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武澤秀一の「伊勢神宮と天皇の謎」を読んだ!

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最初から脱線ですが、先日「東京鉄道遺産めぐり」で御茶ノ水から両国へ歩く途中、秋葉原で1時間の昼食タイムがあり、ちょうど昼食時でもあり、20数名全員が同じ店に入ることは不可能なので、適当にバラバラになり、昼食をとることになりました。サイゼリアへ行こうと言い出した人に連れられて10人がエレベーターに乗り、たまたま中年組6人が、実はお酒飲み組でしたが、同じテーブルに着きました。生ビールを飲み、デカンタワインを飲み、そうとうに酔いが回ってきたところ、対角線上にいたカメラマンのIさんが、最近読んだ本として出雲大社の話とか、邪馬台国の話をし出しました。岩波新書の「出雲と大和―古代国家の原像をたずねて」という本のことでした。


Iさんと同じ時期に、僕もその本を読んでいました。僕は本の題名を忘れていて、Iさんは著者名を覚えていなくて、席が遠いこともあり、話がやや噛み合いませんでした。ブログに読んだ本のことを書いても、ほとんどは天に唾するようなもの、ほとんど反応がないのですが、同じ本を読んでいたことを知っただけでも嬉しくなりました。たまたま僕が竹内まりあの実家は出雲大社の参道の旅館だという話を出すと、みんなは島根県出身ということは知っていても、出社の前の旅館の娘だということは知らなかったようです。そして竹内まりあの名曲「駅」の駅は、最近廃止された東横線の渋谷駅だったことを僕が話すと、東横線が地下化されたこともあり、まあ皆さん酔いも回っていたこともあるのでしょうが、感心することしきりでした。


と、まあ、それとは関係なく、武澤秀一の「伊勢神宮と天皇の謎」(文春文庫:2013年3月20日第1刷発行)を読みました。この本を読んだのは、武澤秀一という名前が聞き覚えがあったこと、「式年遷宮1300年、その神話と精粋を解き明かす」と、センセーショナルなタイトルだったことに拠ります。武澤の前著、「伊勢神宮の謎を解く―アマテラスと天皇の『発明』」(ちくま新書:2011年3月10日第1刷発行)も、勢いで購入してしまいました。


武澤秀一とはどんな人か? 武澤は僕と同年代、たしか「用強美・建築都市設計」という事務所だったと思います。建築関連の重要な本の翻訳も行っています。最近は設計よりも、執筆活動に忙しいようです。略歴には以下のようにあります。


著述家・一級建築士/博士(東京大学9。1947年、群馬県前橋市生まれ。東大工学部・同大学院を経て東大助手を務めた後、建築設計事務所を主宰。東大、法政大学、武蔵野美術大学、放送大学で非常勤講師を歴任。建築が政治史・宗教史・文化史を牽引し、また舞台ともなってきたことに注目して歴史と世界観の見直しをおこなっている。著書に「法隆寺の謎を解く」「伊勢神宮の謎を解く」(以上、ちくま新書)、「神社霊場ルーツをめぐる」(光文社新書)、「マンダラの謎を解く」(講談社現代新書)、「空海 塔のコスモロジー」(春秋社)などがある。


「伊勢神宮と天皇の謎」として、その内容が本のカバーに書かれていました。

2013年はお伊勢さまで62回目の「式年遷宮」が挙行される。690年に始まる歴史をつぶさに見ると、女帝の執念や120余年の中断期、社殿の変化、神仏習合の波、近代国家建設の影響、万世一系の思惑など、様々な変転が見てとれる。歴史に通暁した建築家が描き出す、真の伊勢神宮の姿とは?


目次

はじめに

序 伊勢神宮は古代のままか

  その名は「神宮」 神宮は霊廟か 樹林は太古の昔から?

  現代の伊勢神宮「神話」 「寸分の違いなく」は、ほんとうか?

Ⅰ 式年遷宮から何が見えるか

  伊勢神宮だけではなかった 「十九年に一度」から「二十年に一度」へ

  〈常若〉〈中今〉 「歴代」遷宮の終息

Ⅱ 反目していた内宮と外宮

  二つの大神宮 神仏習合の波 アマテラスは大日如来 

  物議をかもした皇字論争 瑞垣内で流血が・・・

Ⅲ 伊勢神宮の今と昔

  明治の大転換 排除されたリアルな「復古」 不都合な茅葺き

  千木に舞い降りた「ピタゴラス」 外宮「わが闘争」の成果

Ⅳ 天皇の伊勢神宮

  女帝の執念 アマテラスと化す持統 文武の即位宣命と明治維新

  「万世一系」理念の標榜 偶然か意図的か 明治天皇の意志

むすび―歴史の「目盛」、あるいは「窓」

引用・参考文献

あとがき


僕が驚いたのは、最終章の「天皇の伊勢神宮」の項でした。明治は、王政復古からはじまり、祭政一致の布告、版籍奉還への流れのなかに始まります。当時15歳の明治天皇が下した王政復古の沙汰書には、明治維新は神武創業になぞらえたという。人民告諭には「天子様は天照皇太神宮様の御子孫様にて・・・」とあり、神武に代えてアマテラスが登場します。また「万世一系」は大日本帝国憲法第一条に掲げられているが、明治二年の岩倉具視の意見書が初出だという。


そうした動きの中で、明治天皇の伊勢神宮参拝がありました。なんと明治憲法が発布されたのは、明治に入って二度目の式年遷宮の年である明治22年であった。これは偶然の一致か、あるいは周到に仕組まれたのか?式年遷宮の年に憲法を発布するという大方針がまずあり、次いで、催行日は神武即位の日、つまり紀元節と決まった。それが明治22年2月11日であった。式年遷宮は20年に一度の、神宮にとって最大の祭。憲法の発布は立県国家の出発を祝う最大のイベント。武澤は、内容と儀礼の見事なまでの一致、だと言います。


「引用・参考文献」を見ただけでも、よくぞここまで細かいところまで調べ上げたものだと感心します。実は、井上章一の「伊勢神宮と日本美」(講談社学術文庫:2013年4月10日第1刷発行)が出てすぐに購入してあったのですが、あまりにも分厚いので、読むのを後回しにしてありました。武澤の「引用・参考文献」を見ると井上章一の「伊勢神宮 魅惑の日本建築」(講談社:2009年)が載っていました。あれっと思いよく見てみると、文庫化にあたり題名が「伊勢神宮と日本美」に変えられていただけで、内容は以前読んだ「伊勢神宮 魅惑の日本建築」が原本だったことが分かりました。


とんとん・にっき-ise3 「伊勢神宮と日本美」

講談社学術文庫

2013年4月10日第1刷発行

著者:井上章一

発行所:株式会社講談社









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