山口晃の「ヘンな日本美術史」(祥伝社:平成24年11月10日初版第1刷発行、平成25年3月1日第6刷発行)を読みました。「ヘンな日本美術史」は、第12回小林秀雄賞 を受賞しました。4月頃、購入しておいたものを一気に読みました。山口晃 初の書き下ろし「画論」、とあります。
小林秀雄賞、山口晃さん「ヘンな日本美術史」に
第12回小林秀雄賞(新潮文芸振興会主催)が30日、山口晃さん(44)の「ヘンな日本美術史」(祥伝社)に決まった。同新潮ドキュメント賞(同)は佐々木実さん(47)の「市場と権力」(講談社)が選ばれた。副賞はともに100万円。授賞式は10月4日、東京・虎ノ門のホテルオークラで。
(2013年8月30日19時16分 読売新聞)
本の帯には、以下のようにあります。
恐るべし、「日本人の絵」 雪舟、円山応挙、岩佐又兵衛……
日本美術には「ヘンなもの」がいっぱいだった!
幕末、ある西洋人が日本人の描いた似顔絵を見て尋ねました。
「なぜ、横顔を描いているのに目は正面を向いているのか?」
その日本人は答えました。
「本当だ。今まで気づかなかった」
西洋美術が写実の限界を感じるもっと前から、
日本人はドキドキするような絵画の冒険をしてきたのです。
そして本のカバー裏には、以下のようになります。
日本人が培(つちか)ってきた絵、失った絵とは
自分が描いたということにこだわらなかった「鳥獣戯画」の作者たち。人も文字もデザイン化された白描画(はくびょうが)の快楽。「伝源頼朝像」を見た時のがっかり感の理由。終生「こけつまろびつ」の破綻(はたん)ぶりで疾走した雪舟(せっしゅう)のすごさ。グーグルマップに負けない「洛中洛外図」の空間性。「彦根屏風(びょうぶ)」など、デッサンなんかクソくらえと云わんばかりのヘンな絵の数々。そして月岡芳年(つきおかよしとし)や川村清雄(かわむらきよお)ら、西洋的写実を知ってしまった時代の日本人絵師たちの苦悩と試行錯誤……。絵描きの視点だからこそ見えてきた、まったく新しい日本美術史!
目次
第1章 日本の古い絵―絵と絵師の幸せな関係
「鳥獣戯画」、「白描画」、「一遍聖絵(絹本)」、「伊勢物語絵巻」、
「伝源頼朝像」
第2章 こけつまろびつの画聖誕生―雪舟の冒険
「破墨山水図」、「秋冬山水図」、「慧可断臂図」、「益田兼堯像」、
「天橋立図」
第3章 絵の空間に入り込む―「洛中洛外図」
「舟木本」、「上杉本」、「高津本」
第4章 日本のヘンな絵―デッサンなんかクソくらえ
「松姫物語絵巻」、「彦根屏風」、「岩佐又兵衛」、「円山応挙と伊藤若冲」、
「光明本尊と六道絵」
第5章 やがてかなしき明治画壇―美術史なんかクソくらえ
「『日本美術』の誕生」、「『一人オールジャパン』の巨人―河鍋暁斎」、
「写実と浮世絵との両立―月岡芳年」、「西洋画の破壊者―川村清雄」
山口晃:略歴
画家。1969年東京生まれ。群馬県桐生市に育つ。1994年東京芸術大学美術学部油画専攻卒業。1996年同大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。大和絵や浮世絵を思わせる伝統的手法を取り入れつつ、時空を自由に混在させ、人物や建築物などを緻密に描き込む作風で知られる。巧妙な仕掛けとユーモアにあふれた作品は日本のみならず世界からも人気を得ており、近年では成田空港のパブリックアートや書籍の挿絵、CDジャケットも手がけるなど幅広い制作活動を展開している。2012年11月には平等院養林庵書院に襖絵を奉納。
僕が最初に山口晃の名前を聞いたのは、2008年7月8日から17日に東京国立博物館平成館で開催された「対決・巨匠たちの日本美術」という展覧会の時でしたから、今から2年半前のことでした。その展覧会の関連として小さな暦があり、その絵を山口晃が描いていたと思います。横山大観や富岡鉄斎など、対決した巨匠を描いたものでした。また、たしか公共広告機構のポスターも描いていたように思います。
新宿、紀伊国屋サザンシアターで7月30日に開催された、藤森輝信×山口晃「日本建築集中講義」反省会に行ってきました。予想していた通り、藤森輝信の独壇場で、山口晃の出番は期待はしていたのですが、藤森からふられたことにちょっと答えるだけでした。建築というフィールドの違いか、百戦錬磨の藤森との対談にはさすがに山口もたじたじで、手も足も出なかったように思いました。ただその本に描かれている「エッセイ漫画」はズバリ要点を捉えていて、非常に分かり易かったと思いました。この人漫画家なの?
さて、「ヘンな日本美術史」ですが、画家であっても語らせればけっこう奥深く語っていました。NHKの日曜美術館でセザンヌについて語っていたことを思い出しました。だいたい実作家はあまり語りたがらないもの、あるいは語りがヘタというのが通り相場ですが、山口の「画論」はなかなか語りもいけてます。「ヘンな日本美術史」でも、さすがは画家、という側面と、絵を論理的に語る、という側面と、バランスよくできていたように思いました。しかし、さらりとは書いているのですが、やや細かすぎる、というか、くどい、というか・・・。
まあ、要するに、僕には1章から4章まではおつき合いで読んだようなもの、面白いと言えば山口の造語、言葉遣いは面白いのですが、全体的にはけっこう苦痛でした。が、しかし、第5章に入ると、俄然面白くなってきました。というか、4章までは5章のためにあるようなもの、山口自身の力の入れようが違います。第5章は明治以降の日本美術を語っています。早い話が「河鍋暁斎」「月岡芳年」そして「川村清雄」の3人を取り上げて書いています。「月岡芳年」の項で、「暁斎の所で熱が入ってしまいましたので、続く芳年と清雄は短めにしてまいります」と、第5章のバランスを失したことについて、注釈を入れたりもしています。
実は僕も、河鍋暁斎を東京ステーションギャラリーで初めて観て、その後、成田山書道美術館でも観て、三島市の佐野美術館でも観て、コンドルの書いた「河鍋暁斎」を読んで、つい最近、三井記念美術館でも「暁斎の能・狂言画」を観たりで、ずっと暁斎を追っかけていたりもします。月岡芳年についても、川村清雄についても、最近、重要な展覧会が模様去れ、見直しが始まっているようです。
山口は、はっきりとこう書いています。(5章の最初では)芸大の歴史に引き付けて洋画(油画)、日本画の登場を見てきました。ここからは黒田清輝「横山大観の名が登場し、いかにも近代日本美術史の本流が始まる感じですが、それはこの本では割愛致します。
そして代わりに登場したのが江戸時代生まれの3人、河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄だったと言うわけです。つまり日本美術史の本流からははじき出され、語られることのなかった3人なのです。山口はそれではもったいないと思い、3人について熱を入れて語り出すのが第5章、というわけです。詳細については、この本を読んでもらう以外にありませんけど・・・。
現在、山口晃の重要な展覧会が、「新潟市美術館」と「群馬県立館林美術館」で開催されているとのこと。興味のある方は、チェックしてみてください。
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