原作:田中慎弥、監督:青山真治の「共喰い」を観てきました。第146回 芥川賞を受賞した田中慎弥の同名の原作の映画化です。田中慎弥の「共喰い」は、かなり長く詳細にこのブログに書きました。青山監督の作品は、北九州を背景に描いた2007年の「サッドヴァケイション」を観ました。その映画で印象に残っているのは、主人公を捨てた母親役の石田えりです。今回の「共喰い」も同じく主人公の実の母親が、大きな役割を果たします。戦争で左手を失いながらも、川沿いで魚屋を営んでしたたかに生きる母親役を、田中裕子が演じています。この二つの映画のテーマは「母性」です。
潮の満ち引きによって水位が変わる川が、いろんな意味で女のメタファーになっています。捨てられたゴミが漂い、使われた生活水が容赦なく流れ込む川。母親が捌いた魚の切れ端は川に捨てられ、それを目当てに川の魚が生息しています。主人公・遠馬が浴室で行う自慰によって排泄された白濁液も、当然川に流されます。その川から遠馬によって鰻が釣り上げられ、父親が酒の肴に旨そうに食べたりもします。さすがに遠馬は鰻には手が出ません。
性交時に暴力を伴わないと快感を感じないサディスティックな父親の性癖。愛人の琴子さんの顔は父親の暴力で腫れ上がっています。父親と同じ忌まわしい血を受け継いでいる息子の遠馬。遠馬と千種の若者らしい性交は、もっぱら神輿の倉が使われます。ある時、幼なじみの千種との性交時に、千種の首を絞めてしまいます。千種は遠馬から一旦、身を引きます。妊娠した琴子さんは、意を決して父親には言わずに出ていきます。
これといって何もない町の季節の「祭り」が、重要な意味を担っています。祭りの装束に着替えた父親は、いなくなった琴子さんを町中探し回ります。千種は祭りの際に遠馬と神社で会うことにします。父親は息子の恋人である千種を犯します。それを知った母親は、父親を殺しに、包丁を持って出かけます。恩赦の話が出ます。物語は1989年の昭和天皇の崩御と重ね合わせて描かれています。
原作者の田中慎弥は、以下のように書いています。
私が物語のクライマックス近くに書いた幻想的な場面を、映画は全く違う形で描いています。ここを見た時、ああ、やられた、と思いました。この場面はこういう風に描かれるべきだった、だからこそあのクライマックスが成立するんじゃないか、と悔しくなりました。さらに、小説の結末を越えたところまで、映画はすくい取ってくれています。それは実のところ、私も書こうとしていたことでした。思いきってその手前で終わらせることで、作家としては達成感がありました。ですが映画はその先を追いかけて、大きな生命力へと到達する女たちを出現させました。
以下、とりあえず「シネマトゥデイ」より引用しておきます。
チェック:小説家・田中慎弥による人間の暴力と性を描いた芥川賞受賞作を、『サッド ヴァケイション』『東京公園』などの青山真治が映画化した人間ドラマ。昭和の終わりの田舎町を舞台に、乱暴なセックスにふける父への嫌悪感と自分がその息子であることに恐怖する男子高校生の葛藤を映し出す。主演は、『仮面ライダーW(ダブル)』シリーズや『王様とボク』の菅田将暉。名バイプレイヤーとして数々の作品に出演する光石研と田中裕子が脇を固める。閉塞感漂う物語がどう料理されるか、青山監督の手腕に期待。
ストーリー:昭和63年。高校生の遠馬(菅田将暉)は、父(光石研)と父の愛人・琴子(篠原友希子)と暮らしている。実の母・仁子(田中裕子)は家を出て、近くで魚屋を営んでいた。遠馬は父の暴力的な性交をしばしば目撃。自分が父の息子であり、血が流れていることに恐怖感を抱いていた。そんなある日、遠馬は幼なじみの千種(木下美咲)とのセックスで、バイオレンスな行為に及ぼうとしてしまい……。
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