と以前のような関係に戻ってしまい……。


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「夏の終わり」公式サイト


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TOTOギャラリー間で「クリスチャン・ケレツ展」を観た!

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TOTOギャラリー間で「クリスチャン・ケレツ展」を観てきました。実はクリスチャン・ケレツ、まったく始めて聞く名前でした。ただただポスターの写真が美しかったので、観に行ってきました。


シンプルで力強い構造要素を効果的に用い、独自の空間を創出するスイスの建築家、クリスチャン・ケレツ。日本で初の個展となる本展では、3つの設計競技案―「ワルシャワ近代美術館」「ホルシム研究開発センター」「スイス・リー・ネクスト」と、2つの進行中のプロジェクト―「鄭州の高層ビル 第1、2案」「パライズポリスの公営住宅」を紹介します。抽象化されたコンセプト模型によって、現実の建築を超えた、その本質的な理念を浮かび上がらせます。


クリスチャンケレツ:略歴

1962年、ベネズエラのマラカイボ生まれ。スイス連邦工科大学チューリッヒ校で学び、建築写真家として多くの作品を発表後、1993年にスイスのチューリッヒに建築事務所を設立。2001年よりスイス連邦工科大学チューリッヒ校建築学科の講師を、2003年より同助教授を務め、2009年に正教授に選任される。2012~13年度にハーバード大学大学院デザイン学部丹下健三記念客員教授を務める。実作に「フォスター通りのアパートメント」(チューリッヒ/2003年)、「壁一枚の家」(チューリッヒ/2007年)、「ロイチェンバッハの学校」(チューリッヒ/2009年)など。現在はブラジル・サンパウロの公営住宅や中国での高層オフィスビルが進行中。


今回展示されるコンセプト模型は、なにもリアリティに近づけようというものではない。むしろ模型には模型固有のリアリティがあり、そこにはなにか抽象的なものが具象化される。模型を通すとプロジェクトの背景にある理念が見えてくる。模型を、コンセプトの見取図ともみなせる。つまり模型は、複雑な事象を単純化してとらえるのに役立つ。となるとそれは、抽象的かつ具体的、理念にして対象でもある。そこには間接的にリアリティが再生される。それを使えば、理念をまた別の形式で、すなわち具体的な形式で考察できるようにもなる。(クリスチャン・ケレツ)

ギャラリー間:3階展示室



ギャラリー間:4階展示室



「クリスチャン・ケレツ展」

スイス現代建築界の中でも特異な存在感を放つ、異才の建築家クリスチャン・ケレツ氏の日本初の個展を開催します。「建築とは一種の冒険であり、また既成のルールや固定概念を破る“知的な作業”である」と言うケレツ氏は、模型やレンダリング技術などを駆使し、諸々の条件を起点に空間や構造についての検討を繰り返すことによって、周到に練り上げていく設計スタイルをとります。既成概念にとらわれず、プロジェクトごとに振り出しに戻り、そのたびに改めてコンセプトやアイディアを練りながら新しいオーダーを見つけ出していく。そして、複雑なものを単純化し、建物をひとつの思想、ひとつの原理にまで還元し、そこから無限にヴァリエーションを増やしていくこと――「知性のミニマリズム」によって空間が自由で豊かになると言います。本展では、近作の大型プロジェクトである3つの設計競技案――「ワルシャワ近代美術館」(2006–2012)、「ホルシム研究開発センター」(2008)、「スイス・リー・ネクスト」(2008)、そして2つの進行中プロジェクト――「鄭州の高層ビル 第1・2案」(2011/2012–2013)、「パライゾポリスの公営住宅」(2009–2014)を、コンセプト模型と図面・CG画像や映像などで紹介。ケレツ氏の建築における現在進行形の原理・原則――“The Rule of the Game”が表現されます。


「TOTOギャラリー間」ホームページ


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鬼才タル・ベーレ監督の「ニーチェの馬」を観た!

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鬼才タル・ベーレ監督の「ニーチェの馬」を観ました。TUTAYAで借りたDVDで観ました。タル・ベーレ監督の作品は、「倫敦から来た男」を観ています。監督の名前の前に「鬼才」と付いていたので、今回もそれにならい「鬼才」と付けておきます。「ニーチェの馬」は、日本では2012年2月に公開されました。公開された後、大きな反響を呼びました。予告編を観て、僕も是非観に行こうと思っていましたが、残念ながら見逃してしまいました。


タル・べーラ:略歴

1955年 、ハンガリー ・ペーチ で生まれる。
1981年 、ブダペスト の映画アカデミーを卒業。
2011年 、監督としての最後の作品と表明している「ニーチェの馬 」で第61回ベルリン国際映画祭 銀熊賞 (審査員グランプリ) 、国際批評家連盟賞(コンペティション部門)を受賞。

タル・ベーラは「ニーチェの馬」を最後の監督作として公言しています。


「ニーチェの馬」

トリノの広場で泣きながら馬の首をかき抱き、そのまま発狂したというニーチェの逸話にインスパイアされて生まれた。しかしニーチェが登場したりすることはなく、全編ニーチェ的なニヒリズムの世界におけるとある親子の生活が描かます。


父親と娘と一頭の馬の、過酷なそして単調な生活を、カメラはただただ追い続けます。その極貧生活は、食事が毎回じゃがいも一個、というのにも現れています。


「チャプター」を下に載せておきます。

1.暴風が唸りを上げて

2.農夫とその娘

3.疲弊しきった馬

4.単調な日々

5.突然の来訪者

6.流れ者

7.夜はいつか終りが来る

8.行くべき場所

9.不吉な風

10.静粛がすべてを呑み込む


以下、「KINENOTE」より

解説
ハンガリーの鬼才タル・ベーラ監督が“最後の監督作”と公言して作り上げた作品。美しいモノクロの長回し映像で捉えた1人の農夫とその娘の過酷な日常生活を通じて、人間の倫理と尊厳を問う。出演は「倫敦から来た男」のボーク・エリカとデルジ・ヤーノシュ。ベルリン国際映画祭で審査員特別グランプリと国際批評家連盟賞を受賞。


あらすじ
初老の男(デルジ・ヤーノシュ)とその娘(ボーク・エリカ)、そして年老いた馬が暮らす、人里離れた荒野の中の一軒家。唯一の収入源は馬と荷馬車だった。父は荷馬車仕事を、娘は家事を行なって日々を過ごす。暮らしぶりは貧しく、毎日は限りなく単調。熟練の動作と季節の変化、一日の時間によってリズムと決まりきった仕事が与えられるが、その重荷が残酷に彼らにのしかかる。日常生活には、時おり訪れる人々がいる以外、これといった事件は起こらない。ついに男は、娘と馬を連れてこの家を出て行くことを決意する。だが、2人と1頭の道のりは、吹きすさぶ強烈な風のために過酷なものとなる……。


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「ニーチェの馬」公式サイト


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鬼才タル・ベーラ監督の「倫敦から来た男」を観た!


ポーラ美術館で「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」を観た!

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ポーラ美術館で「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」を観てきました。 国内有数のモネ・コレクションを誇る国立西洋美術館とポーラ美術館の共同企画の展覧会です。美術館の枠を超えてこのような企画が成立するのは画期的なことです。


国立西洋美術館のモネ・コレクションはよく知られていますが、ポーラ美術館のモネの所蔵品がこれほどまでに充実していることは、今回初めて知りました。モネ作品36点を中心に、マネからピカソまで、撰び抜かれた総数約100点の作品が展示されていました。


やはりなんと言ってもモネの作品、「舟遊び」(国立西洋美術館蔵)と「バラ色のボート」(ポーラ美術館蔵)の“そろい踏み”でしょう。展示室の入口を入ると、両作品が並んで展示されています。「日本の二大モネ・コレクション 箱根で夢の共演」と銘打つだけのことはあります。


また、ここでは取り上げませんが、レオナール・フジタの3点の新収蔵作品が展示されていました。フジタの初期の作品「キュビスム風静物」(1914年)、そして「シレーヌ」(1952年)と「グロテスク」(1952年)です。


展覧会の構成は、以下の通りです。

1 現代風景のフレーミング

2 光のマティエール

3 反映と反復

4 空間の深みへ

5 石と水の幻影



1 現代風景のフレーミング



2 光のマティエール



3 反映と反復



4 空間の深みへ




5 石と水の幻影


「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」

モネは眼にすぎない、しかし何と素晴らしき眼なのか。
セザンヌのこの言葉は、生涯、戸外の光の表現を追求し続けた画家モネにもっともふさわしい賛辞ではないでしょうか。しかし彼の眼は、自然の風景から受け取る感覚的で瞬間的な印象を捉えていただけではありません。モネは後年、自らの記憶のなかで純化された、画家の内なるヴィジョンともいうべき、喚起力に満ちた風景を描いていきます。また、彼の絵画には、従来の遠近法とは異なる空間の表現が展開していくことがわかります。印象派を代表するこの画家については、光と色彩、筆触分割、あるいは近代都市の主題といった観点から、これまで何度も取り上げられてきましたが、国内有数のモネ・コレクションを誇る国立西洋美術館とポーラ美術館の共同企画である本展覧会では、絵画空間の構成という観点から、他の作家の作品との比較を通して、風景に注がれたモネの 「眼」 の軌跡をたどります。モネ作品36点を中心に、マネからピカソまで、2つの美術館のコレクションから選び出した同時代の主要作品の数々をあわせ、全5セクション、総数約100点の作品によって、モネがカンヴァスの上に作り上げていった絵画空間の独自性を明らかにします。


「ポーラ美術館」ホームページ


とんとん・にっき-mon16とんとん・にっき-pola2 モネ、風景をみる眼 

19世紀フランス風景画の革新」とんとん・にっき-pola1

2013年12月7日~2014年3月9日

国立西洋美術館










「モネ、風景をみる眼 

19世紀フランス風景画の革新」

図録(カバー表)

編集:国立西洋美術館

    公益財団法人ポーラ美術振興財団

ポーラ美術館

    TBSテレビ

発行:TBSテレビ



図録(カバー裏)













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山口晃の「ヘンな日本美術史」を読んだ!

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山口晃の「ヘンな日本美術史」(祥伝社:平成24年11月10日初版第1刷発行、平成25年3月1日第6刷発行)を読みました。「ヘンな日本美術史」は、第12回小林秀雄賞 を受賞しました。4月頃、購入しておいたものを一気に読みました。山口晃 初の書き下ろし「画論」、とあります。


小林秀雄賞、山口晃さん「ヘンな日本美術史」に
第12回小林秀雄賞(新潮文芸振興会主催)が30日、山口晃さん(44)の「ヘンな日本美術史」(祥伝社)に決まった。同新潮ドキュメント賞(同)は佐々木実さん(47)の「市場と権力」(講談社)が選ばれた。副賞はともに100万円。授賞式は10月4日、東京・虎ノ門のホテルオークラで。
(2013年8月30日19時16分 読売新聞)


本の帯には、以下のようにあります。


恐るべし、「日本人の絵」 雪舟、円山応挙、岩佐又兵衛……
日本美術には「ヘンなもの」がいっぱいだった!


幕末、ある西洋人が日本人の描いた似顔絵を見て尋ねました。
「なぜ、横顔を描いているのに目は正面を向いているのか?」
その日本人は答えました。
「本当だ。今まで気づかなかった」
西洋美術が写実の限界を感じるもっと前から、
日本人はドキドキするような絵画の冒険をしてきたのです。


そして本のカバー裏には、以下のようになります。


日本人が培(つちか)ってきた絵、失った絵とは
自分が描いたということにこだわらなかった「鳥獣戯画」の作者たち。人も文字もデザイン化された白描画(はくびょうが)の快楽。「伝源頼朝像」を見た時のがっかり感の理由。終生「こけつまろびつ」の破綻(はたん)ぶりで疾走した雪舟(せっしゅう)のすごさ。グーグルマップに負けない「洛中洛外図」の空間性。「彦根屏風(びょうぶ)」など、デッサンなんかクソくらえと云わんばかりのヘンな絵の数々。そして月岡芳年(つきおかよしとし)や川村清雄(かわむらきよお)ら、西洋的写実を知ってしまった時代の日本人絵師たちの苦悩と試行錯誤……。絵描きの視点だからこそ見えてきた、まったく新しい日本美術史!

目次

第1章 日本の古い絵―絵と絵師の幸せな関係

     「鳥獣戯画」、「白描画」、「一遍聖絵(絹本)」、「伊勢物語絵巻」、

     「伝源頼朝像」
第2章 こけつまろびつの画聖誕生―雪舟の冒険

     「破墨山水図」、「秋冬山水図」、「慧可断臂図」、「益田兼堯像」、

     「天橋立図」
第3章 絵の空間に入り込む―「洛中洛外図」

     「舟木本」、「上杉本」、「高津本」

第4章 日本のヘンな絵―デッサンなんかクソくらえ

     「松姫物語絵巻」、「彦根屏風」、「岩佐又兵衛」、「円山応挙と伊藤若冲」、

     「光明本尊と六道絵」

第5章 やがてかなしき明治画壇―美術史なんかクソくらえ

     「『日本美術』の誕生」、「『一人オールジャパン』の巨人―河鍋暁斎」、

     「写実と浮世絵との両立―月岡芳年」、「西洋画の破壊者―川村清雄」


山口晃:略歴

画家。1969年東京生まれ。群馬県桐生市に育つ。1994年東京芸術大学美術学部油画専攻卒業。1996年同大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。大和絵や浮世絵を思わせる伝統的手法を取り入れつつ、時空を自由に混在させ、人物や建築物などを緻密に描き込む作風で知られる。巧妙な仕掛けとユーモアにあふれた作品は日本のみならず世界からも人気を得ており、近年では成田空港のパブリックアートや書籍の挿絵、CDジャケットも手がけるなど幅広い制作活動を展開している。2012年11月には平等院養林庵書院に襖絵を奉納。


僕が最初に山口晃の名前を聞いたのは、2008年7月8日から17日に東京国立博物館平成館で開催された「対決・巨匠たちの日本美術」という展覧会の時でしたから、今から2年半前のことでした。その展覧会の関連として小さな暦があり、その絵を山口晃が描いていたと思います。横山大観や富岡鉄斎など、対決した巨匠を描いたものでした。また、たしか公共広告機構のポスターも描いていたように思います。


新宿、紀伊国屋サザンシアターで7月30日に開催された、藤森輝信×山口晃「日本建築集中講義」反省会に行ってきました。予想していた通り、藤森輝信の独壇場で、山口晃の出番は期待はしていたのですが、藤森からふられたことにちょっと答えるだけでした。建築というフィールドの違いか、百戦錬磨の藤森との対談にはさすがに山口もたじたじで、手も足も出なかったように思いました。ただその本に描かれている「エッセイ漫画」はズバリ要点を捉えていて、非常に分かり易かったと思いました。この人漫画家なの?


さて、「ヘンな日本美術史」ですが、画家であっても語らせればけっこう奥深く語っていました。NHKの日曜美術館でセザンヌについて語っていたことを思い出しました。だいたい実作家はあまり語りたがらないもの、あるいは語りがヘタというのが通り相場ですが、山口の「画論」はなかなか語りもいけてます。「ヘンな日本美術史」でも、さすがは画家、という側面と、絵を論理的に語る、という側面と、バランスよくできていたように思いました。しかし、さらりとは書いているのですが、やや細かすぎる、というか、くどい、というか・・・。


まあ、要するに、僕には1章から4章まではおつき合いで読んだようなもの、面白いと言えば山口の造語、言葉遣いは面白いのですが、全体的にはけっこう苦痛でした。が、しかし、第5章に入ると、俄然面白くなってきました。というか、4章までは5章のためにあるようなもの、山口自身の力の入れようが違います。第5章は明治以降の日本美術を語っています。早い話が「河鍋暁斎」「月岡芳年」そして「川村清雄」の3人を取り上げて書いています。「月岡芳年」の項で、「暁斎の所で熱が入ってしまいましたので、続く芳年と清雄は短めにしてまいります」と、第5章のバランスを失したことについて、注釈を入れたりもしています。


実は僕も、河鍋暁斎を東京ステーションギャラリーで初めて観て、その後、成田山書道美術館でも観て、三島市の佐野美術館でも観て、コンドルの書いた「河鍋暁斎」を読んで、つい最近、三井記念美術館でも「暁斎の能・狂言画」を観たりで、ずっと暁斎を追っかけていたりもします。月岡芳年についても、川村清雄についても、最近、重要な展覧会が模様去れ、見直しが始まっているようです。


山口は、はっきりとこう書いています。(5章の最初では)芸大の歴史に引き付けて洋画(油画)、日本画の登場を見てきました。ここからは黒田清輝「横山大観の名が登場し、いかにも近代日本美術史の本流が始まる感じですが、それはこの本では割愛致します。


そして代わりに登場したのが江戸時代生まれの3人、河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄だったと言うわけです。つまり日本美術史の本流からははじき出され、語られることのなかった3人なのです。山口はそれではもったいないと思い、3人について熱を入れて語り出すのが第5章、というわけです。詳細については、この本を読んでもらう以外にありませんけど・・・。


現在、山口晃の重要な展覧会が、「新潟市美術館」と「群馬県立館林美術館」で開催されているとのこと。興味のある方は、チェックしてみてください。


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丹下健三の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」!

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8月31日(土)10:00PM、テレビ東京で放映された「美の巨人たち」、日本の建築シリーズ④として、丹下健三の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」が取り上げられていました。


今年は丹下健三生誕100年、これを記念して様々な模様氏が目白押しです。丹下に関連する書籍の刊行、例えば芸術新潮8月号では「磯崎新が読み解く知られざる丹下健三」でした。

芸術新潮で「磯崎新が読み解く知られざる丹下健三」を読んだ!

1964年、東京オリンピックの年、丹下健三の設計による「国立代々木屋内総合競技場」が、そのフォルムによって世界の話題をさらいました。その同じ年、“もう一つの丹下健三の傑作”が誕生していました。それは東京都文京区関口三丁目にある「東京カテドラル聖マリア大聖堂」でした。


「東京カテドラル聖マリア大聖堂」は、以前にもこのブログで取り上げたことがあります。内部の写真撮影はできなかったので、教会で販売していた「絵葉書」を元にブログを書きました。

「東京カテドラル聖マリア大聖堂」を見学した!


ここでは「美の巨人たち」で放映された画像を、以下に載せておきます。


丹下健三(1913-2005)


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「東京カテドラル聖マリア大聖堂」外観


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「東京カテドラル聖マリア大聖堂」聖堂内部


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「東京カテドラル聖マリア大聖堂」配置図と断面図


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コンペに参加した3人の建築家

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新日曜美術館で「丹下健三」を見た!その1
新日曜美術館で「丹下健三」を見た!その2
丹下健三の業績
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原作:田中慎弥、監督:青山真治の「共喰い」を観た!

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原作:田中慎弥、監督:青山真治の「共喰い」を観てきました。第146回 芥川賞を受賞した田中慎弥の同名の原作の映画化です。田中慎弥の「共喰い」は、かなり長く詳細にこのブログに書きました。青山監督の作品は、北九州を背景に描いた2007年の「サッドヴァケイション」を観ました。その映画で印象に残っているのは、主人公を捨てた母親役の石田えりです。今回の「共喰い」も同じく主人公の実の母親が、大きな役割を果たします。戦争で左手を失いながらも、川沿いで魚屋を営んでしたたかに生きる母親役を、田中裕子が演じています。この二つの映画のテーマは「母性」です。


潮の満ち引きによって水位が変わる川が、いろんな意味で女のメタファーになっています。捨てられたゴミが漂い、使われた生活水が容赦なく流れ込む川。母親が捌いた魚の切れ端は川に捨てられ、それを目当てに川の魚が生息しています。主人公・遠馬が浴室で行う自慰によって排泄された白濁液も、当然川に流されます。その川から遠馬によって鰻が釣り上げられ、父親が酒の肴に旨そうに食べたりもします。さすがに遠馬は鰻には手が出ません。


性交時に暴力を伴わないと快感を感じないサディスティックな父親の性癖。愛人の琴子さんの顔は父親の暴力で腫れ上がっています。父親と同じ忌まわしい血を受け継いでいる息子の遠馬。遠馬と千種の若者らしい性交は、もっぱら神輿の倉が使われます。ある時、幼なじみの千種との性交時に、千種の首を絞めてしまいます。千種は遠馬から一旦、身を引きます。妊娠した琴子さんは、意を決して父親には言わずに出ていきます。


これといって何もない町の季節の「祭り」が、重要な意味を担っています。祭りの装束に着替えた父親は、いなくなった琴子さんを町中探し回ります。千種は祭りの際に遠馬と神社で会うことにします。父親は息子の恋人である千種を犯します。それを知った母親は、父親を殺しに、包丁を持って出かけます。恩赦の話が出ます。物語は1989年の昭和天皇の崩御と重ね合わせて描かれています。


原作者の田中慎弥は、以下のように書いています。

私が物語のクライマックス近くに書いた幻想的な場面を、映画は全く違う形で描いています。ここを見た時、ああ、やられた、と思いました。この場面はこういう風に描かれるべきだった、だからこそあのクライマックスが成立するんじゃないか、と悔しくなりました。さらに、小説の結末を越えたところまで、映画はすくい取ってくれています。それは実のところ、私も書こうとしていたことでした。思いきってその手前で終わらせることで、作家としては達成感がありました。ですが映画はその先を追いかけて、大きな生命力へと到達する女たちを出現させました。


以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。


チェック:小説家・田中慎弥による人間の暴力と性を描いた芥川賞受賞作を、『サッド ヴァケイション』『東京公園』などの青山真治が映画化した人間ドラマ。昭和の終わりの田舎町を舞台に、乱暴なセックスにふける父への嫌悪感と自分がその息子であることに恐怖する男子高校生の葛藤を映し出す。主演は、『仮面ライダーW(ダブル)』シリーズや『王様とボク』の菅田将暉。名バイプレイヤーとして数々の作品に出演する光石研と田中裕子が脇を固める。閉塞感漂う物語がどう料理されるか、青山監督の手腕に期待。

ストーリー:昭和63年。高校生の遠馬(菅田将暉)は、父(光石研)と父の愛人・琴子(篠原友希子)と暮らしている。実の母・仁子(田中裕子)は家を出て、近くで魚屋を営んでいた。遠馬は父の暴力的な性交をしばしば目撃。自分が父の息子であり、血が流れていることに恐怖感を抱いていた。そんなある日、遠馬は幼なじみの千種(木下美咲)とのセックスで、バイオレンスな行為に及ぼうとしてしまい……。


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「共喰い」公式サイト


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一定の要件で、震災前に借り入れた債務の免除を受けられることも!詳しくは、こちら

三井記念美術館で「国宝『卯花墻』と桃山の名陶」を観た!

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三井記念美術館で「国宝『卯花墻』と桃山の名陶」を観てきました。


三井記念美術館から家に戻り、夕刊(朝日新聞:2013年9月10日夕刊)を見たら、以下のようにありました。なんと今日が初日だったようです。


日本橋で桃山の名陶展

特別展「国宝『卯花墻(うのはながき)』と桃山の名陶」(朝日新聞社など主催)が10日、東京・日本橋の三井記念美術館で始まった。桃山時代後期に作られた国宝の志野茶碗「卯花墻」を始め、同時代の岐阜県美濃地方で焼かれた黄瀬戸や瀬戸黒、織部の茶わんや水指、香合など名品約100件を展示している。11月24日まで。会期中展示替えあり。一般1200円など。


「茶陶三昧 三館めぐり」キャンペーン

今秋、茶陶に関連する展覧会が、三つの美術館で開催されています。

・三井記念美術館

 特別展「国宝」『卯花墻』と桃山の名陶

      ―志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部―」

 9月10日~11月24日

・五島美術館

 特別展「光悦―桃山の古典(クラシック)―」

 10月26日~12月1日

・根津美術館

 特別展「井戸茶碗―戦国武将が憧れたうつわ―」

 11月2日~12月15日


今回の目玉、国宝「志野茶碗 銘卯花墻」は、展示室2に、ただ1点だけ、ガラスのケースに入って展示してありました。「卯花墻」については、矢部良明の「すぐわかる名品茶碗の見かた」にかなり詳細に出ているので、以前このブログで紹介した記憶があるのですが・・・。(調べてみます)


志野:

美濃地方独特の白土に長石釉が掛けられた志野。釉の状態によって釉下の文様や赤みが濃く、淡く現れる。また鼠志野は素地全面に施した化粧を箆(へら)で掻き落として文様をあらわす。いずれも当意即妙の表現が魅力である。





黄瀬戸・瀬戸黒:

美濃地方で焼造された志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部は、当時瀬戸焼と呼ばれていた。黄瀬戸は鮮やかな黄釉の掛かった瀬戸焼、瀬戸黒は黒い瀬戸茶碗という意味である。いずれも桃山時代に登場した新しい器である。






織部:

慶長年間後期、時代の風潮を反映した楽しい器が量産される。白と黒、白と緑、赤と緑など、釉と土を使い分けた色彩豊かな織部である。また型による成形法が用いられたことによって、食器の形が多様となった。





「特別展 国宝『卯花墻』と桃山の名陶―志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部―」

桃山陶の多様な造形、豊かな色彩と装飾は、現代のわたしたちをも魅了する。

桃山時代後期、日本の文化が大きく変貌する時期に、新しい焼き物が誕生します。岐阜県の美濃地方で焼かれた志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部です。白い釉膚に文様が映える志野。黄釉に緑の胆礬釉が滲む黄瀬戸。黒釉が掛けられた重厚な作行きの瀬戸黒。黒釉、透明釉、緑釉、そして赤土、白土が駆使された多彩な織部。いずれも日本で初めて焼かれた装飾的なやきものです。焼造された時期は種類によって若干異なりますが、慶長年間(1596-1614)初頭から元和年間(1615-1623)頃までわずか20~30年の間と考えられています。なかでも志野と織部に示された多様な造形と装飾は当時の人々を魅了し、京都を始め畿内一体で大流行したようですが、現代もまたこれらのやきものが好まれる時代のようで、桃山陶といえばまず話題に上がるのは志野や織部の作品です。この特別展では茶碗や水指、香合、そして懐石道具など、各種の優品を紹介いたします。展示されている作品から桃山時代の創造力のすばらしさを感じとっていただけると思います。


「三井記念美術館」ホームページ


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槙文彦の「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を読んだ!

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槙文彦の「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」と題する論文が、建築家仲間の間で話題になっていたので、JIA機関誌JIA8月号に載っていたものをネットで読んでみました。

JIA MAGAZINE 295

「JIA」とは公益社団法人日本建築家協会のことで、建築の設計を行う建築家の団体です。かつてはエリート建築家の団体で1000人程度しか会員はいませんでしたが、ある時から丹下健三を会長にして会員拡大を行いましたが、それでも4300人ほどしか会員はいません。つまり、建築家の職能向上を目指すとはいえ、エリート集団というわけです。僕も一時期会員になっていましたが、やや鼻につくエリート意識と会費の高さで、退会しました。


槇は、今から30年ほど前のプロポーザルで獲得した「東京体育館」の設計について語り、発表された「新国立競技場」案のパースを見て、美醜や好悪を越えてスケールの巨大さに驚いたという。上に載せたパースの右下にあるのが東京体育館で、新国立競技場の巨大さは一目見て分かります。また槇は、絵画館が埋没していることや、JRの線路上に伸びていることにも首を傾げます。つまり新国立競技場は、神宮外苑の歴史を無視していることに批判を集中します。


日本の人口は年々減少に向かっている現在、8万人の観客を収容する全天候型の施設を要求していることに、プログラムの不備を追求しています。17日間の祭典に最も魅力的な施設は、必ずしも次の50年間、人々にとって理想的なものだとは限らない、と断言しています。一般的にも、今オリンピックなんかやっている場合じゃないだろう、という意見も数多くあります。


槇は日本に市民社会は成立したのだろうかという問いを、自身のパナティナイコの競技場の歴史や、バーゼルでのリファレンダム、フローニンゲンでの体験を交えて提出します。国際コンペの特色は“お上”の一部の有識者がそのプログラムを作成し、誘導してきた。そこには地域の濃密な歴史的な文脈の説明はまったくなかった。もしこれがスイスであれば、プログラムに対してリファレンダムが行われ、市民によるジャッジが行われる、という。


槇は、2012年9月号の「新建築」に「漂うモダニズム」として、建築が建築家の手を離れたあとの社会性、社会的価値について述べています。その後、その延長上で具体的な例として新国立競技場案を取り上げ、その社会性のあり方を考察しています。それが今回の論文「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」になったわけです。


槇は、「9月20日以降」として、二つのシナリオを提出しています。まず17日間のスポーツの祭典が東京で行われるというシナリオと、もう一つは東京ではないというシナリオです。現在では、2020年のオリンピックが東京に決定したことは誰でも知っていますが、槇の論文が書かれたのは、東京決定以前のことです。しかし、ここまで官僚に積み重ねられて、“お上”に決められて外堀を埋められては、槇文彦といえどもどうしようもありません。


一つのオプションとして、ザハ・ハディドとロンドンのメインアリーナを担当した事務所によるロンドンチームに、それに基本設計当初から外苑の歴史、環境、法規を熟知した建築家、耐震構造、日本の施工技術に精しい人々からなる日本チームを参加させることがよりよい結果を生むと思う、として、お茶を濁しているのは残念です。たしかに今となっては時すでに遅しの感がありますが・・・。


いずれにしてもこの問題は、一部の建築家では話題になっていますが、一般的にはほとんど話題にものぼっていません。槇はインタビューに答えて、次のように言います。


昔から「もの言えば唇寒し秋の風」のその秋風が今でも吹いているのではないでしょうか。一老建築家がこのようなエッセイを書かなければならなかったその背後にある我々の建築文化の風土について、少し皆で考えてみることができればいいことだと思っています、と。


とんとん・にっき-maki

槇文彦:略歴
1928年     東京生まれ
1952年     東京大学工学部建築学科卒業
1953年     クランブルク美術学院修士課程修了
1954年     ハーバード大学修士課程修了
1956年~61年 ワシントン大学準教授
1962年~65年 ハーバード大学準教授
1979年~69年 東京大学工学部建築学科教授
1965年~    (株)槇総合計画事務所代表
現在、日本建築家協会会員、アメリカ建築家協会名誉会員、英国王立建築家協会名誉会員


主な受賞
1963年、85年  日本建築学会賞
1987年      レイノルズ賞
1988年      ウルフ賞
         シカゴ建築賞
1990年      トーマス・ジェファーソン建築賞
1993年      プリッツカー賞
         UIAゴールドメダル
         プリンス・オブ・ウェールズ都市計画賞
         IAITAクォーターナリオ賞


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