川上未映子の「愛の夢とか」(講談社:2013年3月29日第1刷発行)を読みました。発売と同時に購入しておいたのですが、読むのが遅くなって、それでも8月のはじめには読み終わっていたのですが、ブログに書けないまま時が過ぎ、再度読み直してこのブログを書いています。川上の作品を読むのは「すべて真夜中の恋人たち」以来、2年ぶりです。そうこうしているうちに、「愛の夢とか」が第49回谷崎潤一郎賞を受賞したというニュースがありました。
川上未映子:略歴
1976年8月29日、大阪府生まれ。2007年、デビュー小説「わたくし率イン 歯ー、または世界」が第137回芥川賞候補に。同年第一回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞受賞。2008年、「乳と卵」(文藝春秋)で第138回芥川龍之介賞を受賞。2009年、詩集「先端で、さすわさされるわそらええわ」(青土社)で第14回中原中也賞受賞。2010年、長篇小説「ヘヴン」(講談社)が紫式部文学賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。 2013年、詩集「水瓶」で高見順賞を受賞。他の著書に「すべて真夜中の恋人たち」など。
本の帯には以下のようにあります。
あのとき、ふたりが世界のすべてになった。
なにげない日常がゆらいで
光を放つ瞬間をとらえた、
心ゆさぶる7ストーリーズ。
「ヘブン」「すべて真夜中の恋人たち」につづき、
新たな世界の扉をひらく最新小説集!
目次には、7つの題名が並んでいます。大きく分ければ、ごく短い小説が5編、それらより長い小説が2編あり、「愛の夢とか」は計7編の短編小説集です。巻末の初出誌をみると、前の5編は一般誌(「三月の毛糸」は「早稲田文学」)、あとの2編、「お花畑自身」は「群像」、「十三月怪談」は「新潮」、となっています。最初に読んだときに、あとの2編を読んで理由はなく直感的に「文学」を感じたのですが、「谷崎賞」の選考でもそのような話題が出たと、どこかで読みました。川上のお得意の関西弁はまるごと封印しながらも、これだけの言葉で構築された世界を編み出す、これが才能というのか、その力量には驚かされます。そして「愛と夢とか」という短篇集の絶妙なタイトルも、見事と言うほかありません。
「アイスクリーム熱」
アイスクリーム店の女店員が、いつもアイスクリームを買いにくる青年にある時駅まで一緒に帰らないかと声を掛け、「アイスクリーム、わたし得意なんだよ」と嘘を言う。アイスクリームの作り方を調べて、彼の家に上がり込み、アイスクリームを作るも結局アイスクリーム作りは失敗し、それ以後、彼はアイスクリームを買いにこなくなったという、よくある他愛のない話です。
「愛の夢とか」
表題作。川の近くに家を買った花好きの主婦、2ヶ月後に大きな地震が来た。夫は東京はなんの心配もないと言うだけ。夫の帰りは遅く、一人で過ごす一日。隣家からピアノの音が聞こえてきます。ある日、庭の手入れをしていると、隣家の車庫から車が出る音、見送りに出てきた60代前半、あるいは70歳前後の女の人と挨拶を交わします。ピアノ、お上手ですねと言うと、私が弾いていて、リストの「愛の夢」だという。お茶ぐらい飲みにいらっしゃいという言葉に、マカロンとさくらんぼを買って隣家へ行きます。テリーと呼んで、ビアンカでお願いします。ビアンカ、聴いてくれる?何度も同じところでつまずきます。わたし、誰かに聴かれるとだめなのよ。週に二度、テリーのピアノを聴いて過ごすことになります。何度か顔を合わせても、個人的な話は一切出ません。通い出して13度目にテリーは間違えずに弾ききることができました。ビアンカ、やった。わたしは立ち上がって拍手しました。はたからみれば老人に近い白髪女と、顔色の悪い痩せぎすの40女は、どちらからともなく、くつづけをしました。それからわたしはもうテリーの家に行くことはなかった。
「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」
「待機」とか「結局」、「訓練」などが書かれて、「節」がはじまる独特の書き出しです。何があったかは知らないが、同居している男女とのささいな、しかし決定的かもしれないきまずさ。いちごを用意してあげたら、きっかけになるんじゃないかと思って、彼が浴室から出てくるまえに、いちごを洗って、へたをとる。彼はいちごを食べるとき、ひとつずつスプーンでつぶして、練乳をかけて食べます。彼はきちんと既婚で浴室から出てきます。彼の体を全部使って拒絶されているように感じます。彼のいる部屋にいちごを持ってたずねる。彼は私を見ずに何も言わずに、器を取り、練乳もかけずにスプーンも使わずに指でつまんでくちにいれます。「専用」があるのに。専用とはいちごをつぶす専用のスプーンのこと。夜中、寝室に入り、右手に持った専用を彼の鼻に押しつける。どこで間違えたんだろう。かれは起きているのか眠っているのか分からない。
「日曜日はどこへ」
その小説家が亡くなった。読書する日本のほとんどの人たちがそれぞれに特別な思い入れを持って読んでいるような作家だった。始めて読んだ10代の頃、彼の小説を教えてもらったときのこととか、彼の小説について話をしたことなどを思い出します。高校のクラスメイト、ひとりだけ本を読んでいて気になっていた雨宮くん、それ面白いのと聞くと面白いよとあまり面白くなさそうな顔でそう言った。高校3年の終わりからつき合い始めて、21歳の夏に別れた。わたしたちがこのさきに別れるようなことがあっても、、その小説家が死んだら必ず植物園で会うことにしようと約束をします。どこにいても、結婚していても、死にかけていても・・・。14年前にまじ和した約束を天海やくんは覚えているはずないと思ったが、約束の植物園へと向かった。2時間待ってもなにも起こらなかった。
「三月の毛糸」
彼女は里帰りをせずに出産することに決めたので、動けるあいだに両親に顔を見せておこうと、実家のある島根へ出かけた、その帰り。生まれたら旅行なんてできなくなるのでどこかへ寄っていこうと彼女が突然言いだし、京都へ行くことになります。大きな荷物を持ち、妊娠8ヶ月の妻を連れ、僕たちの暮らす千キロ以上も離れた仙台に帰る途中のことです。清水寺へ行くも、階段を見ると角度が急すぎて無理と、ホテルに戻ります。彼女が妊娠してから、僕はなぜか睡魔に襲われるようになった。「ナルコレプシーかな」と同僚に言うと、そういうは寝ても治んないよ、と言われる。ホテルで「東京にはいつもどれるの」と聞かれます。僕は「希望は出しているんだよ」と答えます。彼女の携帯電話のメール受信を知らせるベルが鳴った。「メールが来てた。地震、だいじょうぶかって」。目覚めた妻は、毛糸で生まれてくる子どもの夢、毛糸の3月の夢を見たと話します。夜が満ち眠ってしまった彼女の大きく膨らんだお腹から1本の毛糸が、生きもののようにするすると上昇し、どんどんほどけ始めているのが見えます。
妻が眠ると、
「お花畑自身」
夫の会社が破産して倒産し、まだローンの残っている家を売却することになります。駄目になるまではあっというま、調子に乗って家なんか建てるからだと、みんなにざまあみろと笑われているような気がします。それまでは夫の会社と自分の家庭に何が起きているのか、気がつかないままでした。今から3ヶ月まえ、私の家に現れた女を見たときに、悪魔が来たのかと思いました。その女は小柄でおとなしい感じ、美人でも不美人でもないが、特有の努力のあとがみえました。女は不動産屋の男に連れられて、私の家を値踏みに来たのでした。「こういう感じ、すごくいいですね」「少女っぽいものがお好きなんですね」と、あらゆるものを大げさに褒めてみせます。私にとってはこの家のすべてが誇りだったけれど、とくに念入りに手を入れていたのは庭でした。子どもの頃から憧れていた自分だけの場所を、私はここにつくりあげたのでした。一通りチェックし終わった女は、「気に入っちゃったなあ。すごく。買っちゃおうかな」と、不動産屋の男にそう言いました。こうして私の家は、家財道具一式込みで、あっけなくあの女のものになったのです。家具付きのウィークリーマンションで寝泊まりしてから3週間。日よけ帽子を眼深にかぶり、片道に1時間かけて、わたしは私の家へ向かいました。これでもう4度目です。小さな公園のベンチに腰を下ろして、私の家をじっと眺めました。何もかもがそのままでした。玄関の扉が開き、あの女が液の方へと歩いて行きます。今しかない。庭に入ると土が乾いていました。ホースを水道の口にはめて、蛇口をひねってたっぷちと水をやりました。私は小さな照らすに腰かけ、お花畑を眺めました。いくら眺めても飽きません。教会の鐘が鳴る頃、立ち上がり顔をガラスの方へ向けると、そこに女の顔がありました。この後の流れは、ここでは書きません。
「十三月怪談」
寿時子は、梅雨が過ぎても一向に調子がよくならないので、駅前の病院へ寄って血液検査をしてもらった。女性はだいたい27歳あたりで免疫が下がって体調を崩すので、たぶんそれじゃないかなと、医者は言います。翌日病院へ行くと医者は、幾つかの数値に問題があるので紹介状を書きます、と言う。落ち込んでいる時子を、夫の寿潤一はいつものように笑い飛ばします。何かそれっぽいことがあると、自分の能力の及ぶ限りの最悪なシチュエーションを想定して、そこからとめどもなく想像をふくらませてゆく傾向が時子にはあり、このときもその考えにどっぷりと支配されていました。次の月曜日、紹介状を持って総合病院へ行った時子は、医者に腎臓病の疑いがあると説明を受けます。病名が分かってから時子はみるみる弱っていきます。日ごとに口数は少なくなり表情は暗くなり、顔色はどす黒くなっていった。なにも死ぬわけじゃないんだよ、相変わらず心配性で大げさなやつだなあ、人は簡単に死ねない時代にきてるんだよ、と潤一は何でもない顔をして話しますが、時子がそう遠くない時期に本当にいなくなってしまうかもしれないという可能性を考えないわけにはいかなかった。時子はあらゆる意味で潤一しかいなかった。もし死ぬのだとしたら、潤一だけが心残りだった。死んでしまったら潤一にもう、二度と会えないのだ。死ぬことは、見えなくなること。ねえ、潤ちゃん、潤ちゃんは気にしないで、これからぜったいしあわせになるんだよ、そう言って時子は笑いながら泣いていた。夜はいつもの通りに明けてゆき、時子はそのまま目覚めることはなかった。時子の葬儀が終わって丸1ヶ月が過ぎても、潤一はぼんやりとした頭と顔で毎日を過ごしますが、いつまでたっても良い兆しはみられなかった。たった数年とは言え一緒に暮らしてその生活のなにもかもがそのままになっているふたりの家でひとりの時間を過ごすのは辛いことでした。いろんなものがふつうにみえるんだけど、さわれない。生きているときと違うのは、ふわふわしていて居場所が定まっていないなって感じるところ。そっか、これが死後の世界なのか、と時子は思う。潤ちゃんをさわろうとしても、さわれなかった。とにかく私は家から出ることができなかった。あるとき気がついたら潤ちゃんと女がソファに座ってテレビを見ていた。そういう関係になったのは私が死んだあとで、私が死んでから数年が過ぎたみたいだった。いつの間にか女が越してきて、女の荷物が増えて、私の荷物が減りました。それから潤ちゃんは女と結婚し、気がついたら子どもが2人いて、家族ができて、潤ちゃんは太って体が大きくなりました。私はあいかわらずソファの端っこにすわっているんだった。生きている人をすくうのは、すくえるのは、生きている人間でしかないんだった。大事な人がいるならば生きていなければならないんだ。私はもっと潤ちゃんと、生きていたかったんだな。ほんの数年ではあったけど、潤一が時子と暮らしたマンションは巨大地震が原因でなかなか買い手が付かず、潤一は1年近くをそこで暮らしてみたけど、悩んだあげく、会社を辞めて長野の実家に帰ることを決めた。父親の癌が再発して入院して、温泉街のある駅前の土産物屋を営んでいる家に母親がひとりになったこともあって、同居の話はすんなりと進んだ。時子のものはすべて長野へ運んだ。時子のものを潤一は捨てることができなかった。父親は1年半後に死んだ。その1年後に姉が離婚して戻ってきて、家はずいぶんにぎやかになった。時子のものは少なくなった。潤一が56歳の時、大地震が東海沖で起き、以前の大地震の時と同じように沢山の人が死んでいった。彼が69歳の時に、ぐらりと大きなめまいがして潤一はそのまま倒れてしまった。二度にわたる頭部の切開手術を受け、最後の手術から二週間後に息を引き取るまでのあいだに、潤一は気がつくと時子と暮らしていたマンションのベットの上にいてぱちりと目が覚め、両足を確かめるようにして動かしてから体を起こし、リビングへ出て行った。時子はこちらに背を向けて朝食のための野菜を刻んでいる最中で、彼に気がつくと明るくおはようと言った。潤一はなにか大切な話が、忘れずに話をしなければならないことがあったように思うのだけれど、うまく思い出すことができず、時子のそばヘ歩いて行って、グラスに水を入れて飲んだ。ねえ、いま何時、と時子に聞いても背中を向けたまま知らなーいと明るい声で言うだけ。いまがいつだって、それにここがどこだっていいじゃないと、にっこり笑ってみせ、いま二人でここにいることは本当のことなんだから、といって潤一の背中に手を回して音がするほどかたくつよく抱きしめた。
第49回「谷崎潤一郎賞」は、川上未映子さんの『愛の夢とか』
当社主催の2013年度(第49回)「谷崎潤一郎賞」の選考会が8月28日、パレスホテル東京(東京都千代田区)にて行われ、池澤夏樹、川上弘美、桐野夏生、筒井康隆、堀江敏幸の選考委員5氏による審査の結果、川上未映子さんの『愛の夢とか』(講談社)が受賞作に決定しました。選評は、10月10日発売の『中央公論』11月号に掲載される予定です。贈呈式は「中央公論文芸賞」とともに、10月17日に東京・丸の内のパレスホテル東京で開かれます。(中央公論新社:2013/08/28)
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