横浜美術館で、岡倉天心生誕150年・歿後100年記念「横山大観展 良き師、良き友」(前期)を観てきました。観に行ったのは10月16日(水)、ほぼ一ヶ月近くも前のことでした。チラシを見ると「師・岡倉天心、そして紫紅、未醒、芋銭、渓仙。彼らとの出会いが、巨匠“大観”を生んだ」とあります。
「横山大観展 良き師、良き友」のチラシを見ると、ともに大観の代表作である、上に「夜桜」、下に「秋色」が使われています。展示は「夜桜」が後期、「秋色」が前期に展示されます。「夜桜」は1931年にローマで開催された「日本美術展覧会」に出品されたもの。大倉集古館で何度か観ていました。冨田渓仙の「祇園夜桜」という作品を大観が気に入り愛蔵していたという。「夜桜」は「祇園夜桜」に想を得て描いたといわれています。
「秋色」は観た記憶がなかったのですが、栃木県立美術館で開催された「大正期、再興院展の輝き~大観・観山・靫彦・古径・御舟~」を思い出して、その時の図録をみたらなんと「秋色」1917(大正6)年が出ていました。再興第四回院展とありました。横浜美術館で観たときは、どこで観たのか、まったく思い出せませんでした。「秋色」は、琳派学習のあとが見える、といわれています。
大観の作品について、もっとも纏まって観たのは明治神宮文化館宝物展示室で観た「横山大観展」でした。前期と後期に分かれていましたが、山下裕二さんの講演と併せて、よく理解できた展覧会でした。最近では、五島美術館のコレクション展「近代の日本画」で観た大観の作品は充実していました。また、足立美術館の所蔵品も大観の作品は数も多く、やはり充実していました。
大観の最高傑作は何かと聞かれたら、たぶん「生々流転」(重要文化財)と答える方が多いと思います。東京国立近代美術館の所蔵で、「美術にぶるっ!」に出されていましたが、その後、茨城県立近代美術館の「二年後。自然と芸術、そしてレクイエム」で再度観ることができました。その時は巻物は全部開いて展示してあり、そして学芸員の指導で、巻物の見方として、巻物を手にとって肩幅に開いて観ることができました。もちろん手に取ってみたのはレプリカ(模造品)でしたが・・・。
大観の「瀟湘八景」(重要文化財)は、第6回文展に出品されたもの。瀟湘八景とは、中国湖南省洞庭湖で合流する二つの河川瀟水と湘水の名勝を季節と絡ませながら描く古典的画題。大観は「遠浦雲帆」「瀟湘夜雨」「烟寺晩鐘」「山市晴嵐」「漁村返照」「洞庭秋月」「平沙落雁」「江天暮雪」として制作しています。作風は色彩も明るく、伝統的な水墨山水画の趣とは異なり、独自の新しい感覚の作品となっています。
大観の「千ノ與四郎」は、講談社野間記念館所蔵のもの。僕は何度か、野間記念館で観ることができました。千ノ與四郎は利休がまだ利休と名を変えぬ前の少年時代、道陳の紹介で茶人武野紹鷗の許へ入門させた、その時に紹鷗は利休を座敷へ上げず、直に庭の掃除を命じて、彼の奇才を試みたところ、利休は掃き清めた庭へ樹を揺すって桜紅葉を落とし一味の閑寂さを添えたので紹鷗が大いに感じたという逸話からきています。
岡倉天心:1863(文久2)年~1913(大正2)年
福井藩横浜商館の下級藩士の家に生まれる。東京美術学校の設立に貢献し、日本美術院を創設した。文明評論として英文による「茶の本」「東洋の理想」「日本の覚醒」を著した思想家であり、近代日本における美学・美術史研究の開拓者である。
横山大観:1868(明治元)年~1958(昭和33)年
水戸藩士の長男に生まれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)一期生となり、岡倉天心に出会い、橋本雅邦らに学ぶ。やがて芸術の無限の広がりを追うスケールの大きな作風を築いた。また明治・大正・昭和にかけて画壇を牽引する中心的存在であった。
小川芋銭:1868(明治元)年~1938(昭和13)年
幼少から慣れ親しんだ茨城県牛久沼の自然や、河童やカワウソなど湖沼に戯れる生き物の世界を水墨や淡彩で自由闊達に描いた芋銭。「肉案」は第三回珊瑚会展に出品中に大観が興味を示し、日本美術院同人に推薦されるきっかけとなった作品。
小杉未醒(放菴):1881(明治14)年~1964(昭和39)年
渡仏中に見た池大雅の画帖に誘発され、洋画から日本画へと傾倒した未醒。大観とは日本美術院洋画部の創立や多くの合作制作など、生涯を通じて深く交流した。「列仙屏風」は老婆に頼まれ仙薬を挽き続けるなどして、やがて仙人となった裴航(はいこう)の物語を描く。
今村紫紅:1880(明治13)年~1916(大正5)年
革新的な構図や描法、鮮麗な色彩表現で新しい日本画の創造を目指した紫紅。大観とともに日本美術院再興に尽力し、明治・大正期の日本画壇をリードした。「熱国之巻」はインド旅行の青果を鮮やかな色彩と点描で表現した紫紅の最高傑作のひとつ。
冨田渓仙:1879(明治12)年~1936(昭和11)年
奔放な筆致と鮮やかな色彩で、新南画を描く個性的作家の一人として評価された渓仙。「祇園夜桜」は大正10年の日本美術院米国巡回展に出品。大観がとても気に入り愛蔵するところとなった。名作「夜桜」はこの作品に想を得て描いたとされる。
岡倉天心生誕150年・没後100年記念
「横山大観展 良き師、良き友」
近代日本画壇を代表する巨匠・横山大観は、良き師・岡倉天心から薫陶をうけ、大正期に共に歩んだ良き友4人、今村紫紅、小杉未醒(放菴)、小川芋銭、冨田溪仙との交流から、作風を飛躍的に発展させました。天心は横浜生まれの思想家で、大観は天心が創設に関わった東京美術学校に第一期生として入学。天心が同校長職を追われた際には、師の目指す理想に共鳴し、日本美術院の創立に参画、新たな絵画の創出に邁進しました。大正2年に天心が没すると、大観は日本美術院再興の先頭に立ちます。制作においては「朦朧体(もうろうたい)」を脱し、東洋趣味の水墨表現、大胆な色彩表現や構図、形態のデフォルメなどに取り組み、のびやかな明るさをもつ作品を生み出しました。その背景には、革新的な描法や構図を示した紫紅、線の片側をぼかして物のボリューム感を出す「片ぼかし」の技法をもたらした未醒(放菴)、陽気な気分や飄逸さをたたえて特有の自然観を表す芋銭、南画的傾向と装飾性を融合させた溪仙、これら個性豊かな画家たちとの交流があったのです。4人は制作だけでなく、一緒に旅行し、酒を酌み交わし、語らう仲間だったのです。本展では、彼ら「良き師」「良き友」との関わりを読み解きながら、約140件の作品で明治から昭和初期までの大観芸術の魅力に迫ります。
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