朝日新聞の片隅の記事、その大きさはたった5.5cm×5.5cmの小さな記事でした。「古渡章(こわたりあきら)」という名前は、そうそうあるものではありません。僕が中学校の頃の同級生の名前です。目を疑いました。略歴をみると同じ年齢です。とはいえ僕は早生まれなので1年下ですが、これはまず間違いありません。目白まで行ってみるしかありません。というわけで行ってきました、目白の「ギャラリーFUURO」へ。50数年ぶりの突然の再会です。僕が「中学の・・・」と言いかけると、古渡は僕の顔を見るなり「**?」とすぐに分かったようでした。もちろん、髪の毛は白髪で、芸術家らしい口髭も白く、年輪を重ねた顔つきでした。アルバムを見直してみると、中学3年の時は別のクラスだったので、1年か2年のときに同じクラスだったようです。こんなことってあるんですね、驚きました。
古渡の略歴をみると、中国大同省生まれ、とあります。これについては僕は知りませんでした。実は僕も、最近ではあまり聞かなくなりましたが、いわゆる引き揚げ者、僕は北京からでした。古渡は北京より奥地に入ったところだったので、引き揚げるときは大変だったとか。もちろんそれは彼が親から聞いた話ですが。僕は逆に敗戦後、親の職業上、中国への引き渡しのために1年ぐらいは優遇されていたようでした。親が手を離したら、今ごろは中国残留孤児だったよと、二人は顔を見合わせて笑いました。古渡の家に遊びに行ったことを思い出しました。鉄筋コンクリート3階建て?のアパートでした。当時、そのような洒落たアパートに住んでいる友達は彼だけでした。
古渡章の作品は、町田市立国際版画美術館で開催された「空想の建築―ピラネージから野又穫―展」に出されたコイズミアヤや野又穫の作品と、観た印象が重なります。おおよそ20cm角の立体を加工した木質素材のオブジェです。スケールを度外視すれば、かつてバーナード・チュミが、敷地全体を120m間隔のグリッドの交点上に「フォーリー」を配した「ラ・ヴィレット公園」を思い起こしました。
古渡は、多摩美のインテリアデザイン科の出身、一時は建築を志した、と語っていました。高校時代の先生が、彼の進路を決めたと語っていました。古渡の今回の作品は、「用」や「機能」、そして「スケール」は度外視していますが、まさに建築そのものです。大阪花博の時に、花博会場に点々とつくられた「フォーリー」を辿って歩くという方式がとられましたが、その「フォーリー」に古渡の作品のようなものが数多くありました。野又穫の作品も建築的ですが、それに負けず劣らず、古渡章の作品も建築的です。それはたぶんその作品から「空間」が感じられるからではないでしょうか。
古渡章展―空にあそぶ―
7/4-14(7/10休)
会場:fuuro(目白) 12:00-19:00 (最終日17:00まで)
〒171-0031 東京都豊島区目白 3-13-5 tel 03-3950-0775
ギャラリーの空間から受けたインスピレーションを元に制作した新作オブジェ約20点を展示する。木質素材を使用し、「心象風景」をテーマに制作した。一点一点は約20センチと小品ながら、空間で放つ独特の浮遊感が魅力だという
古渡章:略歴
1945年 中国大同省生まれ
1967年 多摩美術大学インテリアデザイン科卒業
<主なグループ展>
1987年 栃木県立美術館 『彫刻動物園』
1987年 目黒区美術館 『素材との触れあい〈木〉』
1991年 水戸芸術館 『箱の世界展』
1996年 北海道立旭川美術館 『木の造形 旭川大賞展』
<パブリック・コレクション>
目黒区美術館、北海道立旭川美術館