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パナソニック汐留ミュージアムで「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」を観た!

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ルオーについては、ブリヂストン美術館の「郊外のキリスト」と「ピエロ」の2点が、僕のルオーの始まりです。ルオーのまとまった展覧会は、パナソニック汐留ミュージアムの前身、パナソニック電工汐留ミュージアムの時代から何度となく観てきましたし、また出光美術館でもみたことがありました。


今、ブリヂストンの図録をみていたら、モローの「化粧」という小さな作品があったことが分かりました。先日も横浜美術館でモローの「岩の上の女神」という、これも小さな作品ですが、ガラスが反射してうまくとれなかったのですが、写真を撮ったのを思い出しました。まとまってモローの作品を観たのは、2005年9月にBunkamuraザ・ミュージアムで観た「ギュスターヴ・モロー展」でした。作品のほとんどはパリにある「フランス国立ギュスターヴ・モロー美術館」所蔵の作品でした。モローの死後、モロー美術館の館長を務めたのがその弟子であるルオーでした。


何も知らなかったその時の僕は、高階秀爾の「近代絵画史」(中公新書)を読んで、ギュスターヴ・モローは晩年「マティスやルオーなどフォーヴの画家たちを育て上げた教育者」とあったので、奇異に感じたことがあります、と書いていました。また、以下のようにも書いていました。モローの絵は画像は明確ですが、画家のメッセージは難解です。死を描き、エロスにこだわります。社会通念から逸脱した退廃的なテーマです。そのための素材を、神話や伝説、聖書や文学に求めます。モローは母親との癒着が強い、極度に夢想的な男だったと言われています。そうした彼が、女性に対する男性の幻想をロマンチックに描きます。「出現」や「エウロペ」、そして執拗に描いた「サロメ」から、女性が強くなりつつある19世紀後半の社会を見ることができます。


今回の「モローとルオー展」、汐留ミュージアムの開館10周年記念展です。僕が観に行ったのは9月10日、開館3日目でした。忘れていたわけではないのですが、書くのがズルズルと遅くなってしまいました。モローとルオーの作品の共通性に焦点を当てた展覧会で、それほど広くない会場ですが、その展示会場の構成は見事でした。導入部であるモローのアトリエから始まり、「幻想と夢」に至る流れは、非常に分かり易かったと思います。特に「聖なる表現」の箇所、八角形のスペースにモローとルオーの作品を混在させた相乗効果を発揮させる展示は、素晴らしかったと思います。


過去の僕の記事を見ると、河原錠一郎の「世紀末美術の楽しみ方」(とんぼの本:1998年11月20日発行)

がたびたび出てきます。今から15年も前の本ですが、世紀末美術の入門書としては、これ以上のものは今のところ見当たりません。その序章にモローの「ユピテルとセメレ」(モロー美術館所蔵)が、ルドンの「オフィーリア」(岐阜県美術館所蔵)とともに取り上げられています。他にも、モローの名を一気に高めた作品「オイディプスとスフィンクス」(メトロポリタン美術館)も、そして水彩の傑作「出現」(モロー美術館)もあります。


こうなると是非とも一度は行ってみたいのが「モロー美術館」です。パリのギュスターヴ・モロー美術館は、モローが住宅兼アトリエとして使っていたところを、1898年の死去に際し、自宅建物と膨大なコレクションを国家に遺贈して美術館として生まれ変わった世界初の個人画家の美術館です。ここには約14,000点もの驚くべき数の油彩画、素描、資料類が遺されています。展示室は、作品が壁中を覆い尽くすように展示されており、夥しい数のデッサンや水彩画も閲覧できるようになっています。


ギュスターヴ・モロー Gustave Moreau(1826-1898)
フランス象徴主義の画家。パリで建築家の父と音楽家の母のもとに生まれ、18歳で画家に弟子入り、20歳で国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。在学中に2度ローマ賞に応募するも落選。それを機に退学したが政府からの発注やサロン、パリ万博への出品など制作と発表の機会は多かった。31歳の時に私費でイタリアに滞在して、各地を移動しながら名作を模写して研鑽を積む。帰国後はイタリアで身に付けた様式を自作に反映させ、サロンへの出品を続ける。1888年美術アカデミー会員となり、1892年にかつて学んだ美術学校の教授に就任し、ルオーやマティスらを指導した。


ジョルジュ・ルオー Georges Rouault(1871-1958)
フランス20世紀を代表する画家。パリの下町ベルヴィルで生まれ育つ。幼少期に落書きを見た祖父が将来画家となることを予言。14歳でステンドグラス修復職人に徒弟奉公に出る。19歳で国立美術学校に入学。21歳の時からギュスターヴ・モローに師事。美術学校では特に優れた生徒として、在学中2度に渡りローマ賞に挑戦するが受賞を逃す。27歳の時にモローが死去し、ボザールを退学する。1902年モローの自宅は美術館となり、ルオーは初代館長に就任。1917年に画商ヴォラールと専属契約を締結。ヴォラールのもとでは絵画だけでなく、多数の版画集を制作、出版する。1940年代以降は欧州各地、アメリカで回顧展が多数開催される。死去に際しては政府による国葬が執り行われた。


展覧会の構成は以下の通りです。


・ギュスターヴ・モローのアトリエ

・裸体表現

・モローとルオーの往復書簡

・聖なる表現

・マテェールと色彩

・特別セクション幻想と夢



モローの作品



ルオーの作品


19世紀末パリ―。“美しき師弟愛”の物語。
象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826-1898)。国立美術学校の名教授としてマティス やマルケなど多くの画家を育てたモローが最も愛した生徒がいました。後に20世紀最大の 宗教画家と呼ばれるジョルジュ・ルオー(1871-1958)です。モローはルオーの才能を見抜き、 熱心に芸術上の助言を与えました。ルオーはマティエールや内的ヴィジョンへの感覚を師から 受け継ぎ、やがて自身の作品の中で我がものとしていきます。「我が子ルオー」「偉大なる父」と彼らの往復書簡の中で呼び合う二人の間には、師弟を超えた 特別な絆がありました。モローは遺言によりルオーをモロー美術館初代館長に任命し、自分 亡き後も愛弟子を導き続けます。ルオーはモローへの感謝を生涯忘れることはなく、精神的な 父としてのその存在は彼の芸術と人生に深い影響を及ぼしたのです。汐留ミュージアム開館10周年を記念する本展は、ギュスターヴ・モロー美術館館長監修により企画 され、パリに先駆けて開催される世界初の二人展です。モロー晩年の未公開作品やルオーの美術学校時代の作品など日本初公開を多く含む作品がフランスからやってきます。油彩画、素描、 書簡など約70点を通して、モローとルオーの芸術と心の交流の軌跡をたどる貴重な展覧会です。

「パナソニック汐留ミュージアム」ホームページ


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