茨城県近代美術館で企画展「聖なるものへ ひそやかな祝祭」や、常設展「日本の近代美術と茨城の作家たち」を観てきました。そのなかで茨城県近代美術館所蔵の中村彝の作品のほとんどを観られたのはほんとうにラッキーでした。観ることができなかったのは「カルピスの包み紙のある静物」だけだったように思います。この作品は茨城県近代美術館の目玉作品で、もちろん過去に何度か観てはいますが・・・。
水戸市寺町(現在・金町)に生まれた中村彝は、明治の終わりから大正期にかけて活躍した洋画家です。若くして肺結核を患って以来、病床にあっては画想をめぐらし、小康を得ては作画を続けるといった繰り返しの日々でしたが、大正13年、わずか37歳で生涯を終えました。
短い画業にもかかわらず、レンブラント、セザンヌ、ルノワールなどの影響を受け、西洋絵画を自己の内に咀嚼しながら晋の芸術を求め続け、「エロシェンコ氏の像」(1920年・重要文化財・東京国立近代美術館蔵)、「髑髏を持てる自画像」(1923年・大原美術館蔵)など、日本の近代絵画史に優れた作品を残しています。
2003年に茨城県近代美術館で開催された「中村彝の全貌」の図録によると、中村彝の生涯は以下のように4期に分けられます。
1907-1911年 画家としての出発
1912-1915年 中村屋サロン
1916-1922年 闘病、下落合のアトリエ
1923-1924年 生命、燃え尽きるまで
茨城県近代美術館蔵の中村彝の作品
画家後半期に制作活動の舞台となったのは、大正5年、現在の東京都新宿区下落合に建てられたアトリエでした。彝の念願により出来上がったこの建物は、敷地の南側に庭が設けられ、寝室を兼ねた四畳半の居間、北窓から柔らかな自然光が射し込む画室、身の回りの世話をしていた岡崎きいが起居したという三畳間などから成る瀟洒な洋風建築になっています。このアトリエは昭和63年、茨城県近代美術館の開館を機に、中村彝会をはじめ彝を慕う方々のご協力を得て、故郷である水戸の地にほぼ当時の洲肩で新築復元されました。室内に展示された数々の遺品からは、今なお画家の生活や創作の様子がしのばれます。
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