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ニューオータニ美術館で「マリー・ローランサンとその時代展」を観た!

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ニューオータニ美術館で「マリー・ローランサンとその時代展」を観てきました。副題には「巴里に魅せられた画家たち」とあります。


ニューオータニ美術館にはもう何度か行きましたが、他にはない美術館の雰囲気とか特徴的な所蔵品で、好きな美術館の一つです。以前、勤務していた設計事務所がこの近くにあったのですが、その頃はサントリー美術館はありましたが、ニューオータニ美術館はまだこの場所での開館前だったと思います。絵画はだいたいなんでも観ますが、僕のちょっと苦手、というか、好きではない画家が何人かいます。マリー・ローランサンがその一人です。また東郷青児もその一人で、好きではありません。その二人の画家の展覧会があったとしたら、たぶん、観に行くことはないと思います。


さて、今回のニューオータニ美術館での展覧会は、「マリー・ローランサンとその時代展」です。結果として観てよかったと思います。一つは、マリー・ローランサンの若い頃の、いわば画家に成り立ての頃の作品が幾つか観られたこと、当然ですが、若い頃は普通の絵描いていたことが分かったのが、収穫と言えば収穫でした。それともう一つ、「その時代展」ですからローランサンと同時代の画家の作品が思っていた以上に数多く観られたことです。もちろん、以前にニューオータニ美術館で観た作品もありましたが、そうではない作品、初めて観る作品も数多く出されていました。


主催はもちろん「ニューオータニ美術館」ですが、なんと共催に4つの美術館の名前がありました。「マリー・ローランサン美術館」「高梁市成羽美術館」「一宮市三岸節子記念美術館」「神戸市立小磯良平記念美術館」の4館です。チラシの隅っこを見てみると、「全国美術館会議 小規模館研究部会 第2回共同企画」とありました。ネットで調べてみると以下のようにありました。


本展では、美術館の全国組織「全国美術館会議」加盟館の小規模館研究部会の第2回共同企画展として全国5か所を巡回しています。主催館ならびに協力館の所蔵作品のみで構成されており、小さな美術館の個性的なコレクションが、連携によってさらに輝きを増す様子も見どころといえるでしょう。


公立美術館だけに限ったやや規模の大きなものとしては、「美術館連絡協議会」という組織がありました。2009年に東京都美術館で「美連協25周年記念 日本の美術館名品展」を観たときに、そんな組織があることを初めて知りました。それとはまた違う組織のようです。いや、なかなかユニークな試みと言えるでしょう。ところがマリー・ローランサン美術館のホームページを見てみると、残念なことに「マリー・ローランサン美術館は2011年9月30日をもって閉館いたしました」とあったので、これまた驚きました。


展覧会の構成は以下の通りです。

第1章 パリの画家、マリー・ローランサン
第2章 パリの華やぎ
第3章 日本人画家の活動


今回展示された作品は、ざっと作品リストをみると、マリー・ローランサン美術館32点、ニューオータニ美術館11点、パナソニック汐留ミュージアム5点、兵庫県立芸術文化センター薄井憲二バレエコレクション11点、高梁市成羽美術館9点、神戸市立小磯記念美術館10点、一宮市三岸節子記念美術館6点、その他で構成されています。全部で112点、そうとうな作品数です。これでも分かる通り、ローランサンは別にして、ルオー、ヴァラドン、ヴァラマンク、ドンゲン、ドラン、ユトリロ、フジタ、キスリング、児島虎次郎、佐伯祐三、荻須高徳、小磯良平、三岸節子、等々、なかなか魅力的な作品が揃っていました。多くの画家を惹きつけてやまない「巴里の華やぎ」が伝わってくる展覧会でした。


第1章 パリの画家、マリー・ローランサン



第2章 パリの華やぎ




第3章 日本人画家の活動



「マリー・ローランサンとその時代展 巴里に魅せられた画家たち」

パリが生んだ画家マリー・ローランサンの活動を中心に、第一次世界大戦後の1910年代から30年代と、それに先立つ20世紀初頭のパリの美術動向にスポットをあてて、各国からパリに集った個性あふれる画家たちの姿を紹介します。多くの芸術運動が興った19世紀末から20世紀前半のパリで、華やかな色彩に愁いを秘めた女性像で知られるマリー・ローランサンが活躍しました。この時代のパリには、世界各地から芸術を志して様々な出自を持つ人が集まります。そこには日本から渡っていった多くの才能豊かな青年たちも加わりました。彼らは刺激を与え合いながら、パリという環境に個性を育まれて成長を遂げていったのです。


「ニューオータニ美術館」ホームページ


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オランダ・マーストリヒトで「教会が書店に!」リノベーション!

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昨日の朝日新聞広告特集に、「おもしろ建築が続々!リノベーション先進地 オランダ見聞録」という記事が載っていました。「古い建物を大胆に再生させている国がある。それはオランダ。建築物を補修し、長く活用する伝統があるヨーロッパで、そのユニークさはピカイチ。いざ、おもしろ建築散歩へ!」とあり、幾つかのリノベーションの例が載っていました。一つ目は「教会が書店に!」、二つ目は「回転橋がカフェに」、三つ目は「倉庫がショッピングモールに」の三つです。


古くなった建物をリノベーション(改築)しながら使い続けることは歴史の古い欧米では当然のことでした。十分に手を加え、維持されてきた建物は、高価格で売買されるという。しかし日本では、建物の不動産価値は完成直後が最も高く、時が経つにつれて下がっていきます。建物よりも土地の価値が優先されます。とはいえ、最近では古い建物を解体し、新しい建物を建てるという「スクラップ・アンド・ビルド」は見直されつつあります。既存の建物を活かしたリノベーションが注目されるようになりました。建築廃材を抑えることも理由の一つですが、リーマンショック以降の不況の中で、経済的にも有効な手段です。それ以上に重要なのは、新しい建物にはない、古い建物の持つ歴史的な時間の可能性だと言えます。


僕が1973年夏にアメリカへ建築視察旅行に行ったときに、サンフランシスコで二つのリノベーションの実例を見学しました。サンフランシスコ湾側にある工場や倉庫をコンバージョン(用途転用)した建物です。一つはチョコレート工場を商業施設に改修した「ギラデリー・スクエア」、もう一つは缶詰工場をショッピングモールに改修した「ザ・キャナリー」です。この二つの商業施設の間は、たしかサンフランシスコ名物ケーブルカーの発着場所でした。かなり早い時期の大規模リノベーションの実例でしたが、先日知人がこの地区、フィッシャーマンズワーフへ行って食事をしてきたと言うから、未だに利用されていて、長い寿命なのには驚きました。



それはさておき、ここではオランダ・マーストリヒトの古い教会を書店にリノベーションした例の話です。何度過去のブログに書いていますが、昨年4月に「オランダ・ベルギー・ルクセンブルグ」10日間の旅に行ってきました。マーストリヒトへ行ったのは第6日目、4月16日(土)のことでした。午後からマーストリヒト旧市街を徒歩で観て回りました。その時に偶然入った教会が書店だった、というわけです。たぶん、いまから思うと、ガイドさんが面白い本屋があるから観に行ったらと教えてくれたのかもしれません。


オランダでは、キリスト教のコミュニティーが縮小して、使われなくなった教会堂が増えているという。オランダ南部の都市マーストリヒトで、ゴシック様式の大空間を持つ教会が書店「Selexyz Dominicanen」として、2006年に改修・再生されました。本を売るために必要な面積は、教会堂の2倍。書架スペースを3階建てにして片側に寄せることでそれを解決し、天井や奥行きはオリジナルのままです。面白いのは、一番奥、そうです、祭壇の場所がなんとカフェになっていました。天井が高く、落ちつくところで本を読みながらゆっくりとコーヒーを飲む、こんな贅沢は他では味わえません。オランダならではの、斬新なデザインです。もちろんオランダでは、国家的な規模で、リノベーションを支援し促進する仕組みが充実しているという。




ベトナム映画「夏至」を観た!

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「夏至」は一年中で一番昼が長い日です。ということは、夜が短い日でもあります。日本では実は梅雨の最中、鬱陶しいことこの上ないジメジメした季節です。逆に「冬至」は一年中で一番夜が長い日です。日本ではゆず湯に入り、カボチャを食べると風邪ひかないと言われています。


「あらすじ 解説 夏至 - goo 映画」

ヴェトナムの首都ハノイ。母親の命日に集まったスオン(グエン・ニュー・クイン)、カイン(レ・カイン)、リエン(トラン・ヌー・イエン・ケー)の3姉妹は、とても仲が良い。しかし実はそれぞれ、誰にも言えない秘密を抱えていた。カフェの女主人である長女スオンは、幼い息子がいるものの、夫クオック(アンクル・フン)には愛人とその子供がおり、自分も行きずりの青年トゥアン(レ・トゥアン・アイン)と逢瀬を重ねていた。次女カインは新婚で、ライターの夫キエン(チャン・マイン・クオン)は処女小説に行き詰まっている。妊娠が判ったが、今は夫と二人の秘密にしておきたい。三女リエンはまだ学生で、役者の卵の兄ハイ(ゴー・クアン・ハイ)とアパート暮らし。恋人のホア(レ・ヴー・ロン)とは最近うまくいっていない。そんな中、命日の酒宴で母の秘めた初恋の話が明かされた。貞節な理想の夫婦を両親に見ていた3姉妹は、母が父以外の男性に恋していた事実に戸惑う。そして三姉妹が抱える秘密も、少しずつ露になっていく。やがて父親の命日。彼女たちは問題を抱えつつも、家族の絆を強め、関係の調和を保っていくのだった。


早い話、上の「あらすじ」を見れば、映画「夏至」の内容はよく分かります。物語は、仲の良い3姉妹が母親の命日に集まるが、実はそれぞれに事情を抱えていて、それが少しずつ露わになってくるという展開です。日本で言えば向田邦子の「阿修羅のごとく」のような、あるいは山田太一の「岸辺のアルバム」のような、テレビドラマ向けのありふれたごくごく通俗な物語だといえます。外は雨、湿気がじわーっと伝わってきます。ついつい昼寝をしたくなります。


が、しかしこの映画は、そんなことはどうでもいい、ポイントは二つ。映像からにじみ出てくる心地よい「色彩」と、ゆったりと流れる「時間」がこの映画を作り上げています。説明的な台詞回しはほとんどありません。だから本来の意味での「映画」だと言えます。色彩は黄色、緑、青のパステルカラー、日本ではゼッタイに使わないインテリアのカラーです。時間は有り余るほどあります。誰も急いだりはしません。そして3姉妹の飾らない「美しさ」がなんと言ってもこの映画の見どころです。そして日本ではない、異国文化を楽しめます。


トラン・アン・ユン監督は、ベトナム戦争を逃れて、フランスで育ったベトナム系フランス人です。話は変わりますが、いや、まったく関係ないですが、いま読んでる大江健三郎のエッセイでは、「ベトナム」のことを「ヴィエトナム」と表記していました。大江さんは仏文科卒なので、「ヴィエトナム」が正しいフランス語読みなのでしょう。

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東京の下町で

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東京の下町、スカイツリーの見える町で、これから飲み会です!


ハウステンボスの「幻のゴッホ展」!

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家人がよく見ている「ぶらぶら美術館」、ハウステンボス美術館の「幻のゴッホ展」を放映していました。


ゴッホ36作品、奇跡の日本初上陸!

今回のぶらぶら美術館は、開館20周年を迎えるハウステンボス美術館で開催中の企画展「幻のゴッホ展」へ。オランダのゴッホ美術館より、日本初公開となる作品がやって来た!その数なんと36作品。中でも注目は、ゴッホが生涯に描いた自画像39点のうち、8点が並ぶ自画像コーナー。これまでは自画像とされてきたものの、最近になって弟・テオの肖像画であることが解明された作品も並びます。きっとこれまでに見たことがないゴッホに出会えますよ。(ぶらぶら美術館ホームページより)


ほとんどの作品は、アムステルダムの「ファン・ゴッホ美術館」からのものでした。昨年4月、アムステルダムで「ゴッホ美術館」を訪れ、ゴッホの作品を纏まって観る機会がありました。ということもあり、懐かしく思い出しながら「ぶらぶら美術館」を観ることができました。ゴッホの作品は、やはり昨年4月に訪れた「クラレー・ミューラー美術館」でも数多く所蔵していて、それらも観ることができました。


ゴッホと言えば、やはり、僕の場合ですが、竹橋の国立近代美術館で観た「夜のカフェテラス」、作品がどうの、というよりも、あの暑い日に美術館の前に並んだ人、人、人、長蛇の列とはあのことです。2005年5月のことでした。ところがクラレー・ミューラー美術館では、「夜のカフェテラス」の前では、ほとんど足を止める人がいません。ほとんど自分だけで観ることができました。国立新美術館では、2010年6月に「オルセー美術館展」で、2010年10月には「没後120年ゴッホ展」で、まとまってゴッホの作品を観ることができました。


やはり長崎は遠い、残念ながら、今回のハウステンボス美術館の「幻のゴッホ展」は、行くことができないので、アムステルダムの「ゴッホ美術館」で観たゴッホの作品を思い出しながら、「ぶらぶら美術館」を参考に、以下にまとめてみました。


以下、画像は「ファン・ゴッホ美術館所蔵 名画集」より








「ファン・ゴッホについて」

ゴッホ。誰でも知っているオランダの画家です。知っているのは「ひまわり」? 「アルルの跳ね橋」?・・・“炎の画家”といわれるように、どれもエネルギーに満ちあふれた明るい色彩の作品です。しかし、ゴッホは、最初からそのような作品を描いていたのでしょうか。いいえ、違います。和蘭生まれのフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)が画家になろうと決心したのは、27歳の頃でした。初期は地味で暗い色調がほとんどでしたが、33歳の頃、パリに移り、印象派と出会い、様々な画風に挑戦します。晩年、南フランスに移ってから色調は明るさを増していき、スタイルが確立されました。作品は、37歳で自ら命を絶つまでのわずか10年間に描かれています。作品総数は、合計2000点。なんと2日に1枚を仕上げていくペースです。また、熱狂的で伝道を辞めさせられた、娼婦と同棲した、自ら耳を切った、生涯で一つの作品史か売れなかった、弟テオへ600通もの手紙を送ったなどのエピソードもよく知られています。ファン・ゴッホは作品とともに、その人生も私たちの心をとらえて離しません。


ハウステンボス「幻のゴッホ展」


とんとん・にっき-ho4 「ファン・ゴッホ美術館所蔵 名画集」

図録

2002年、2009年改訂新版

ゴッホ美術館事業有限責任会社










過去の関連記事:

アムステルダムで「ゴッホ美術館」を観た!
「クレラー・ミューラー美術館」を観た!
国立新美術館で「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を観た!
国立新美術館で「オルセー美術館展2010 『ポスト印象派』」を観た!
東京国立近代美術館へ「ゴッホ展」を見に行ってきました!

宮内庁三の丸尚蔵館で「描き継ぐ日本美―円山派の伝統と発展」を観た!

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宮内庁三の丸尚蔵館で開催されている「描き継ぐ日本美―円山派の伝統と発展」を観てきました。


以下、続く








「描き継ぐ日本美―円山派の伝統と発展」

江戸中期、個性的な絵師が次々と登場し活況を呈していた京都画壇において、円山応挙は独自の写実的な画風を展開し、数多くの弟子を育て、円山派という一つの流派を築き上げました。彼らは内裏造営にも参加するなど、次第に狩野派、土佐派に迫る一大流派と成り、さらに四条派などの分派も生まれました。そして幕末にかけてその裾野を広げた円山派は近大には行って展開する新たな画壇の潮流において主導的な役割を担うことになりました。時代が明治に移ると、応挙の画風を継いだ幸野楳嶺や森寛斎といった画家らが、美術団体の如雲社や京都府画学校の設立に携わり、京都画壇の中心的存在として活躍しました。一方で、幕末から明治にかけて東京(江戸)へ活動の拠点を移す川端玉章や村田玉田、野村文挙のような画家も現れました。特に玉章は、多くの門弟を育成して、後に画学校を開き、また東京美術学校の教授ともなって東京に広く円山派の画風を拡大する大きな役割を果たしました。東西両画壇の円山派の画家たちは、明治21年(1888)に竣工した明治宮殿において杉戸絵を始めとする室内装飾に参加したほか、離宮や各御用邸を飾る絵画の御用を数多く手掛け、帝室技芸員にも次々と任命されました。さらに大正期以降では、画家それぞれの個性が尊重される新たな風潮の中で、円山派伝統の写実性に独自の筆致や色彩感覚を取り入れて、円山派の近代化を果たした楳嶺門下の竹内栖鳳や寛斎門下の山元春挙などの登場も見逃せません。本展では当館収蔵品の中から、応挙とその弟子から、明治以降の系譜に連なる画家までを展観することで、近世から近代まで連綿と続いた円山派という存在が、結果として近代の日本画をいかに豊かなものにしたかを紹介します。


「宮内庁三の丸尚蔵館」ホームページ


過去の関連記事:





スタジオ・ムンバイの「夏の家」

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2012年8月、東京国立近代美術館(本館)の前庭にスタジオ・ムンバイ(インド)がデザインする「夏の家」(仮)がオープンします。という情報をキャッチしたのはいつだったか? TOTOギャラリー間で「スタジオ・ムンバイ展」を観たときに、上にようにブログに書きました。


東京国立近代美術館は、展覧会はすべて夏休み中です。その前庭で、スタジオ・ムンバイの「夏の家」が完成し、暑い夏の日に観てきました。当初、「夏の家」がどんなものか、まったく分かりませんでした。また、どうして近代美術館の前庭に、スタジオ・ムンバイの「夏の家」が、しかも、近美のホームページをみるとスタジオ・ムンバイの「バラック」とあるではないですか。いまの時代、建築家が「バラック」を建てるという時代ではありません。が、しかし、「バラック」、これは面白そう、ゼッタイに観ておきたいと思い行ってきました。


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先日、ベネチア・ビエンナーレの国際建築展で、伊東豊雄率いる日本チームが東日本大震災の被災地、陸前高田市に建てた「みんなの家」のスタディ模型を並べて会場に展示し、最優秀賞の金獅子賞に選ばれました。「みんなの家」は、特にこれと言った機能があるわけではなく、ただの掘っ立て小屋のような、小さな建築に過ぎません。実は機能がない、あるいは用途がない建築をつくるのが、建築家はもっとも不得意とするところなのです。


スタジオ・ムンバイの「夏の家」は、これといった定まった機能があるわけではありません。思い出したのが、パリのラ・ヴィレット公園に建つ、バーナード・チュミによる「フォーリー」と呼ばれる小建築群です。僕は2度ほど、ラ・ヴィレット公園に観に行きました。「フォーリー」とは、無理矢理日本語にすると「あずまや」です。大きな西洋庭園に点在する休憩所のようなものです。当時盛んに「無用の用」と言う言葉で言われていました。


スタジオ・ムンバイの「夏の家」も、特にこれといった機能があるわけではない、3つの建築から成り立っています。国立近代美術館の前庭に建ち並ぶのは、巨大玩具のようでもあり、茶室の待合のようでもあり、ちょっとした休憩所のようでもあります。まさに「無用の用」です。辞書で調べてみると、「一見無用とされているものが、実は大切な役割を果たしていること」、とあります。


「夏の家」では、小さな建築を建てることを通して、日本語の「バラック」が持つ可能性を追求した、とあります。「バラック」とは、戦後の復興の時によく使われました。本来バラック(barrack)は兵舎という意味なんだそうです。僕は初めて知りました。バラックには、人々が自分の過ごす場所をその都度工夫していく、未完の建物ならではの魅力がありますと述べられています。そういえば、石山修武に「バラック浄土」(相模書房:1982年)という著作がありました。


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スタジオ・ムンバイによる「バラック」
東京国立近代美術館が開館した1952 年は戦後復興の途中であり、東京にはまだまだバラックが多く残っていました。それらは、何もかもを失い、家をつくる必要に迫られた人々が、建設の知識がないまま自分の手で工夫を重ねてつくりあげたすまいの原型であるといえます。そしてバラックには、人々が自分の過ごす場所をその都度工夫していく、未完の建物ならではの魅力があります。新築/改修、職人/素人に関わらず建物を建て、日々更新していくという建築のあり方は、スタジオ・ムンバイが建築に取り組む方法と重なります。本来バラック(barrack)は兵舎という意味ですが、日本人がイメージするバラックは英語のshelter やhut(小屋)も含んでいます。今和次郎は、『震災バラックの回顧』(1927 年)において、この日本語の「バラック」が指すものを丁寧に調査し、示しました。そして、関東大震災後に地面から湧き出るように次々と建てられた「バラック」の数々と、田舎の農家や開墾地の家々を、同質の視点で見つめ、それら原始的な建て方の小屋に、人がすまいを自ら工作することの価値を見出したのです。この視点は、震災を経た2012 年の日本において重要な問題でもあります。かねてよりインドの田舎の集落や移動住居を調査してきたスタジオ・ムンバイは、今のバラック調査に大きく共感しました。そこで、本プロジェクトでは、小さな建築を建てることを通して、日本語の「バラック」が持つ可能性を追求します。また、今和次郎の他、ジョン・ラスキンやバーナード・ルドルフスキー『建築家なしの建築』などにも共通する民俗的な建築の魅力を、スタジオ・ムンバイがどう思考し、実践するかが本プロジェクトのみどころのひとつです。


スタジオ・ムンバイ
1995 年、ビジョイ・ジェインがムンバイに設立した、大工職人と設計者による、設計から施工まで一括して手掛ける建築事務所。当初15 名程度だったスタッフは、現在120 名を超える。土地の材料や伝統的な技術を重んじ、手作業による施工をベースにしたオーガニックな建築作品を数多くつくる。職人や芸術家とともに独自の建材をつくり、スケッチや大きなモックアップでの検討を何度も繰り返すプロセスそのものがデザインになることが特徴。建築作品の殆どはインドに建設されているが、ヴェネチア・ビエンナーレ建築展(2010 年)への出品をはじめ、建築雑誌『El Croquis』で特集されるなど、世界で注目を集める。


スタジオ・ムンバイの「夏の家」


過去の関連記事:

TOTOギャラリー間で「スタジオ・ムンバイ展」を観た!




ギャラリーエークワッドで「数寄屋大工―美を創造する匠―」を観た!

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ギャラリーエークワッドで竹中大工道具館巡回展「数寄屋大工―美を創造する匠―」を観てきました。主催は公益財団法人竹中大工道具館です。だいぶ前、25年ぐらい前のことでしょうか、神戸にある竹中大工道具館を訪れたことがあります。まさに大工道具類、ノミやカンナやノコギリなどが大量に展示してありました。神戸には建築をやっている大学時代の友人がいて、阪神大震災の前までは、神戸まで遊びに行っては飲んで歩いていました。安藤忠雄の初期の作品、ローズ・ガーデンのある北野界隈とか、六甲のOLD/NEWとか、を彼の車で案内されて観て回ったりしました。竹中大工道具館へは、自分一人で行ったような記憶があります。


今年の6月頃、「藤森輝信の茶室学 日本の極小空間の謎」を読みました。藤森は「私が茶室を手がけ始めたとき、それは実に消極的なスタートだった」と語っています。この本はなかなか刺激的で、面白い本でした。そのとき、僕自身の茶室に関する思い出を、ちょっとだけこのブログに書きました。それが、以下の文章です。


昭和40年代の初め頃でしたが、清家清の「斎藤助教授の家」を施工した大工の棟梁が、中野に建てた茶室の図面を、僕はその棟梁の言われるままに書いたことがありました。茶室といっても8帖と水屋はあったと思います。たしか三菱銀行の役員の病弱の奥さんのための独立した住居として建てたものでした。その頃は建築の設計がどんな仕事なのかまったく右も左も分からず、もちろんその茶室に関しても同じでしたが、ただひたすら言われるままに図面を書いていました。そんな思い出が蘇ってきました。


また、事務所に勤めている頃は、竹中とのつき合いもそれなりにありました。和室は竹中の数寄屋大工に作ってもらうこともしばしばあり、木場まで銘木を見に何度か行ったこともありました。さすがに、第3章に出てくる中村外二、平田雅哉、水澤文次郎など、名だたる棟梁とのつき合いは僕の場合、残念ながらありませんでした。


「数寄屋」といえば、関西では村野藤吾、関東では吉田五十八です。村野は数寄屋は関西の大工の棟梁に教わったと自分で言ってました。茶色い和紙の箱入りの井上靖がまえがきを書いていた「村野藤吾和風建築集」(新建築社)のあとがきに、その極意が書いてありましたが、手放してしまい手元にありません。ホテルの茶室は村野の独壇場でした。吉田の場合は京都の棟梁に学び、新興数寄屋と呼ばれ、基本的には大壁でした。一方、吉村順三はレーモンド仕込みで、比較的カチッとした和室を作りました。吉田五十八と吉村順三は共に東京藝大で教えていたプロフェッサー・アーキテクトで、教えを受けた学生たちもはっきりと毛色が二分されていました。


展覧会の構成は、以下の通りです。

第1章 数寄屋解体新書

     数寄屋建築のつくり方

第2章 数寄のディテール

     繊細なるテクノロジー

第3章 数寄屋大工列伝

     名工が残したもの




第1章 数寄屋解体新書~数寄屋建築のつくり方~

繊細で華奢なつくりの数寄屋建築には一体どのような工夫が隠されているのでしょうか。本展覧会のために特別に製作した実物大の茶室構造模型、あるいは各種の部分模型を通して、数寄屋大工の技を解説します。

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第2章 数寄のディテール~繊細なるテクノロジー~

数寄屋の細部意匠には、選りすぐられた素材、それらを選別する棟梁の美意識、あるいは材料を丁寧かつ微細に加工する職人技など、日本の匠の技と知恵が集約されています。ここでは銘木、建具、表具、畳などについて、その素材と製作技術を紹介します。

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第3章 数寄屋大工列伝~名工が残したもの~

明治から昭和にかけて活躍した名工の作品・遺品を紹介します。取り上げるのは木村清兵衛、笛吹嘉一郎、中村外二、平田雅哉、水澤文次郎など名だたる棟梁たちです。図書や建築作品でその名を知っていても、棟梁の精神を感じ取ることが出来る実物資料を目にする機会はほとんどありません。今回の展示は、それらに触れることができる特別な機会となります。

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「数寄屋大工―美を創造する匠―」

近年「和」の建築デザインが注目を集めています。なかでも伝統の数寄屋建築は憧れの的ですが、敷居が高く難解という印象も強いのではないでしょうか。本展覧会では数寄屋建築の様々な要素を解体して、職人たちがどこにこだわり上質を追求しているのかを、数寄屋大工の視点を通して解説します。実物大の茶室構造模型をはじめとして、木組み模型、銘木、土壁、建具など職人がつくった美しく繊細な制作物、あるいは名工が用いた道具や図面など約150点の資料を紹介します。


「ギャラリーエークワット」ホームページ


とんとん・にっき-take2 竹中大工道具館巡回展

「数寄屋大工―美を創造する匠―」
展覧会図録とんとん・にっき-take1

編集・発行:公益財団法人竹中道具館

発行日:2012年8月20日









財団法人竹中大工道具館

リーフレット(展示概要)

神戸市中央区中山手通4-18-25














過去の関連記事:

ギャラリーエークワットで「森山開次展 ハコ・ヒト・ハコ 踊り・空間・映像」を観た!
ギャラリーA4で「札幌聖ミカエル教会」とアントニン・レーモンド展を観た!
「坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展」を観る!
竹中工務店東京本店
「100人の東京駅」展を観る!




ユ・ハ監督・脚本の「凍える牙」を観た!

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ユ・ハ監督・脚本の「凍える牙」を観てきました。朝日新聞8月31日の広告特集に、一面見開きで「凍える牙」の広告が載っていました。僕が映画を観るときはだいたい監督で選ぶ場合が多いのですが、ユ・ハ監督は初めて観る監督でした。


監督で選ぶ以外の場合も、もちろんあります。今回の主演ソン・ガンホは、追っかけている俳優の一人です。取り立てて美男でもないし、ほとんどが妻に逃げられた情けない男、のような感じの役が多いので、好きな俳優の一人です。「シークレット・サンシャイン」(2006)、 「渇き」 (2009)、「義兄弟」(2010)、 「青い塩」(2012)など、観ましたね。その前に 「大統領の理髪師」(2004)がありました。代表作と言われている 「殺人の追憶」(2004)を借りてこようと思っていましたが、その前に「凍える牙」を観てきた、というわけですが。「凍える牙」の相手役の女優、なんとオダギリ・ジョーと「悲夢」で共演した女優イ・ナヨンだったんですね。あのスッキリした顔立ちが僕は好きです。


「凍える牙」の原作が乃南アサだというから、これも驚きです。新聞には「ウルフドッグ/狼犬という獰猛な獣による前代未聞の連続殺人の行方と、その困難な捜査に挑む刑事達の人間模様を描き、見事、直木賞を受賞」とありました。続けて「ヒロイン音道貴子が絶大な人気を誇るシリーズ第1作目でもある」とあります。シリーズ累計230万部を超えるこのベストセラーは、2001年に天海祐希主演、2010年に木村佳乃と、2度もTVドラマ化されていたようです。いや、乃南アサの作品がTVドラマ化されていたことはまったく知りませんでした。ちなみに僕は、乃南アサの作品は一冊も読んでいません。


乃南アサの作品では主人公は女性刑事、しかし今回映画化にあたってユ・ハ監督は、原作では脇役だったが、ソン・ガンホの男性刑事にも重点をおいて脚本化したそうです。ソン・ガンホ、独特の飄々とした芸風で、行き詰まった中年男の悲哀と苦悩を見事に表現した、と新聞にありました。一方の主役、新米女性刑事ウニュン役を演じたのはイ・ナヨン、透明感のある中性的な魅力で、まさにはまり役と言える、とあります。オートバイを乗り回し、身体を張った格闘シーンも大きな見どころです。


2人の主役以外に、この映画のもう一方の主役は「ウルフドック/狼犬」です。犬でも狼でもない、どの種類にも属さないよそ者です。追ってきて、飛びかかり、のど元を食い千切ります。これが怖い。が、ウニョンを火事場から助け出したりします。ラストは、刑事達を犯人にいる場所へ道案内したりもします。ウニョンと狼犬、目と目が合ったりもします。その目のやさしいこと。


物語はありふれた話で、不可解な事件を任されたのが、冴えない中年刑事と新米女性刑事。出世競争に負けっ放しの中年刑事は、新米女性刑事のお守り役を押しつけられ、腹が立って仕方がない。ここは一発逆転を狙って手柄を独占しようと、勝手に捜査を進めます。コンビを組まされた女性刑事は、着任早々から男性社会の洗礼を受けます。相棒にはお荷物扱いされ、パワハラ、セクハラ、なんでもござれの部署でもあります。不器用な彼女は美人なのにそれは封印して、あくまでも正攻法、刑事という仕事への情熱、執念という一途さだけです。


以下、とりあえず、「シネマトゥデイ」より引用しました。


チェック:人気作家・乃南アサの直木賞受賞作を基にした、クライム・サスペンス。原因不明の人体発火事件を追い掛けるベテランと新人の刑事コンビが、犬とおおかみを交配させた“殺人犬”が絡む驚がくの真相と対峙(たいじ)していく。『マルチュク青春通り』のユ・ハがメガホンを取り、緩急自在なタッチで異様な事件の行方を活写。『グエムル -漢江の怪物-』などのソン・ガンホが、出世コースから外れた哀愁漂う中年刑事を力演する。彼とコンビを組む刑事に『悲夢(ヒム)』のイ・ナヨンがふんし、バイクを駆る迫力のアクションを体当たりでこなしている。

ストーリー:車中にいた男の体が突如として燃え上がり、車ごと全焼する事件が起きた。ベテランのサンギル(ソン・ガンホ)と元白バイ警官の新人ウニョン(イ・ナヨン)の二人が事件を担当するが、サンギルは自殺だと判断。だが、遺体に獣のかみ跡があり、腰に締めたベルトに発火装置と強い引火性のある化学物質が見付かる。さらに、被害者が麻薬絡みの犯罪者であったことを突き止めたサンギルたちは、彼の周辺を念入りに調べていく。そんな中、被害者の知人である前科者が、おおかみとも犬ともつかぬ獣に殺されるという新たな事件が起きる。


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「凍える牙」公式サイト

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LIXILギャラリーで「建築を彩るテキスタイル―川島織物の美と技―」を観た!

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LIXILギャラリーで「建築を彩るテキスタイル―川島織物の美と技―」を観てきました。LIXILギャラリーで川島織物の作品(製品)の展覧会を開くのか? もともとINAXがTOSTEMと合体してLIXILになり、川島織物セルコンがLIXILグループ入りした、ということから実現したことらしい。建築関係の関連企業が合体するのは、最近では珍しいことではありません。金融機関でさえ合体して、社名がコロコロ変わっています。ましてや・・・。


それはそれとして、「川島織物」は由緒あるファブリックメーカーです。川島織物は、緞帳や帯、そしてカーテン・カーペット類は最高の品質を誇っていましたが、いつ頃からだったか経営が傾き出しました。内井昭蔵設計の「川島テキスタイルスクール」(1973年・京都府京都市左京区)まで運営していたのですが、現在も後進の指導を行っているようです。僕は表参道にあったショールームによく行きましたが、現在は豊洲の方に移ったようです。


最近のニュースとして、川島織物セルコンは、渋谷ヒカリエ内にオープンする「東急シアターオーブ」に設置されるル・コルビジェのタペストリーを製織しました。1956年の坂倉準三設計の東急文化会館開館時に、都内最大の映画館「パンテオン」に掛けられた緞帳として川島織物が納入したモノを、1/5サイズに縮小してタペストリーとして再現したものです。

http://www.kawashimaselkon.co.jp/news/pdf/20120711_1.pdf


「建築を彩るテキスタイル―川島織物の美と技―」の企画展開催の主旨について、ホームページには以下のようにあります。


川島織物セルコンは、2011年8月にLIXILグループ入りしたファブリックスメーカーで、帯、緞帳・祭礼幕から、カーテン、カーペット、インテリア小物まで、約170年にわたり日本のファブリックを牽引してきた。これらの歴史を後世に伝えるため、発祥の地である京都には、日本で最も古い企業博物館「織物文化館」を開設しており、国内外の染織品や古書の他、今まで手掛けてきたプロジェクトや商品の下絵、試織など約16万点を所蔵している。一方LIXILでは、「文化の多様性」や「生活の文化のすばらしさ」を広く社会に伝えていくために、ギャラリーや出版活動などを継続して行っている。特に建築やアートについての情報は、LIXILが独自の視点でテーマを発掘し、発信し続けている。今回両社は、川島織物セルコンのグループ入り1年を機に、LIXILが運営するギャラリーにて、川島織物セルコンの収蔵品を通じて、テキスタイルの技術と表現が、いかに室内空間の近代化とデザインの多様性に貢献してきたかを紹介する企画展を開催する。


織物には当然のことながら「原画」が必要です。それに基づいて織るわけですから・・・。今回の「建築を彩るテキスタイル―川島織物の美と技―」の案内はがき、見てビックリ、これは誰が見ても伊藤若冲でしょう。よく見ると、綴織額「紫陽花双鶏」部分、二代目川島甚兵衛(綴織制作)、伊藤若冲(原画)、明治37年、とあります。そして今回の目玉は、というと、セントルイス万博「若冲の間」の再現模型。完成予想の室内図(内装図面・天井図・窓掛図)を描いた絹本着色の巻子をもとに制作されたもの(所蔵と写真提供は、川島織物セルコン織物文化館)です。川島織物と伊藤若冲とのつながり、これはまったくのところ予想外でした。パリ万博(1900年)に出品し、最高栄誉賞を受賞した「群犬」(試織)、これもすごいものです。


【主な展示内容】
① 国内初の企業博物館「織物参考館」のほぼ実物大のレプリカと模型
②神坂雪佳の原画による「草花文様」は、椅子張の原画と完織した窓掛をセットで展示
※大阪会場のみ
③パリ万博(1900年)に出品した「群犬」試織(最高栄誉賞受賞)
④オランダ・ハーグ平和宮殿(1913年竣工)の大壁面を飾る綴織意匠として、菊池芳文直筆の草稿画と山田耕雲が模写した「晩春初夏百花百鳥」屏風






「建築を彩るテキスタイル 川島織物の美と技」

経糸(たていと)と緯糸(よこいと)でさまざまな世界を描き出す織物。川島織物の創業は1843年(天保14年)、京都・六角室町で呉服悉皆(しっかい)業を開業したことに始まります。この時代は、明治期に押し寄せた近代化と西洋化の波により伝統産業にも変化が求められ、川島織物も呉服商から織物貿易へと事業を拡張するなどしていました。その中でも二代甚兵衞が先んじて取り組んだのが織物による空間づくりでした。本展では、主に衣服に用いられてきた染織品を、空間を彩る室内装飾に発展させた川島織物の二代目当主、川島甚兵衞(1853~1910)が手がけた多くの仕事をとおして、川島織物の美と技を35点の実資料とその他模型や写真などの関連資料からひも解きます。


展示では、まず、二代甚兵衞が手がけた国内初の企業博物館「織物参考館」(1889年)の模型と実物大レプリカをご覧いただきます。シルクスクリーンで再現した織物の壁張作品「光琳四季草花」の、大胆に図案化された花や草木の美しさと空間の迫力を体感いただきます。また、二代甚兵衞が創設した考案部の仕事より、一流の画家らが描いた原画類を間近でご覧ください。二代甚兵衞は西陣織の伝統をもとに綴織技法を発展させ、本格的な「美術織物」の製織を開始します。図案が大きなポイントとなる美術織物の製織において、図案製作を担当する考案部は必要不可欠な部門でした。さらには、海外を視野においた業績として、セントルイス万博やパリ万博、日英博覧会、ハーグ平和宮殿(オランダ)などに出展した、綴織や紋織による試織や原画類、空間を彩る調度品の図案など、往時の空間を彷彿とさせる資料が登場します。日本の織の精緻さと風合い、色彩の美しさをご堪能ください。


「LIXILギャラリー」ホームページ


とんとん・にっき-lix1 「建築を彩るテキスタイル 川島織物の美と技」

(LIXIL BOOKLET)
出版社: LIXIL出版
発売日: 2012年8月25 日

本書では、織物の用途を一気に拡大した二代川島甚兵衞の功績と、現在まで連綿と続く「ものづくり」の現場を図版豊富に紹介しながら、染織品に秘められた美と技を再考する。最大の見どころとして、今回は写真界の巨匠、十文字美信氏をカメラマンに迎え、新たな撮りおろしの図版で展開する。独特の視点で捉えられた作品や工場内風景はもとより、繊細で鮮やかな染織品の質感や表情までもくっきりと浮かび上がらせる。二代甚兵衞が研究のため国内外で蒐集した裂地や装束などの貴重な資料も登場し、国内初のショールーム「織物参考館」の試みも披露する。また、彼が尽力した事業としてセントルイス万博の「若冲の間」(明治37年)を誌上で再現。伊藤若冲による原画「動植綵絵」より15面を選び綴織で壁面装飾した幻の室内空間を展開図や古写真などで詳細にひもときながら、国内の技術と海外の趣向とを盛り合わせた日本式室内装飾の集大成を伝える。さらに、明治天皇のご休憩所「泉布観」(明治31年)、最後の大仕事としてオランダの「ハーグ平和宮殿」(大正2年)なども取り上げる。人物像や当時の時代背景、西陣という産地の特長などは、京都を拠点に活動するノンフィクション作家の菊池昌治氏が情景豊かに描き上げる。染めと織りがあやなす人の手の痕跡と技術の集積をみつめる一冊。


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「ル・コルビュジエの家」を観た!

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20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエ設計のクルチェット邸を舞台に、映像界の風雲児2人が描くシニカルな人間ドラマ。既成概念ぶちこわし、常識の壁に穴あける、遊び心とアート満載の必見映画!


ブエノスアイレスの州都ラプラタ。椅子のデザインで世界的に大成功をおさめたデザイナー、レオナルドは、妻とひとり娘と共にクルチェット邸に住んでいる。それはアメリカ大陸で唯一、ル・コルビュジエが設計した私邸。成功の証。ある朝、ハンマーの破壊音で目覚めたレオナルドは、見知らぬ住人ビクトルが、我が家へ向けて窓を作ろうと、壁に穴を開けていることを知る。「ここに余っている陽光を、ちょっと入れたいだけだ」と言う強面のビクトル。なんとか話し合いで解決しようとするレオナルド。だが、一進一退の話し合いと騒音で気持ちは乱れ、仕事はうまくいかず、妻との間も崩壊寸前。一方、ビクトルは、まるでスパイのごとくレオナルドの動向をチェックし、親しげに近づいてくる。恐れをなしたレオナルドは、ついに防犯用パニック・ボタンを設置するのだが・・・。


ま、この映画について、こんなふうにチラシの裏にあります。それにしても面白い。なにが面白いかって、この2人、レオナルドとビクトルという大の大人の丁々発止のやり取り、やり合いの一つ一つが、共に真剣なんだけど、それが逆にまた面白い。隣人との災難と家庭内不和のダブルパンチを受けるレオナルドの苦悩の表情もいいですね。だみ声で強面のビクトル、こちらもいいですね、パーティで踊ったりもして、あのすっとぼけた表情が最高ですよ。


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まあ、この映画のテーマは「隣人関係」、近くにいるのになかなか理解できないんですよね。役所の相談窓口でも、建築関係の相談事はほとんどが近隣関係のトラブルです。映画は盛りだくさんの皮肉なユーモアと、辛辣な批判に充ち満ちています。また現代アートへの皮肉もタップリ入っています。上流中産階級への辛辣な視点も入っています。斬新な切り口で社会を皮肉っているこの映画は、いや、なかなかの傑作です。指にブーツを履かせて踊るエロチックダンスは、最高!


「世界に向けられた『目』としての『窓』が内側に向けられた時」―「ル・コルビュジエの家」に向けられた目―という長いタイトルの寄稿文の中で、伊東豊雄は以下のように述べています。まず、コルビュジエの「新しい建築の5原則」と呼ばれた近代建築のマニフェストををこの小住宅にもすべて盛り込んだこと。それは「ピロティ」「ルーフ・ガーデン」「自由なプラン」「水平連続窓」「自由なファサード」の5つ。そして注目すべきは「水平連続窓」だとします。


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クルチェット邸は三方を隣家の壁で囲まれているにもかかわらず、前面や中庭の至る所に大きなガラス面を設けて、ほとんど窓という印象がないくらいに明るく透明な空間を実現しています。それに対して隣人は、この家に面した壁に小さな「窓」を開けようとしてトラブルを起こすのだが、この「窓」はクルチェット邸の大きな開口と違って、壁に穿たれた古典的な「窓」です。それを強調するように窓の周囲に木の枠も取り付けられています。


伊東は「窓」は建築にとって、外の世界に向けられた「目」であり、また逆に世界はこの目を通して閉ざされた内部に入り込んでいる、という。隣人が開けた「窓」は、クルチェット邸の小さな中庭を会してリビングルームと向き合うことになったことが、この映画の成り立つ根拠となります。「窓」の象徴性を持たない近代主義の家と、たった一つの「窓」にすべてを託そうとする古典的な家とのコントラストが鮮やかに浮かびあがってきます。透明性に満ちた開放的な家が、家族という閉ざされた存在までも危うくしかかっているところが、実に示唆的であると言えようと、伊東は結んでいます。


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以下、とりあえずシネマトゥデイより引用しておきます。


チェック:20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが設計した南アメリカ大陸唯一の邸宅クルチェット邸を舞台に、隣人とのささいなトラブルが大騒動に発展していくブラック・コメディー。成功の証に名建築に暮らす主人公が、隣家の住人が窓を作ろうとしたことから、家族の崩壊などさまざまな問題が浮かび上がってくるさまを辛らつに描く。アルゼンチンの実験映画、テレビ業界に新風を吹き込んできたガストン・ドゥブラットとマリアノ・コーン監督が放つ、シュールな笑いがさえる。

ストーリー:椅子のデザインで世界的な成功をおさめたレオナルド(ラファエル・スプレゲルブルド)は、近代建築の巨匠として有名なル・コルビュジエが設計した南米唯一の邸宅に、妻子と共に生活していた。ある朝大きな音で目覚めた彼は、隣家の住人ビクトル(ダニエル・アラオス)がレオナルド宅に向けて窓を作るべく、ハンマーで壁に穴を開けていることを知るが……。


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「ル・コルビュジエの家」公式サイト


とんとん・にっき-los6 「ル・コルビュジエの家」

発行日:2012年9月15日

編集・発行:Action Inc.










過去の関連記事:
アルゼンチン映画「ル・コルビュジエの家」の予告!



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LIXILギャラリーで「磯野迪子展」、「渋谷英一展」を観た!

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LIXILギャラリーで「磯野迪子展」、「渋谷英一展」を観てきました。今回もまた、対照的な作品です。磯野迪子は、洗濯物が干してあるマンションの外観を撮った写真を会場で写しています。一方、渋谷英一はモノトーンの流線形の器の制作です。2人の経歴が、また対照的です。磯野は海外でダンス科を卒業してから、多摩美の工芸科に入り、芸大で修士課程を修了します。表現するメディアはなんでもあり、今回は映像インスタレーションですが、ガラスを利用することも多いという。一方、渋谷は専門の学校へ行き、一旦は家業の萩焼の方向に進みましたが、その強制感が嫌になり、陶芸を辞め、25歳までは関係のないところにいましたが、結局いつの間にか祖父の元で家業を継ぐことになってしまったという。


磯野迪子展


展覧会詳細(以下、HPより)
磯野迪子の作品は洗濯物をモチーフに特定の団地やマンションを撮影した映像作品です。洗濯物の干してある建物が画面に映し出され、ゆっくりと静かに移り変わる映像は、見る者に様々な連想をさせ、心地良い余韻を残します。今回出品される作品は、「LOOKING AT WINDOWS」シリーズの新作(6分)で、2012年冬から撮影を始めた、都内某所3カ所のマンションの映像を発表します。


① 日常の穏やかなリズムが心地よい
磯野迪子の作品は洗濯物をモチーフに特定の団地やマンションを撮影した映像作品です。「LOOKING AT WINDOWS」(2012)は、大きく緩やかに揺れるシーツ、カラフルなTシャツ、今にも吹き飛ばされそうな衣類など、洗濯物の干してある建物が画面に映し出され、ゆっくりと静かに移り変わり、見るものに様々な連想をさせてくれる、心地よい余韻を残す映像作品です。そこには洗濯物だけで人物が映し出されることはありませんが、一軒一軒に個性があり、さらにそれが美しい調和を見せ、マンション全体が一つの社会のように見えてきます。そして、淡々と過ぎていく穏やかな日常を静かに感じとることができます。
② テーマは集団と個の関係性
磯野迪子は高校、大学と海外でダンサーとしてのトレーニングを受けました。帰国後、美術大学へ進み、自らの作品を制作するようになります。海外の生活を経ることで改めて、日本独自の生活習慣や文字や言語、集団と個の関係性に興味を持ち、これをテーマに制作をしています。制作方法は、何も洗濯物の干されていない状況のショットを基本に、毎日繰り返し同じ場所から撮影したスナップ写真 数千枚を、映像に繋いでいくアニメーション方式です。磯野は制作することと生活することの一体感、作品を自らの生きる世界や時代を見つめ直し、理解をする手立てとして考えています。
③ 「LOOKING AT WINDOWS」 新作公開
今回出品される作品は、「LOOKING AT WINDOWS」シリーズの新作(6分)で、2012年冬から撮影を始めた、都内某所3カ所のマンションの映像を発表します。日々の静かな暮らしを祝福するような世界観をご覧ください。


磯野迪子プロフィール

1981年生まれ、東京出身

2004年 The Juillard School ダンス科卒業

2010年 多摩美術大学美術学部工芸学科卒業

2012年 東京藝術大学美術研究科先端芸術科修士課程修了


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渋谷英一展


展覧会詳細(以下、HPより)
山口県で萩焼を制作してきた渋谷英一が、2010年からつくり始めた独自の世界。うつわのかたちにモノクロームで表現した流水の曲線が、自然の情景をイメージさせるモダンな作品です。本展覧会では、開催のために作られた新作4点を発表します。


① 情景をイメージさせるモダンなうつわ
渋谷英一の作品は、大きく塗り分けられた白と黒の釉薬がモダンな印象を与える大ぶりのうつわです。 1点の直径は50~70cm、すぼまった足元から口縁へ広がる逆円錐形で、大らかな安定感をもちながらも軽やかです。パウダースノーのような純白から、光を吸収する漆黒へのグラデーションも繊細で、モノクロームの美しさが、見る者に大自然に対するような壮大なイメージを抱かせる作品です。
② カチカチ山の泥舟から
渋谷英一は山口県萩焼きの窯元に育ち、これまで日々伝統的な陶芸作品を制作してきました。幼少から土に親しみ、様々なかたちを掌中に収めてきましたが、自らが親になって改めて読んだ民話カチカチ山の中に登場する泥の舟はどのようなものだろうかと思ったのがきっかけで、2010年やきもので泥の舟を制作します。その作品は白波のような白を下部に、泥を映したような黒色を上部に、開口部が流線型にうねる波頭をデザインしたものでした。そこから波のかたちを追求する新しい世界が生まれました。このシリーズで2011年には長三賞常滑陶芸展第30回記念大賞を受賞しました。
③ 「黒彩器」シリーズ 新作発表
渋谷は自然に親しみ、山紫水明や静寂を日本の美意識と作品に反映させながらも、同時に都会の夜景の光と影にも日常的に魅かれています。そうした複数の視点が「黒彩器」に豊かなイメージを与え、見る者を惹きつけます。流れる清流や深雪を被って屹立する大山の雄姿のようなモノクロームの世界です。今展では新作4点を展覧します。


渋谷英一プロフィール

1979年 山口県生まれ

2004年 祖父に師事



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「LIXILギャラリー」ホームページ


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「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」展のご案内

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「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」展の案内がきました。この展覧会、行こうと思っていただいた割引券を、忘れることがないように壁に貼っておきました。そこへ届いたのが今回の案内。ルオーの作品を数多く所蔵していることで知られている「パナソニック汐留ミュージアム」で、10月6日(土)から開催されます。なんとタイトルが「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」で、チラシには「享楽のパリで、サーカスを愛した男」とあります。


ルオーといえば、道化師やキリストをモチーフにして悩める人びとの姿を、黒の輪郭線や濃厚に塗り重ねられた絵の具などで、数多く描いたことがよく知られています。美術史家の柳宗玄によれば、最初にルオーに関心を示した日本人は梅原龍三郎であり、ルオーと早くから親交を結び、その傑作を日本にもたらしたのは福島繁太郎で、その収集はブリヂストン美術館に入り、ルオーの傑作を数多く集めてきた清春白樺美術館や、「キリストの受難」の油絵の連作その他を所蔵する出光美術館があるという。そして、今まで日本で開催されたルオー展は30回を下らないという。


僕の「ルオー体験」を調べてみると、ブログを書き始めてからは2008年の出光美術館で観た「没後50年ルオー大回顧展」があり、また、2011年のパナソニック電工汐留ミュージアムの「ルオーと風景 パリ、自然、詩情のヴィジョン」がありました。それらを読んでみると、当時の「松下電工NAISミュージアム」の開館記念展「ジョルジュ・ルオー――未完の旅路」の図録もあり、観ていたことがわかりました。2003年4月から2003年6月にかけて開催されてました。開館第2弾は「建築と風景の関わり 西澤文隆実測図展」で、観に行った記憶があります。


ここで告白すれば、ルオーは僕の中では一番苦手な画家の一人でした。ブリヂストン美術館の「郊外のキリスト」(1920-24年)や「ピエロ」(1925年)を観て、少し理解できるようになりました。出光美術館で「没後50年 ルオー大回顧展」を観ても、まだ理解できたとは言えませんでした。でもその頃からです、少しずつルオーの作品を理解できるようになったのは・・・。なにがって、ルオーの作品の多様性がわかりつつあったからです。絵の具の厚塗りの、黒い輪郭線のキリストの顔だけではないのです。


「未完の旅路」の図録をみると、「流れる星のサーカス」と題したルオー自身の詩文にルオー自らが挿絵をつけた詩画集が出ていました。サーカスの主題はルオーが最も好んだもので、道化師や踊り子を30代の始めから繰り返し描いてきたという。図録で解説をしている高野禎子は、「道化師―それは私だ、我々だ。ほとんどすべての人間が多少なりとも道化師である。豊かな金箔つきの衣裳をまとう私たちも、もし誰かが本当の姿を知ったなら、丁度私があの老いた道化師を見たように憐憫の情を抱くだろう」と、ルオーは言ったという。今回、道化師、芝居の呼び込み、曲芸師、踊り子、女曲馬師などサーカスを着想源としたルオーの作品が観ることで、ルオー絵画の本質を見ることができそうで、今から楽しみでもあります。


展覧会概要
ジョルジュ・ルオーの絵画作品の中で、サーカスのテーマは全体の3分の1を占めています。美術史全体においても、一人の画業の中でサーカスがこれほど大きな割合で取り扱われたことはないでしょう。ルオーは道化師を中心にサーカスにまつわる多様な人物像を描き、誰よりも優れた「道化師の画家」と呼ばれました。ロートレックやピカソなど近代画家の誰もがこの主題を取り上げるなか、ルオーがこのテーマを追及した理由は彼らとは全く異なります。彼は場末の市にかかる安サーカスや、うら哀しい旅回りのサーカスの特別に心を寄せ、その哀切さを通して人間本来の姿を暴き出そうとしました。「われわれは皆、道化師なのです」と自身が語るように、彼らは罪深い社会で苦悩する人間を象徴する存在であり、彼らを描くことは人間の背負う苦悩や絶望を問いただし、またそうした世だからこそ求められる恩寵や愛を描き出すことだったのです。本展では、パリのルオー財団の特別協力により、サーカスを着想源にしてルオーが描いた初期から晩年までの重要な版画と絵画が一堂に終結します。また、ルオーが実際に見たサーカスのポスターやプログラム、当時の新聞や絵葉書などの貴重な資料も初公開されます。19世紀末から20世紀初頭のサーカスやキャバレー文化を老いながら、ルオーの思想とサーカスとの接点を探り、ルオーがこのテーマを繰り返し描くことでなにを表現したかったのかを解き明かす展覧会です。


展覧会の構成
第1幕 悲哀-旅回りのサーカス 1902-1910年代
第2幕 喝采-舞台を一巡り 1920-30年代
第3幕 記憶-光の道化師 1940-50年代


出品作品に一部



展覧会名:「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」展
開会期日:2012年10月6日(土)~2012年12月16日(日)
開館時間:午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで)
休館日:毎週水曜日
入館料一般:800円 大学生:600円 中・高校生:200円 小学生以下:無料
65歳以上の方で年齢のわかるもの提示:700円
20名以上の団体:各100円引(65歳以上は除く)
障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで:無料
会場: パナソニック汐留ミュージアム
住所: 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
公式サイトhttp://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/121006/


とんとん・にっき-rou5 ルオー財団特別企画展

「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス」展

割引券

















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東洋文庫ミュージアムで「ア!教科書で見たゾ」展を観た!

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始めて行ってきました、「東洋文庫ミュージアム」へ。「東洋文庫 」のホームページを見ると、以下のようにあります。


東洋文庫は東洋学の研究図書館です。三菱第三代当主岩崎久彌氏が1924年に設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館であり、世界5大東洋学研究図書館の一つに数えられております。その蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊であり、内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他アジア言語(韓・越・梵・イラン・トルコ・アラビア語等)10%です。


いや、すごいですね。ゆっくり見たいですね。さすがは「世界5大東洋学研究図書館」といわれるだけのことはありますね。見せ場はなんと言っても、約2万4千冊の本がずらりと並ぶ「モリソン書庫」ですね。こんなにたくさんの本を、こんなに美しく飾っているのには、驚きました。僕が見た図書館では、エール大学の「ベイネック図書館」、SOMのゴードン・バンシャフトが設計したものですが、大理石を通しての光と、貴重な古文書や稀本が輝いていました。これは世界で一番美しい。が、「モリソン書庫」も、負けてはいません。初めて見ましたが、この展示収納は圧巻です、驚きました。


今回は「ア!教科書で見たゾ」展、教科書には東洋文庫の所蔵品が多数掲載されています。「話では知っているが見たことは無い」という歴史的なできごとにかかわる図・絵・書物が展示されていました。たしかに目で見ると「アッ、これだったのか」と、すぐにわかります。他にも見るべきものが目白押しです。杉田玄白訳の「解体新書」と、その原本が並んで展示してあります。東洋文庫最古のお宝「甲骨卜辞片」(漢字のルーツ)もありました。また、「東方見聞録」のコレクション、これだけ一堂に揃えば、世界一間違いなしです。「国宝の間」も必見です。






「ア!教科書で見たゾ」





「東洋文庫ミュージアム」ホームページ


日本最大の本のミュージアム「東洋文庫ミュージアム」がオープン



たばこと塩の博物館で「江戸の判じ絵」を観た!

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たばこと塩の博物館で「江戸の判じ絵―これを判じてごろうじろ」を観てきました。たばこと塩の博物館へ行ったのは、どうしてか久し振りのことです。「判じ絵」「判じ物」とは、「絵」を判じて(解く・推理する)答えを導き出す「目で見るなぞなぞ」のことをいう、とあります。たばこと塩の博物館では1999年に、同じテーマで展示を実施してなかなか好評だったので、今回第2弾となったようです。一つ一つ観ていくと、確かに面白いことは面白い。ユーモアやウィットに富んでいて、ユニークで、なかなか高度な隠し味が随所にあります。


が、しかし、今回は小さいながらも展示物も多くて、けっこう忍耐力がいります。今回展示されたものを全部丹念に観ることはとてもできません。要所要所を探して、絵的なものだけを、サラッと観てきました。元々僕は、こういう分野が苦手で、テレビのクイズ番組もほとんど観たことがありません。クロスワードパズルや、最近は数字合わせなど、「脳トレ」というのでしょうか、懸命にやっている大人を見かけますが、僕にはとてもできません。頭が悪いせいでしょうか? はたまた、忍耐力がないせいでしょうか?



以下、ホームページより


判じ絵の読み方

「判じ絵」は“目で見るなぞなぞ”です。問題の答えの読みを一字一字バラバラにし、その字を絵で表記しているため、描かれた絵と答えとなる言葉には、まったく関係がありません。しかし、実は「判じ絵」の読み方には、いくつかの決まりごとがあるのです。ここでは、主な決まりごとについて、その特徴ごとにご紹介していきます。これらの決まりごとを理解していれば、きっと「判じ絵」の世界を楽しんでいただけることでしょう。実際の「判じ絵」を、ぜひ、解いてみてください。


判じ絵を読み解く

「しゃれ」:音読みと訓読みの“読み”の違いを活用し、“しゃれ”を利かせた手法。同じ音で違う意味を表す、同音異義語を利用して絵で読ませます。
「文字抜き」: 絵の一部が欠けている、または消えている場合は、その部分の音は省いて読みます。
「逆さ読み」: 絵が逆さまに描かれていたら、その絵の音を逆から読みます。
「濁点(゛)と半濁点(゜)」:絵に濁点「゛」があったら、その部分の音には濁点を付けて読みます。同様に半濁点「゜」があったら、その部分の音を「ぱ」「ぴ」「ぷ」などと、はねて読みます。
「ありえない姿、ようす」:判じ絵独特のルールでは、人間のような動物や、普段の生活では絶対に見られないような、突飛なようすが絵になることもあります。
「決まった読み方」:判じ絵には昔からの決まりごととして、“この絵が出てきたらコレ”と、決まった読み方をする絵がいくつかあります。


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「江戸の判じ絵―これを判じてごろうじろ」

「絵」を判じて(解く・推理する)答えを導き出す「目で見るなぞなぞ」を「判じ絵」「判じ物」といいます。もともとは、ことば遊びの一種で、近世以降に流行を繰り返し、次第に形が整えられていきました。幕末には、問題の答えとなる言葉を、まず音節(音・単音の読み)に分解し、ばらばらになった音を任意に再結合するなどして、異なる意味の単語を作りだす形式の判じ絵が大流行しました。例えば、象と金太郎の上半身の絵を「ぞう」「きん」と読み、雑巾という答えにまで判じるようなことです。江戸時代の人々は、こんな視覚的ななぞなぞを身近に楽しんでいたのです。たばこと塩の博物館では、1999年に、同じテーマで展示を実施しました。この展示は、判じ絵だけを紹介した初めての企画で、高い評価を得ることができました。その後、出版物やテレビなどでも作品が取り上げられる機会が増加し、判じ絵の認知度も上がったようです。今回は、前回の成果をもとに、新たな作品を多く加えて、より一層楽しんでいただけるように企画いたしました。現代人には、ちょっと難しい問題も少なくありませんが、解けた時の達成感と、その仕掛けのばかばかしさは病み付きになります。皆さんも、愉快な絵の問題を判じるひとときを過ごしてみませんか?


「たばこと塩の博物館」ホームページ


《クイズ!》目で見るなぞなぞ「判じ絵」で江戸時代の人たちと知恵くらべしようか


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大江健三郎の「定義集」を読んだ!

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今年の第6回大江健三郎賞受賞は、綿矢りさの「かわいそうだね?」(文藝春秋2011年10月刊)でしたが、大江健三郎と綿矢りさの公開対談が選に漏れて参加することはできませんでした。第1回の長嶋有から第5回の星野智幸まで連続して参加できたのでがっかりしました。そんなわけで、毎年連続して5回、大江さんのお顔を見ることができました。また、世田谷文学館で開催された「知の巨匠加藤周一ウィーク」でも、大江さんの話を聞くことができました。


僕と大江健三郎の本との出会いについて、個人的にならざるをえませんが、ここに書いておきます。今から40数年前、西荻窪の善福寺にあるSさんの家に遊びに行きました。Sさんは大学を出たばかり、僕は高校を出たばかり、つまりSさんと僕は4歳違いでした。Sさんの家は木造2階建て、南側には広い芝生の庭が広がり、典型的な東京郊外の中流のお宅でした。どうしてSさんの家に遊びに行ったのか、今となっては思い出せませんが、2階のSさんの部屋の本棚から、どれでも好きな本を持っていっていいということになり、僕は大江健三郎の文庫本数冊、たしか「奇妙な仕事」「飼育」「死者の奢り」「芽むしり仔撃ち」などが入っていたような記憶がありますが、その他の本もあったと思いますがいただいて帰り、それから大江健三郎を読むようになりました。それがきっかけで、大江健三郎×江藤淳編集の講談社刊「われらが文学」という全集を購入するようになり、僕は戦後文学を読むようになりました。


ここにわざわざ書いたのは、大江健三郎と伊丹十三との出会いが「定義集」に多く書かれているからです。四国の松山高校で2人は出会い、「きみはおもしろいやつだ。友達になろう」と伊丹が言い、大江にフランス語を教えることを思いつき、まず大江に一冊の本をあっさりくれます。それはアルチュール・ランボオの詩集で、その詩集を伊丹は諳記していて、それをテキストにフランス語を大江に教えたという。こんなによくできる高校生がいるものかと大江は感心します。大江がフランス文学者の渡辺一夫の岩波新書(「フランスルネサンス断章」)が面白いことを発見しこの人に習おうと思い立ったのですが、その学者が東大仏文の先生だと言うことを教えてくれたのは伊丹だったという。大江は自分の一生で一番よく教わったのは、まず伊丹君からだった、と告白します。大江は伊丹の妹と結婚します。


実はこの辺は「読む人間」(集英社文庫:2011年9月25日第1刷)に書いてあるのですが、「読む人間」は、第1部は2006年6~12月に毎月1回、ジュンク堂書店池袋本店で行われた講演をものに作成されたもの、従って基本的には話し言葉で書かれています。第2部はやはり講演を元にしたものですが、「後期のスタイルという思想」と「読むこと学ぶこと、そして経験」からなっています。ここで取り上げた「定義集」(朝日新聞出版:2012年7月30日第1刷発行)と、多くの部分で重なっているからです。つまり相補的な関係ということになります。「定義集」は、2006年4月から2012年3月まで、月に1回、朝日新聞朝刊の文化面に連載されたものです。


僕は新聞ではだいたい半分ぐらいは読んでいるかなと思っていましたが、「定義集」を全部通して読んでみると1/3も読んでいなかったことがわかりました。全部で72回、「現地の外からも耳を欹(そばだ)てて」に「あの11日」とあるので、3月11日の東日本大震災以前が60回、以後が12回になります。そこでがらりと変わったのではなく、大江の書かれたものは一貫しています。大江の難解な文章なので、けっこう読むのに時間がかかりました。文学者らしく「新しく小説を書き始める人に」という5項目もありますが、沖縄や広島の原爆、第五福竜丸の水爆経験、核兵器廃絶や原発問題、同時進行していた沖縄の「集団自決」裁判、結果としての勝訴、「九条の会」の運動、等々。渡辺一夫、加藤周一、武満徹、エドワード・サイード、ドストエフスキー、魯迅、レヴィ=ストロース、井上ひさし、たち。


「定義」することについて大江に影響を与えたのは、建築家原広司です。かれは世界の集落調査を徹底して行い、歩き・見つめ・考えたものの集積を、「集落の教え100」(彰国社)という本にしています。例として、大江は原の「飛び火現象」を取り上げて、「遠く離れたところで、似たことが考えられ、似たものがつくられている。同様に、遠い昔に、いま考えられていることを誰かが考えた」とまとめているといいます。原広司の定義を引用して書かれたものに、いま手元にないのですが、たしか「新しい文学のために」(岩波新書:1988年)があります。ちなみに大江のふるさと、内子町大瀬の「内子町立大瀬中学校」は、原広司の設計によるものです。


大江は「定義について」以下のように書いています。

私は若い頃の小説に、障害を持ちながら成長してゆく長男のために、世界のありとあらゆるものを定義してやる、と「夢のまた夢」を書いています。それは果たせなかったけれど、いまでも何かにつけて、かれが理解し、かつ笑ってくれそうな物ごとの定義をいろいろ考えている自分に気がつきます。しかし私が「定義集」の全体で自分の大切な言葉として書き付けたのは、中学生の習慣が残っている、まず本でなり直接になり、敬愛する人たちの言葉として記憶したものの引用が主体でした。


内容紹介
2006年から2012年まで、朝日新聞に好評連載されたエッセイの単行本化。ノーベル賞作家は、中学生時代から老年の今日にいたるまで、人生の習慣としてさまざまな言葉を読み、そして書き写してきた。本書は、なかでも忘れがたい言葉の数々を、もう一度読み直す。たとえば、フランスの哲学者であるシモーヌ・ヴェイユの「どこかお苦しいのですか?」。知的障害のある息子との暮らしのなかで、著者は常にこの言葉に支えられてきた。不幸な人間に対して、好奇心だけではなく、注意深く問いかける。あるいは、徳永進医師との対話で、鶴見俊輔が語った「まなびほぐす」。知識は覚えただけでは身につかず、それをまなびほぐしたものが血となり肉となる。小説家も教育や臨床の現場ではないけれど、言葉で「学び返す」「教え返す」という同じ作業をしているのだ。ほかに『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャが病気で亡くなったイリューシャの葬儀で話した「しっかり憶えていましょう」、ヴァレリーの「精神の自由と、せんさいな教養が、子供への押しつけで壊される」、魯迅の「不明不暗の『虚妄』のうちに命ながらえる」、そして源氏物語の一節から、チェルノブイリ原発事故の小説まで――六十数年、言葉を手がかりにして思索を積み上げてきた作家の、評論的エッセイの到達点。


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